■夏目漱石「こころ」再読了
読書感想文の課題図書の中に
夏目漱石の「こころ」があり、
ひらがなの「こころ」に優しさを感じ
手に取った覚えがある。
予想外でタイトルに反し小説の内容がズシッと重く
「人間は他者には語れない罪や罪悪感を抱えて生きていくものなのか…」と
読み終えた時、後味が悪くて
感想文の筆がなかなか走らなかった記憶がある。
大人になって自分の脚で各地の色んな場所を走り、
「乃木希典陸軍大将」のことを知った。
そういえば「こころ」に
乃木大将のことが出て来たなぁ…なんて
先日読み返してみることになった。
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小説「こころ」は
明治時代の末期が背景となっており
三部構成になっている。
上:先生と私
中:両親と私
下:先生の遺書
中身をザクっと書くならば、
「欲やエゴで人は裏切る。
信じていた人に裏切られるが、
自分も誰かを裏切っている…。
罪悪感と命…。」
そんなことが書かれていたように感じた。
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さて、乃木希典大将の話題に戻るが、
学生時代に「こころ」読んだときは
明治天皇の崩御の翌日に
夫婦で殉死した乃木大将のことが全く理解できなかった。
そして、乃木大将の殉死を受け、
先生も自殺してしまう意味が
それ以上に理解できなかった。
しかし、映画「二百三高地」を観たり、
明治天皇伏見桃山陵の隣に寄り添うように存在する
乃木神社へ行ったあとに「こころ」を読むと、
なぜか?少しだけ理解できたかの様に思う。
(二百三高地:当時の記事→★★★)
(明治天皇伏見桃山陵→乃木神社:当時の記事→★★★)
(北九州:西南戦争で率いた歩兵第十四連隊の石碑→★★★)
乃木大将が
西南戦争で軍旗を奪われたことを気にされていたり
日露戦争で多くの命が犠牲になったのに自分は生きている…
という罪悪感と
自分(先生)が裏切ったことで自殺してしまった友人(K)。
なのに自分は生きている…
という罪悪感を乃木大将に投影し
「罪のこころ」を終りにしたかったのではないか…という推測だ。
自分で命を絶つのは良くない事であるが、
明治の末期は何事も命がけで生きていたことがわかる。
そして、今の時代は責任をとって切腹するようなことは無いけれど
そのぶん人を裏切っても
罪の意識を感じなくなっているのかもしれないと時代の違いと義理人情の軽さを感じた。
最後に、上の章「先生と私」のなかで
先生が言っていた言葉が響く。
〝かつてはその人の膝の前にひざまづいたという記憶が
今度はその人の頭の上に足を乗せさせようとするのです…。〟
今、こういうことは頻繁にあるのかもしれない。