健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
新月なので、何か新しいことを…なんて思っていたが、結局朝から晩まで仕事で出ていたので、バタバタと1日が過ぎてしまった。
でも、無理に何かをやろうとせず、ようやくホッとできた時間でゆっくりお茶を…。
そんな始まり(新月)でもよいであろう。
昨日のことであるが、巫女や舞楽をやっていたときの襦袢を捨てるのがもったいないので、半襟やら袖やらをつけ、古きをアレンジし、新しく生まれ変わらせてみた。
寒い神社や境内で過ごすため、襦袢自体が厚手でゴワゴワしているもので、付け足すとゴワゴワ度がアップするのだが、ちょっとだけ可愛くなった。
少し手を施すだけで生まれ変わったように見える。
いっそ、袖を全部取ってしまって、付け替える…とう手段もあるが、つけてみたい袖の柄に出会えてからにしようと思う。
今年は着物を着こなしたい。
着熟し(きこなし)とは、自分に似合うように衣服を着ること。
古典文学や骨董、自然を愛した白洲正子さんは、着こなしについてこう語る。
「ふだんに着てみるということが、着物が見えてくる初歩。大事にするとは、しじゅう身近においてかわいがること、付き合うこと。普段着のように見えればしめたもの。そういうことを〝着こなし〟という。」
…
わたしも、よそ行きの時だけ着物を着るのではなく、普段から着てかわいがろうと思う。
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舎利骨
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最近不思議なことに、気になっていた事は、そんなに時間がかからないくらいで、何かに導かれる様にヒントがやってくる。
たまたま読んだ本にヒントがあったり。
ネットから情報が飛び込んできたり。
会話の中に出てきたりと…
まるで、自分を守ってくれている守護霊さんが〝それはね…〟と教えてくれている様だ。
歌川国芳の浮世絵…
昨夜は、「がしゃどくろ」だっけな。
ガイコツの着物の話がでた。
私は今まで、ガイコツは風水的に良くないと思い込んでいた。
しかし、翌日電車の中で読んでいた本からガイコツの意外な面を知ることになり、イメージが変わる。
『おしゃれ』について書かれていた本を読んでいたところ…。
〝しゃれこうべ〟の〝しゃれ〟はお洒落にも通じていて、行き倒れの死体が野ざらしになって、お肉が全部取れて、真っ白になった状態を〝洒落〟というそう。
綺麗な〝舎利骨(しゃりこつ)〟になって、そこから何をつけたらいいか考え直そうと言う美学からきている説。
それを知って、ガイコツが好きになった。
もう少し野にさらされたら、私も舎利骨、がしゃどくろの着物着たいかも。
昨日は、東日本大震災、2011年3月11日から10年の日。
震災後、毎年 南三陸へ行っていた。
いつの間にか、行かなくなった。
でも、忘れたわけではない。
2016年の4月14日に熊本地震があり、後輩(かかわりのある人)が住んでいる町が被災し熊本へ…支援の場が変わった。
2018年には大阪北部地震があり、うちの店の壁などが割れ、被災者になったり…。
そして、そのうちコロナ禍になった。
正直なところ、実際に関わりのある人が被災した時や、自分が被災した場合、
時間も心も経済にも余裕がなければ、自分のことで一生懸命になるか、関わりのあるところまでしか手を差しのべることはできない。
考えてみればあれから10年というが、いろいろあったと振り返る。
当事者のお話、そして震災後に自ら命を絶たれお亡くなりになったご家族のお話は、10年たった今も涙が出てくる。
どんな言葉を並べても、当事者じゃないから語れない。
…どの言葉も嘘みたいになってしまうから、また南三陸へ行こう。
昨夜は、かかわりのある方と3.11の話などを。
あの時の南三陸や東北の話を振り返る。
毎年石巻から南三陸へと北上していた。
何かできないか…という思いと、ある学校の学生たちが運動したい!という気持ちを掛け合わせて始めた〝学生支援・震災支援〟
毎月、運動指導で学生さんから集まった参加費を全額「あしなが育英会」や「まごころサンタ基金・奨学金支援」に届けていた。
忘れないように…と10年間付け続けている「ガレキーホルダー」は
津波で流された瓦礫でつくったものだ。
東日本大震災がきっかけで、自分たちも何かあった時に声を掛け合えるコミュニティーを作ろうとスタジオ事業を手掛けるように。
スタジオも地震の時は大変だったな…。
