■走る旅:東海道&中山道⑮ 桃配山~第57次・垂井宿~第56次・赤坂宿~金生山~養老鉄道 養老線 東赤坂駅
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。
▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。
出張や用事に合わせるので
順番通りにはいきませんが、
西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみよう。
今回は、JR柏原駅からスタートし、
途中、寄り道をしながら、赤坂宿を目指しておおよそ30㎞の旅。
人間一生 物見遊山…
(人が生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためという江戸の人の考え)
沢山見て、感じて、心も身体も動かそう。
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今須峠~笹尾山~関ヶ原宿~桃配山の記事からの続きです。
関ヶ原の戦いでは、徳川家康が最初に陣を置いた桃配山をあとにして、
第57次・垂井宿を目指します。
●野上松並木
樹齢300年の松の木が70本続くという、野上松並木。
関ヶ原天然記念物に指定されているそうです。
The・街道という風情。
●六部地蔵
野上松並木の中に、六部地蔵の立て看板がありました。
どこを探しても無かったのですが、どうも祠(ほこら)の中にあり、
周辺は公園だそうです。
祠は奥でしょうか。
六部とは全国の寺社を厨子(ずし)を背負って巡礼する行者のこと。
「六部地蔵 歯痛治りて 礼参り」
と詠まれ、痛みのひどい病を治すお地蔵さんとして知られていました。
「ひどい」時は、神や仏に頼りたくなるのは、今の時代でも同じですね。
●垂井一里塚
立派な囲いに守られた一里塚です。
西は、一里塚が残ってない箇所がありましたが、
不破の関を越え東に入ってから
一里塚がどっしりとあるのが嬉しいです。
とくに垂井一里塚は、北は壊れていますが南は完全な形で残っていて、
中山道中で国定指定史跡の一里塚は、
東京都板橋区志村と垂井一里塚の2か所だけだそうです。
旅人は、この垂井一里塚を目印にして先を行ったのですね。
江戸時代に生きた旅人と同じものを目に出来て、うれしいです。
●日守茶所
中山道の旅人の休憩所です。
もともとは芭蕉ゆかりの地・常盤御膳(ときわごぜん)の墓所に秋風庵を建て、
明治になって垂井一里塚の隣に移したとのこと。
昭和のはじめまで利用されていたそうです。
●西の見附
垂井宿の西の入り口です。
いよいよ垂井宿に入ります。
垂井町の花は椿だそうで、街のいたるところに椿の絵を見つけ
ほっこりします。
見附の案内板の横には、歌川広重の垂井の絵。
薄くなってわかりづらいですが、
この西の見附のあたりを描いたようです。
西の見附の愛宕神社。
広重の絵のアングル…と思って撮影してみました。
私は西から東を撮影。
しかし…広重は東から西の街並みを描いたようです。
雨の垂井。
遊女の絵が売られていますな。
●高札場
幕府からの住民や旅人に告知する必要がある重要事項が書いてあるのが高札場。
内容はキリシタンの禁止やニセ金作りや使用の禁止。
親子兄弟の忠孝(ちゅうこう)を守ることなどが書かれています。
※主君に対して忠義を尽くすことと、親に対して孝行をつとめること
●街並み
垂井宿・お休みどころ長浜屋。
旧旅籠屋です。
旅籠屋・亀丸屋。
江戸中期から今も営業を続けているそうです。
垂井宿本陣を見逃しました。
江戸時代に焼失し、歯科医院前に碑が立っているだけのようです。
本陣1・脇本陣1・旅籠27・家数315。
しかし、小さな宿場町ですが、旅籠屋・亀丸屋。
令和になった現在でも存在感がありますね。
●相川の人足渡跡
江戸時代は2通りの川の渡り方があったようです。
1つ目は、川越し人足の手を借りて歩いて渡る方法。
