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健康サポートプロジェクト (junko sakata)

フィットネスコーチ。 ウォーキングアドバイザーのエストロゲン子(中の人)です。今よりもHappyになる歩き方を貴女に!〝60分〟で一生ものの歩き方が身につくウォーキングレッスン/ウォーキングやランニング、エアロビックダンスなど、有酸素運動指導30年♡ 健康セミナー・体操監修、雑誌コラム連載中。

エストロゲン子の美活ウォーキング

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[歩く旅・走る旅]ランニングダイアリー Feed

2020年8月12日 (水)

■【番外編:芝大神宮】め組と言えば…

※リアルタイムのログではありません。数日前の記録となります。

人生の門出である結婚式出席のためお江戸入りしていました。
不要不急ではなく、わたしにとっては必要で大切な移動であります。


昼間は炎天…
夜になるとちょいと秋の気配を感じる風。。。
それは、エアコンの室外機からの風だったりして。

まぁまぁ、それはよしとして、
日ごとに秋に近づいている今日この頃ということにしておきやしょう…

お式の時間まで、ひとつランニングでサラリとお江戸めぐりでごぜぇます。

自他ともに、コロナウィルスの感染拡大も心配なところ、
鉄の塊を利用せずに、自分の身体で汗水たらして移動してみましょう。

古くから、江戸っ子に親しまれた芝大神宮へ行ってみることに。



港区芝という都会の中にあるのに1000年の歴史を持つおみやさん。

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伊勢神宮の神様、天照大御神・豊受大御神をお祀りしているので、
なんでも関東のお伊勢様と呼ばれているらしい。


芝大神宮と言えば、め組。
歌舞伎の演目である〝め組の喧嘩〟よりも、
わたしゃ、鈴木雅之とラッツ&スターの〝め組のひと〟を思い出す。


唯一今回ゲットした自分へのおみやげは千木筥(ちぎばこ)。
「千木」が「千着」に通じるそうで、
衣服が増え、良縁に恵まれるそうです。
洋服はもうあまりいらないけれど、ジャージと和服に恵まれますように。
と、さっそく着物ハンガーに吊るしました。

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芝大神宮から東京タワーが見えたはずなのですが、
あまりうろうろせずにランニング終了。

心配のないときに、また詣りに来ましょう。

■【靖国神社参拝】大きな玉ねぎの下でを歌ってしまいました♬

※リアルタイムのログではありません。数日前の記録となります。

人生の門出である結婚式出席のためお江戸入りしていました。
不要不急ではなく、わたしにとっては必要で大切な移動であります。


戦争や死を畏れ(おそれ)、家族を思いあう静かなる場…靖国神社。


参拝してきました。

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早朝6時開門の瞬間。

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ここには、大東亜戦争で戦死した父方の祖父や兄弟、母方の祖父の魂がいます。


映画・永遠の0のストーリーでもあったように、
終戦後は、残された子供は親戚の人やその他の人に育てられることもありました。
今ではあまり考えられないことかもしれませんが、
あの頃は、残った子供を他の人が育てる…という、
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の精神があふれていたような気がします。



〔仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌とは:里見八犬伝の中にも出てくる言葉〕

仁:思いやり、慈しみの心
儀:道理、道徳にかなうこと
礼:守るべき作法、敬うこと
智:物事を正しく判断する力
忠:真心、君主に仕える道
信:あざむかないこと、誠実
孝:父母によく仕えること
悌:兄弟の仲がいいこと



母も親戚に育てられたので、わたしには祖父が3人います。


祖父たちが戦死し、母を育ててくれた育ての祖母や祖父がいたから
おかげさまで、わたしへと命がつながりました。

20代前を辿ると誰でも100万人のご先祖様が応援してくださっているそうです。

先祖へのありがとうと言うこころは大切にしたいです。


2020年は終戦してから75年であることと、
去年1年近代史を追求し戦争を辿ってみたこと、
故郷の護国神社へ行くことはあっても、いつか靖国神社で手を合わせてみたかったこと…
そんなことが重なり、年が明けてから直ぐに靖国神社の永久崇敬奉賛会員になりました。


