■侘び寂的な生き方を
朝はサァーッと裏山へ…健康・づくりに。
風にそよぐ葉っぱ達のバックミュージックにのせて、
コゲラたちが木琴をたたき、
メジロご一行が歌をうたう。
静寂な山にほんの数秒広がる音。
一期一会のオーケストラと合唱団がつくりだす、贅沢なコンサートホールに立たせていただいた様でとてもHappyな朝でした
先週よりグンと涼しく感じ、勢い良い青い葉っぱは少し大人っぽい色に落ち着き、もうすぐ秋色。
季節が移り変わっていく様子は、まるで侘び寂の世界。
本当に美しいなと感じます。
おちついて、静かで質素なおもむき。閑寂。
さびとは、古さや静けさ、枯れたものから趣が感じられること。
日本では昔から、閑寂のなかに、奥深いものや豊かなものを感じたり、
静かに枯れていく様子や、貧困と孤独のなかに心の充足や美しさを見出す〝侘び寂の世界〟を大切にしてきました。
これは、人の生き方にも置き換えられるのでしょうか。
しかし、侘び寂の意味を理解するたび、いかに自分は侘び寂に抵抗して生きてきたのだろうか、いやまだ生きているのだろうか…と感じます。
筋肉はいつまでも重力に逆らっていたいけれど、
老いに関しては、木々が静かに枯れていくように、侘び寂的な生き方をしていきたいな…と、山に包まれながら感じました。
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私の大好きな杉浦日向子さんの言葉。
「アンチ・エイジング」。
いつまでも美しくは、ロウ細工の食品サンプルと悟るべし。
つまり、おいしそうなだけのイミテーションだ。
若さ、それは桜の花や、花火と同様、散ってこそ価値がある。
桜が一年中咲きっぱなしなら、ビニールの造花と同じだし、花火が夜空に張り付いたままなら、繁華街のネオンと同じだ。
「若い」は「苦しい」杉浦日向子
心の若さはいつまでも必要だけれど、実年齢を否定するように抵抗した生き方は、きっと苦しいのでしょう。
今朝の野山に、侘び寂を感じながら、
これからどう枯れていこうか…なんて考えてみた朝。
とりあえず、静かに生きよう。