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今日から、TVのワイドショーもニュースも3.11のことは取り上げなくなるだろう。
しかし、数年前に報道を担当してたある方が「3.11近くになって思い出したように震災のことを放送し、翌日には話題がコロッと変わるように見えるけど、私達も忘れたわけではない…」とおっしゃっていた。
誰もが、忘れたわけではない。
これからも…。
数日前に投稿した(この記事)に書いたベルリンの壁の記事なのだが…
この記事を書いたとき、なぜベルリンの壁の写真に目がとまったのか…というと、
実は、2月20日にお友達が会いに来てくれ、偶然にベルリンの壁の話をし始めたので、天王寺にある統国寺へお連れしたからである。
統国寺には、西と東のドイツの交通を分断させていた、あのベルリンの壁があるのだ…。
そのベルリンの壁を眺めながら、政治の話や宗教の話、歴史の話、もろもろの話を語り合った。
もちろん、お友達の世界観と私の世界観は全くイコールではないのだが、
違う概念の中で生きてることを、お互いに理解しているからこそ、気持ちよく会話ができる。
地図の領土はそれぞれ違うけれど、〝私の国はこんな国で、こんな考えを持っているよ。君の国はどんなだい?〟
〝ボクの国はこんな国だよ。そしてこんな考えを持っているよ。〟こんな感じ。
NLP (神経言語プログラミング)の前提の中にも、大切な考え方がある。
「地図は領土ではない」
地図とは、個人の物事の感じ方や考え方のこと。
それぞれが、自分なりの世界観や価値観を持っていて、自分の地図を創っているのだ。
…
政治の話や宗教の話、歴史の話…
今、このような話はあえて避ける…とか、
目をつむっている…とか、
そんな雰囲気が多い気がする。
自分の意思で違う世界(国)に飛び込むなら良いが、意思がないところに、優しいふりをして相手を依存状態にして異世界に連れ込んだり、自分の世界に勧誘するのは良くない。
サギの手法だ。
わたしも、考えが違うだけで人格否定したり、友達という仮面をかぶってビジネスや怪しい話を持ち掛けてきた方(自分とはかけ離れ過ぎている領土を持った人)とは、
まったく合わない土地に海外旅行に着た気分になるので距離を置いているが…、
政治の話や宗教の話、歴史の話を語り合える…ことは、世界が広がり、お互いが分かり合える大切なことだと思う。
お互いに、差しさわりの無い会話だけ。
もしくは、周りはすべて同じ価値観、同じ世界観…。
それは、じつに恐ろしく、つまらない世界地図だとおもう。
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二人称
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山の整備仲間に〝今日は絶対顔出してね!〟とお願いされ、いつものトレイルランニング。
なんと、ありがたいことに、少し早いホワイトデーのプレゼントをいただいた。
「また顔見せてね。元気出るから!」と見送られ、→こちらこそなんだが。
大きな愛情を背負って山頂まで走ると、今度は久しぶりにYさん率いる登山部に再会。
せっかく会えたので「これホワイトデーにいただいたんです!みんなで食べましょう」と、プレゼントを分かち合い。
すると…登山部の皆さんから、それ以上にお菓子やらフルーツやらワラワラ集まりだした。
「コロナで、どうしてるんやろうかと思ってて、会えてすごく嬉しい。」と、あたたかい声をかけていただいた。
いつもの山は、1人で走っているけれど、
いつもの山でいつも会う人たちは、いつの間にかお友達だ。
アウシュビッツでの経験を綴ったヴィクトール・E・フランクルは『夜と霧』で
〝人生の意味は自分の中にはない〟と書いた。
つまり〝私〟とか〝自分〟という一人称には死の意味がなく、親しい人の死や、顔や声を知っている二人称の死に意味がある。
一人称…「私」「僕」「俺」
二人称…「あなた」 ↑個人的には、こんな多いのは苦手だが…(笑)
「私の顔を見ないと寂しい」と言ってくださった皆さんの心の中に、私が生きている意味があるような気がした。
また会いに行こう。
帰り道の藪の中で、ウリ坊たちの声が聞こえたような…。
新しい命が誕生している春。
リズムに合わせ体を整えていく整体的な〝リズミックウォーキング〟というクラスを担当している。
私がプログラミングし、ネーミングもした、大好きなオリジナルプログラム
である。
その大好きなプログラムを作ったのは十数年前。
ながいながい歴史がある。
記憶に残るのは…弁理士に商標登録の相談へ行ったこと。
ふんずりかえって、身体を横に向けたまま、「お弟子制度とか、資格制度にしないのなら商標をとっても意味がない」という粗雑な態度での回答。