崇敬奉賛会員になったというと、
右左とか、「え!そこまで…」と敬遠されたり驚かれることもありましたが、

自分で決めたことなので、人の意見や世論に振り回される事はありません。
ただただ平和を祈り家族を思う気持ちでの行動。
お墓参りをする感覚です。


今回、結婚式参列で東京に行く機会を利用させていただき、
滞在中毎日手を合わせさせていただけたことは
とてもありがたいこと。


手を合わせ目を閉じるとフーッと優しい風が吹いて、
祖父たちがよく来たな!って喜んでくれている様でした。
なんだかわからないですが、涙が溢れました。

昇殿参拝は、国のために尽くしてくださった方にただただ感謝の気持ちしか出てきませんでした。
コロナウィルス対策もしっかりされていましたよ。

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零式艦上戦闘機

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ロケット特攻機桜花

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零戦タンブラー…我が家の主にお土産買っちゃいました。

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戦争のご遺品や歴史を展示した遊就館は1日では回り切れず、
じっくり勉強して出直すことに。
戦争に関わった方やオリンピックで活躍した方たちの遺品も興味深いものでした。

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次回の予習のために購入。

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喫茶〝結〟では、海軍カレーを。当時のレシピで作られているそう。

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薄味でしたが、あっさりして美味しかったです。

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喫茶〝結〟では、海軍カレーをいただきました。
アルコールスプレーも準備され、席は1つおき。
マスクを入れる袋までくださった…感染予防対策ばっちりです。


コロナ禍により行動が制限され、回れないところや利用できないものもありましたが、
色んな意味を含めて、早く誰も安心して手を合わせられるようになったらいいなと思います。

早朝、九段下の坂道や武道館がある北の丸公園を走ったのも、
とてもコロナ禍だとは思えないくらい爽やかな朝でよき時間でした。



♬九段下の駅へ向かう人の波
♬僕は一人 涙をうかべて
♬千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば
♬澄んだ空に光る玉ねぎ


爆風スランプの〝大きな玉ねぎの下で〟をうたってしまいましたわ。

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アティックルーム靖国外苑で、ピクチャーラテを…。
靖国さんのお庭を見ながら一息。
私以外誰もいませんでした。
もうすぐ終戦記念日なので、コロナ禍と言えど、ちょっと混む感じになってくるんですかね。

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靖国の桜の標本木。

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2020年7月27日 (月)

■大神神社登拝と明日香村ラン

このBLOGを書きながら、
3ヵ月以上、走るときは1人だということに気付いた。
仕事のこともあり、まだまだワイワイする
集まりはできない状況。





自分以外の誰かと走るのは4月3日ぶり。

周波数の合うお友達とのランニングは、
見たもの感じたものも共有でき、
見たもこと感じたこと気付きをシェアでき、
成長できる。
心も身体もスッキリだ。


■コース:
大神神社参拝~三輪山登拝~明日香村・石舞台古墳~酒船石~天武天皇(大海人皇子)・持統天皇陵 檜隈大内陵~キトラ古墳


大神神社・三輪山登拝

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古代の日本人は、山・川・海・木の自然を神とし力を信じ拝んでいた。

出雲の大国主命の国づくりを助けた大物主神が鎮座されている三輪山は、
山そのものがご神体。

自然の力を信じ、1歩1歩踏みしめながら登拝させていただいた。

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●明日香村

明日香村の石舞台古墳、酒船石、キトラ古墳は宇宙人が造ったんとちゃうか?と感じる造形。

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特にキトラ古墳の壁画は
方角や干支・天文が完璧すぎて人間業じゃないな…と想像してしまう。