旅人が人足に肩車をしてもらったり、輩台(れんだい)に乗って担がれて渡ります。
これを徒歩(かち)渡しといいます。
もう1つが渡し船を利用するもので、船渡しといいます。
相川は昔から暴れ川で、たびたび洪水がありました。
そのため、人足渡が主流だったそうです。
人足は垂井宿の百姓が務め、
渡川の水量によって渡賃が決められていたようです。
命がけですね。
●青野一里塚跡
中山道一里塚跡…という道標。
青野の文字は見当たりませんでした。
これかなぁ…
●昼飯町(ひるいちょう)の由来
如来時の前にある昼飯町の由来の看板。
大阪の海で拾われた如来像が長野の善光寺へ運ばれる途中、
一行がここで昼飯を食べたそうです。
〝努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る〟
つまり、不満を言う人は暇なんですね。
●昼飯大塚古墳
ルートを外れて古墳を見に行きました。
1600年前に築かれた岐阜県最大の前方後円墳。
長さが150m・高さ13mです。
とても立派でした。
どなたが眠っているのかはハテナですが、様々な出土品が出ているそうです。
●兜塚
関ヶ原の戦い前日に、杭瀬川の戦いで命を落とした方の塚です。
手あわせてきました。
●赤坂宿脇本陣跡
●赤坂宿本陣跡(公園)
本陣1・脇本陣1・旅籠17・家数292。
こじんまりとした宿場でしたが、江戸時代に引き込まれそうな古い町並み。
素敵でした。
本陣公園には幕末の志士、所郁太郎の像。
この方のこと、…知りませんでした。
大阪の適塾に入門して緒方洪庵に学んだようです。
お医者様でありながら、
高杉晋作とともに長州藩の俗論党を破った人だそうで、
司馬遼太郎が書いた『美濃浪人』に登場しているみたいです。
読んでみたいリストに追加です。
●金生山(かなぶやま・きんしょうさん)
番外です。
赤坂宿本陣まで行ったあと、
少し西に戻り、金生山へ登ってきました。
写真では平たんに見えますが、
かなりの勾配がある山。
標高は217mと低山ながらも、
走って登るとふくらはぎにきます。
この日の気温が34度で、汗の出具合も多かったせいか?
ふくらはぎがつりそうに…。
山頂を1周回る予定が、上まで登ってから直ぐに引き返しました。
地元の方の話によると、ここは夜景スポットだそうです。
充分神秘的な景色でしたが、
1周ぐるっと回ると、ここは日本なの?という風景が見れるようです。
沢山の化石や鉱物が出るので、化石館もありました。
今はコロナウィルスの影響で閉館中でした。
神秘的…と言っても山を削ってるやつ。
どんどん形が変わるので、一期一会の風景です。
●町の風景
街道っぽいです。
大きな櫓(やぐら)。
赤坂港跡。
蛍の像の横に川灯篭がありましたが、
気付かずに…大きな蛍を激写。
杭瀬川です。
関ヶ原に戦いの前日に杭瀬川の戦いがあり、
西軍が勝った。
こんな小さな杭瀬川で戦があったんですね。
杭瀬川を越えて美江寺宿方面へ…
30㎞走って、養老鉄道 養老線 東赤坂駅で終了。
養老線は電車の時間が1時間に2本程度です。
電子カードは使えません。
このあたりから旅ランする時間や、
どの駅で終了するかを考えて行動しないと
電車無いわ…状態になります。
東赤坂駅は無人。
旅ランは、計画的に…ですね。
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下調べして、行きたいところをチェックして予習。
旅ランを終えるたびに復習…。
この様に学びながら走ることは、私に合っている様で、
とても楽しく充実しています。
そして、この記事も、
いつか同じように走りながら旅をしたり、
歩きながら旅をする人が見てくれたらな…という気持ちでまとめています。
雨やコロナウィルスが心配ですが、状況に合わせて休憩し、
ゆっくりゆっくり進みましょう。
●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。