なんだか、その態度にかなりムカついて、商標なんかとるものか!と思った。
その時から、弁理士という弁理士が嫌いになった。
嫌いな人と仲良くする人も嫌いになる心理に似ている。
しかし…今思い出してみると、あの時粗雑な態度で回答してくれて、ありがたかったな…と感謝している。
態度は悪いが回答は的を得ていた。
普及活動はしたかったが、資格を与えて教育したり、年会費や教会費を集める家元制ビジネスには興味が無かった。
それはそれで、喜ぶ人も多いのだが、自分は興味が無かったので商標は取らなくて良かったのだ。
その後、何名かの運動指導者から、教えてほしいとの声があり、限定で育成させていただいたり、
ある協会のセミナープレゼンテーターに選抜していただき、何回かのセミナーを通じて育成をしたことがある。
いずれも、資格や家元制ビジネスではなく、あくまでも普及活動。
育成あと、そのままお金を納めなくても〝リズミックウォーキング〟の名前を使っても変えても、そのまんま同じプログラム内容のレッスンをしてもOKの状態にした。
ありがたいことで、全国に育成した方々が、今もなおレッスンを育ててくれていたりする。
しかし、育成したのは何年も前の事だし、型は教えたが、もう既に型を離れ、自分のものにされているだろう。
まさに「守破離」!!
家元制度にしていたほうが良かったんじゃないの?という人もいる。
確かに、その方が普及も早いかもしれないし、商売上手でもある。
しかし、やりたくないことはやらなくていい。
やりたくないことをやって後悔したことは何回もあるが、やりたくないことをやらなかったことを後悔したことは…不思議と1回も無い。
資格やガイドラインの「しばり」は安心だしお守りにはなるが、自分はしばられたくないし、誰かをしばりたくない。
まぁ、早い話、無責任なのかもしれない。→そんなことはないと自分では思いたい
ともあれ、有酸素運動のスタジオレッスンは、指導者が参加者に合わせ、さじ加減しながら自由に組み立てていくからこそ、楽しいものであると思っている。
そんなリズミックウォーキングも10数年前と比べ、お客様と共にだいぶん成長させていただいている。
きっと、あの時育成させていただいた指導者さんのリズミックウォーキングもきっと成長して、その人独自のプログラムになっているはずだ。
今日は北新地でのレッスン。
30分で約3㎞弱歩くのだが、運動量のあるステップを踏みながら歩くから、ただ歩くより強度がある。
〝北新地から造幣局の所にある橋を渡ったくらいの距離をステップ踏んで歩きましたょ!〟と、参加者の皆さんに伝えると…嬉しそうだった。
これからも、自由な羽をつけて、少しずつ成長していきたい。
レッスンでも笑顔の花が咲いた。
気持ちが良くて、帰りの帰宅ランでは最後の1㎞を心臓や肺が飛び出そうな勢いで走った。
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Magic hour in forest
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Magic hour in forest
不自然(人が意識して造った人工の街)と自然(森)を行き来する「現代の参勤交代」
Magic hour in forest と命名。
太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな最も美しい時間帯。
昼でもない夜でもない、どっちつかずの混沌とした世界。
そんなマジックアワーの瞬間に合わせて山に登り、視覚が制限された真っ暗な帰り道を下山する。
走るのではない。
走ってしまえば、意識が自分の目の前の足元や、呼吸や心臓の音にフォーカスしてしまう。
だから、五感を味わい尽くすように、じっくり歩くのだ。
おそらく、今は、情報過多なのか?
視覚へ訴えかける情報が多すぎるのか?
視覚を制限しただけで、普段聞こえない風や木の声、動物たちが動く音が聴こえる。
肌を通り抜ける風を感じる。
植物や獣や土のにおいを感じる。
…普段からどれだけ視覚に頼り切っていたのかわかる。
下山してから、口に運ぶたびに目を閉じて食べたラーメン。
普段から美味しいのだが、目を閉じると味覚に意識が集まり、いつも以上に一段と美味しい。
たまに、自然回帰しよう。
だって、人間も人工的に造られたものではなく、自然なんだから。
次は桜が咲くころにMagic hour in forest‼
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