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●天武天皇(大海人皇子)・持統天皇陵 檜隈大内陵

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プランの無かった明日香村ラン。
私が気になること頃をピックアップさせていただき、
偶然行けた天武天皇(大海人皇子)と持統天皇陵 檜隈大内陵…。

ご夫婦が一緒という珍しい陵。

天武天皇は壬申の乱で勝利をし、のち日本書紀を作ったり、伊勢神宮を整備したり、政治制度を改革したり…。
ご夫婦そろって律令国家の形成を成し遂げ国の礎を築いた方々。

先日、壬申の乱の地を踏んでいたので、偶然とはいえ、必然のような気がした。

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天気に味方されているお友達と一緒だったんで、
鳥居をくぐる瞬間や参拝の瞬間だけ優しい禊の雨がパラついてあとは晴れ。

確か天気予報は雨に雷マークがいてたのに。
お友達の余得にあずかった1日。
とてもリフレッシュできた。
感謝。

2020年7月20日 (月)

■走る旅:東海道&中山道⑮ 桃配山~第57次・垂井宿~第56次・赤坂宿~金生山~養老鉄道 養老線 東赤坂駅

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。


江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

出張や用事に合わせるので
順番通りにはいきませんが、
西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみよう。

今回は、JR柏原駅からスタートし、
途中、寄り道をしながら、赤坂宿を目指しておおよそ30㎞の旅。

人間一生 物見遊山…
(人が生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためという江戸の人の考え)
沢山見て、感じて、心も身体も動かそう。




今須峠~笹尾山~関ヶ原宿~桃配山の記事からの続きです。

■桃配山~第57次・垂井宿~第56次・赤坂宿~金生山~養老鉄道 養老線 東赤坂駅(15㎞)

関ヶ原の戦いでは、徳川家康が最初に陣を置いた桃配山をあとにして、
第57次・垂井宿を目指します。

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●野上松並木

樹齢300年の松の木が70本続くという、野上松並木。

関ヶ原天然記念物に指定されているそうです。

The・街道という風情。

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●六部地蔵

野上松並木の中に、六部地蔵の立て看板がありました。
どこを探しても無かったのですが、どうも祠(ほこら)の中にあり、
周辺は公園だそうです。
祠は奥でしょうか。

六部とは全国の寺社を厨子(ずし)を背負って巡礼する行者のこと。
「六部地蔵 歯痛治りて 礼参り」
と詠まれ、痛みのひどい病を治すお地蔵さんとして知られていました。

「ひどい」時は、神や仏に頼りたくなるのは、今の時代でも同じですね。

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●垂井一里塚

立派な囲いに守られた一里塚です。

西は、一里塚が残ってない箇所がありましたが、
不破の関を越え東に入ってから

一里塚がどっしりとあるのが嬉しいです。

とくに垂井一里塚は、北は壊れていますが南は完全な形で残っていて、
中山道中で国定指定史跡の一里塚は、
東京都板橋区志村と垂井一里塚の2か所だけだそうです。

旅人は、この垂井一里塚を目印にして先を行ったのですね。
江戸時代に生きた旅人と同じものを目に出来て、うれしいです。

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●日守茶所

中山道の旅人の休憩所です。
もともとは芭蕉ゆかりの地・常盤御膳(ときわごぜん)の墓所に秋風庵を建て、
明治になって垂井一里塚の隣に移したとのこと。

昭和のはじめまで利用されていたそうです。

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●西の見附

垂井宿の西の入り口です。
いよいよ垂井宿に入ります。

垂井町の花は椿だそうで、街のいたるところに椿の絵を見つけ
ほっこりします。


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見附の案内板の横には、歌川広重の垂井の絵。

薄くなってわかりづらいですが、
この西の見附のあたりを描いたようです。

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西の見附の愛宕神社。

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広重の絵のアングル…と思って撮影してみました。

私は西から東を撮影。
しかし…広重は東から西の街並みを描いたようです。

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雨の垂井。
遊女の絵が売られていますな。


●高札場

幕府からの住民や旅人に告知する必要がある重要事項が書いてあるのが高札場。

内容はキリシタンの禁止やニセ金作りや使用の禁止。
親子兄弟の忠孝(ちゅうこう)を守ることなどが書かれています。
※主君に対して忠義を尽くすことと、親に対して孝行をつとめること

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●街並み

垂井宿・お休みどころ長浜屋。
旧旅籠屋です。

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旅籠屋・亀丸屋。

江戸中期から今も営業を続けているそうです。

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垂井宿本陣を見逃しました。
江戸時代に焼失し、歯科医院前に碑が立っているだけのようです。

本陣1・脇本陣1・旅籠27・家数315。

しかし、小さな宿場町ですが、旅籠屋・亀丸屋。
令和になった現在でも存在感がありますね。




●相川の人足渡跡

江戸時代は2通りの川の渡り方があったようです。

1つ目は、川越し人足の手を借りて歩いて渡る方法。
旅人が人足に肩車をしてもらったり、輩台(れんだい)に乗って担がれて渡ります。
これを徒歩(かち)渡しといいます。

もう1つが渡し船を利用するもので、船渡しといいます。

相川は昔から暴れ川で、たびたび洪水がありました。
そのため、人足渡が主流だったそうです。

人足は垂井宿の百姓が務め、

渡川の水量によって渡賃が決められていたようです。
命がけですね。

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●垂井追分道標

中山道と美濃路の追分です。

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●キャプテン翼スタジアム

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●青野一里塚跡

中山道一里塚跡…という道標。
青野の文字は見当たりませんでした。
これかなぁ…

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●昼飯町(ひるいちょう)の由来

如来時の前にある昼飯町の由来の看板。
大阪の海で拾われた如来像が長野の善光寺へ運ばれる途中、
一行がここで昼飯を食べたそうです。

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〝努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る〟

つまり、不満を言う人は暇なんですね。

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●昼飯大塚古墳

ルートを外れて古墳を見に行きました。
1600年前に築かれた岐阜県最大の前方後円墳。
長さが150m・高さ13mです。
とても立派でした。

どなたが眠っているのかはハテナですが、様々な出土品が出ているそうです。

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●兜塚

関ヶ原の戦い前日に、杭瀬川の戦いで命を落とした方の塚です。
手あわせてきました。

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●赤坂宿脇本陣跡
●赤坂宿本陣跡(公園)

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本陣1・脇本陣1・旅籠17・家数292。
こじんまりとした宿場でしたが、江戸時代に引き込まれそうな古い町並み。
素敵でした。

本陣公園には幕末の志士、所郁太郎の像。

この方のこと、…知りませんでした。

大阪の適塾に入門して緒方洪庵に学んだようです。


お医者様でありながら、
高杉晋作とともに長州藩の俗論党を破った人だそうで、
司馬遼太郎が書いた『美濃浪人』に登場しているみたいです。
読んでみたいリストに追加です。

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●金生山(かなぶやま・きんしょうさん)

番外です。

赤坂宿本陣まで行ったあと、
少し西に戻り、金生山へ登ってきました。


写真では平たんに見えますが、
かなりの勾配がある山。

標高は217mと低山ながらも、
走って登るとふくらはぎにきます。
この日の気温が34度で、汗の出具合も多かったせいか?
ふくらはぎがつりそうに…。
山頂を1周回る予定が、上まで登ってから直ぐに引き返しました。

地元の方の話によると、ここは夜景スポットだそうです。
充分神秘的な景色でしたが、
1周ぐるっと回ると、ここは日本なの?という風景が見れるようです。

沢山の化石や鉱物が出るので、化石館もありました。
今はコロナウィルスの影響で閉館中でした。


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神秘的…と言っても山を削ってるやつ。
どんどん形が変わるので、一期一会の風景です。


●町の風景

街道っぽいです。
大きな櫓(やぐら)。

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赤坂港跡。
蛍の像の横に川灯篭がありましたが、
気付かずに…大きな蛍を激写。

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杭瀬川です。

関ヶ原に戦いの前日に杭瀬川の戦いがあり、

西軍が勝った。

こんな小さな杭瀬川で戦があったんですね。

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杭瀬川を越えて美江寺宿方面へ…

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30㎞走って、養老鉄道 養老線 東赤坂駅で終了。

養老線は電車の時間が1時間に2本程度です。
電子カードは使えません。

このあたりから旅ランする時間や、
どの駅で終了するかを考えて行動しないと
電車無いわ…状態になります。

東赤坂駅は無人。

旅ランは、計画的に…ですね。



下調べして、行きたいところをチェックして予習。
旅ランを終えるたびに復習…。
この様に学びながら走ることは、私に合っている様で、
とても楽しく充実しています。

そして、この記事も、
いつか同じように走りながら旅をしたり、
歩きながら旅をする人が見てくれたらな…という気持ちでまとめています。

雨やコロナウィルスが心配ですが、状況に合わせて休憩し、
ゆっくりゆっくり進みましょう。

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【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅:https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi/

■走る旅:東海道&中山道⑭ 今須峠~笹尾山~関ヶ原宿~桃配山

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。


江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

出張や用事に合わせるので
順番通りにはいきませんが、
西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみよう。

今回は、JR柏原駅からスタートし、
途中、寄り道をしながら、赤坂宿を目指しておおよそ30㎞の旅。

人間一生 物見遊山…
(人が生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためという江戸の人の考え)
沢山見て、感じて、心も身体も動かそう。



柏原宿~今須宿~今須峠の記事からの続きです。

■今須峠~笹尾山~第59次 関ヶ原宿~桃配山(約10㎞)


江戸時代、急勾配で大変だったという今須峠を越えて走ると
どんどん関ヶ原に近くなり、
緑も色濃くなっていきます。
戦国武将たちが陣を置いた低山が並んでいるからでしょうか。

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●常盤地蔵

常盤御膳が牛若丸(義経)を思って置かれたお地蔵様…

常盤地蔵の解説板が立っていましたが、
読んでも時系列がよくわからなかったので

ご挨拶だけして走り去りました。

お地蔵様は、旅人を見守ってくれている応援団だと、私は思っています。

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●常盤御膳の墓

奥に進むと、ひっそりとお墓がありました。
常盤御膳はすごい美女で有名です。
今若・乙若・牛若の3人の子供を授かり幸せな生活を送っていましたが、
源氏が戦に破れると生活も一転。
牛若丸(義経)を追い、ここまで来たけれど、
土賊に襲われ亡くなくなったという説。


しかし、小野小町の墓同様、
色んな所にお墓があるそうなので、
史実の真相はわかりません。

疑ってかかるとそれまでですが、
信じることはロマンと想像力を生みますので、信じましょーっと!

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●鶯の滝

5mの滝。
水量が豊かで鶯が鳴くといわれる。
今須を上り下りするときに、旅人の心を癒してくれた場所だったそうです。

昔から、マイナスイオンや川のせせらぎ、鳥のさえずりなど、
1/fゆらぎと呼ばれる自然界の心地のいいリズムに癒されることを
人間本来が知っていたんでしょうね。

旅の疲れが吹き飛びそうです。

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●黒血川

672年の壬申の乱の戦いで大友軍・大海人軍(のちの天武天皇)
両軍の兵士の血が流れ、

黒くなったという川。
この上流の山中で両軍の衝突があったのでしょうか。

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この黒血川をたどって山へ登っていくと
西の軍・石田三成についた、大谷吉継のお墓があります。

大谷吉継はもともとは近江国に生まれ、
敦賀城主・越前国敦賀郡に2万石の領地を持っていました。

白い布で顔を覆い、ちょっとミステリアスな方。
ミステリアスなもの、隠れているもの、そういうものって知りたくなります。
司馬遼太郎原作の映画・関ヶ原でも、
ミステリアスすぎる大谷吉継のことをもっと知りたい!と思いましたもの。


故郷の福井にちなんで、大谷吉継さんのお墓まいりをしたかったですが、
黒血川でサブイボ全開だし、タイムリミットもあるので、
トンネル入り口でご挨拶して走りすぎました。

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●高札場

間の宿・山中 高札場。

高札場は、幕府が住民や旅人に対して
告知する必要がある重要事項・ルールが掲げられているところです。
少なくても宿場には1つは高札場があったようです。

どんどん建物や設備、宿場生活など…
中山道のことがわかるようになってきました。うれしい。

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●藤古川

関の藤川と呼ばれていたそうです。
壬申の乱では、川を挟んで東が大海人軍、西が大友軍が陣を置いたそうです。

大海人皇子はのちの天武天皇、大友皇子は弘文天皇。
二人とも天智天皇の息子さんです。

歴史上最大の兄弟ケンカ…。

壬申の乱をざっくり簡単に書いてみます。

【壬申の乱】

天智天皇の時代、朝鮮半島では国の統一めぐる争いが起きていました。
以前から日本と友好関係にあった百済が、唐と新羅の連合軍に滅ぼされてしまいます。

天智天皇が崩御した後、新羅が逆襲してくるかも…と思った大友皇子が、
九州大宰府や山陰にトリデをつくり、国や豪族に負担をかけてたのを
大海人皇子がみかねて戦ったという。(672年)

結果、大海人皇子が勝利し、天武天皇となりましたが、
日本書紀を作ったり、伊勢神宮を整備したり、
政治制度を改革したり…
壬申の乱は、のちの日本を作っていく契機だったのは
間違いありません。

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●不破関守址
●不破関址

壬申の乱をきっかけにつくられた関所で、
ここを境に西と東を分けて呼ぶようになりました。

いわゆる元祖・天下分け目の場所。
わたしも、いよいよ東に足を踏み込みます。

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●関ヶ原の戦い開戦地

中山道をそれ、1㎞程度走ると関ヶ原の戦いの開戦地です。

ここへ来るまでに、島津家の陣もあり、
それはそれは…関ヶ原の戦いにまつわるスポットだらけで
走りすぎるにはもったいない場所です。

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【関ヶ原の戦い】

1600年、関ヶ原の戦い。
豊臣秀吉が死んだ後の権力をめぐって石田三成が率いる西軍と、
徳川家康が率いる東軍が戦いました。
兵力は西軍85000人、東軍は88000人と大きな差はありませんでしたが、
小早川秀秋による裏切りや、
毛利家を中心とした西軍の主力部隊が戦いに参加しなかったため、
西軍は次第に不利な状況に追い込まれ、数時間程度で東軍の勝利となった戦。

戦いのあと、徳川幕府の成立によって全国統一の幕府体制になり、
この戦も今の日本を作ってきた大きな契機となりました。

1600年9月15日

午前8時:東軍の井伊・松平が、西軍の宇喜多隊に発砲し開戦。

正午:小早川が寝返り大谷隊へ攻撃開始。さらに脇坂隊も寝返る。
大谷隊壊滅、大谷吉継は自刃。

石田三成、宇喜多秀家、小西行長らは
伊吹山山中に敗走し、西軍総崩れ。

午後4時ごろ:雨が降り、戦が終わる…


↓この地で、開戦されました。



司馬遼太郎が書いた関ヶ原の様に、
小早川秀秋が本当に裏切ったのか…真実はわかりませんが、
もしも西軍が勝っていたら、
今の日本とは大きく変わっていたんでしょうね。

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山の向こうに南に走る伊勢街道、
手前に北へ延びる北国街道と…
中山道の東西と…
東西南北が交差する何かが集まるスポットなんだなぁ…と改めて感じました。



●関ヶ原古戦場

開戦場から600~700mほど走ると、古戦場があります。

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そして、200m先くらいに石田三成の陣地・笹尾山です。

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登ってみました。

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東軍の陣地がよく見渡せます。

三成も420年前、ここからこの風景を見ていたのでしょうか。



●西首塚

首塚は西と東と2つあります。
関ヶ原の戦いで亡くなった多くの方がまつられています。

手を合わせた時、木の方向からものすごい勢いで
コガネムシみたいなのがぶつかってきました。

まるで、兜や鎧をつけた兵士のようでほっこりしました。

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●関ヶ原宿脇本陣跡

本陣1、脇本陣1、旅籠33、家数269。
わりと大きな宿場です。
写真の脇本陣は、ふつうにどなたかの家で、写真を撮るのに気が引けました。
お宅の名前が入った郵便ポストを外して撮影しています。

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●桃配山・徳川家康最初陣地

国道21号線は桃配山の手前で二股に分かれます。
旧中山道を行くので、東海道本線近くの道に入るのですが、
どうしても行きたかった桃配山は21号線沿い。
ルートを外れて、登ってみました。

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壬申の乱では、大海人皇子が最終決戦で兵士に桃配山の山桃を配って士気を高めました。
関ヶ原に戦いでは、徳川家康が験担ぎで最初の陣を桃配山に置きました。

人が力を合わせて何かを成し遂げるときの
パワーが眠る場所なのかもしれません。

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家康の机か椅子。どっちがどっちかわかりませんが、
石に座っていたようです。

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桃配山からは、開戦地や決戦地となる天下分け目の地が良く見えます。
420年前、家康はここからこの景色を見ていたのでしょうか。


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関ヶ原…

国の行方を左右する画期が2度も中山道上で行われたのは何の因縁かわかりませんが、
日本のおへそ…というか、
東西南北が交差する場は天下分け目となるパワーが集まるのでしょうね。


今年2020年の干支である庚子は、
関ケ原の戦いがあった年と同じです。

2020年の現在は、コロナウィルスという見えない敵ではあるけれど、
関ヶ原の戦いの様に色々戦っているので、
壬申の乱と関ヶ原の戦いの地に来て、
先達からインスピレーションいただきたいなと思っておりました。

貴重な経験をさせていただきました。



旧中山道にもどり、松並木を駆け抜け垂井宿目指して東へと進みます。

【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

■走る旅:東海道&中山道⑬ 柏原宿~今須宿~今須峠

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。


江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

出張や用事に合わせるので
順番通りにはいきませんが、
西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみよう。

今回は、JR柏原駅からスタートし、
途中、寄り道をしながら、赤坂宿を目指しておおよそ30㎞の旅。

人間一生 物見遊山…
(人が生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためという江戸の人の考え)
沢山見て、感じて、心も身体も動かそう。



醒井宿~柏原宿からの続きです。

■柏原宿~第59次 今須宿(約5㎞)

●スタート:

スタートはJR柏原宿前の三丁目キッチンから。
前回食べたワッフルがとても美味しかったなぁ…。
朝早いのでまだOPENしておりません。


■三丁目キッチンお店情報:
〒521-0202
滋賀県米原市柏原867

■営業時間:8:00~18:00

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三丁目キッチンから、中山道を東に向かって走りますが、

毎回験担ぎで、スタート近くの神社かお地蔵様に
走る旅の安全祈願をしてから走り始めます。

●柏原・八幡神社:

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八幡神社が近いので、八幡様にご挨拶させていただきました。
八幡神社は全国に約44,000社ほどありますが、
今回のコース上にもたくさんありました。

柏原の八幡宮のご祭神は、

  • 譽田別尊…八幡神として知られ文武の神として信仰されています。
  • 玉依姫命…神道の女神で、水の神、聖母神として信仰されています。ご利益は、安産、子宝祈願、厄除け、開運。
  • 神攻皇后…第14第天皇である仲哀天皇の皇后です。

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松尾芭蕉の(桃青)句文碑が残されています。

松尾芭蕉は1689年、敦賀から奥の細道の最終地の大垣へと歩いていた途中、
雄大な伊吹山を見て一句詠んでいます。


〝戸を開けはにしに
山有いふきといふ花にもよらす雪にもよらす
只これ孤山の徳あり
其まゝよ
月もたのまし
伊吹山〟

その席で伊吹山は、花や雪や月がなくても、ただそのまま見てるだけで、
立派な眺め賞し得る山容を備えている
…という一句です。


●街並み:

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東見附跡。柏原宿の東の入り口。
見附とは城門のことで宿場用語のこと。

ここで、宿場や旅人の安全を確保するための見張りをしていたんですね。


●照手姫笠掛地蔵

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照手姫とは、仏教説話「小栗判官・照手姫」に登場する女性。

半死半生の小栗判官を車に乗せ、
ここを通ったところ、道端にお地蔵さんを見つけ、
自らの笠を被せてお祈りしたら、お告げが。
お告げで熊野へ行った…そんな物語。

私へのお告げはありませんでしたが、旅路をやさしく見守ってくれました。


これまでの中山道の道中も、
宿場に入ってくるときや出るときも、
たくさんのお地蔵さんがあるのですが、
旅人や宿場の人の安全を見守っているそうです。
ありがたいです。


私は、1人で走っていますが、
お地蔵さんが沿道で応援してくださっている人のようなので、心強いです。



●たけくらべ

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たけくらべとは、楓並木のこと。

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楓並木の中は、本当に涼しいんです。
色は実際にはないですが、ひんやりとした青い風を全身に受けているような感覚。

この楓は秋になったら真っ赤になって美しいんだろうな。
今度は赤い風を全身に受けるんだろうか。



しかし、まったくもって誰もいません。

駅は無人だし、有人駅は対面できないような対策でインターホン越しに会話だし…
新しい生活様式とは言いますが、
もうどっしりと個の世界が日常生活になっている…そんな感じがしました。

この走る旅シリーズも、
個で走っても、楽しく続けられる
新しいランニングスタイルの提案の
一環として取り組んでおります。



●寝物語の里

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走って国境越え。

近江と美濃、両国の国境は幅一尺五寸の溝なんですよ。
ここに家が連続してあり、
国と薄い壁を隔てて隣人同士が寝物語をしたそうな。

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今では考えられないですね。

話し声や騒ぎ声を聞いたら、うるさい!なんて怒鳴りこみそうですもの。
いいような、悪いような、古き良き時代です。

そういえば、江戸の書籍を読んでいたら、こう書いてありました。

江戸時代の特に長屋は壁が薄く、
プライバシーなんてない代わりに、
何かがあったら隣人がすぐに跳んで来れる。
かえって災い防止になっていたそうです。

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そしてこの国境は、歌川広重が絵にかいた場所なのかな…とも思います。

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歌川広重の絵には、江濃両国境と書いてあり、
家がぎゅうぎゅうに並んでいます。

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これが初代標柱の基礎石。
絵にかいてある標柱なのでしょうか。

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歌川広重が描いた今須の絵のアングルで写真を撮ってみました。
昔は絵の様に旅人が行き交っていたんでしょうね。

今は、国道と鉄道、
そして人を運ぶ乗り物に手段が変わってしまいましたので
中山道で人とすれ違うことはほとんどありません。

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石田三成の旗。
関ヶ原に近づいているというワクワク感と、
戦いに参戦して戦地に向かっている様なドキドキ感が高まります。


大一大万大吉…この意味は
「1人が万民のために、万民は1人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」という。
ほんまそう思う。


●車返し坂

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不破の関屋が荒れ果てて、屋根から漏れる月の光が面白いと聞き、
都から公家の二条良基がやってきたけれど、
この坂道の途中で屋根を直したと聞き、引き返してしまったエピソードから
つけられた坂の名前。

不破の関屋までは、あと少しだったのに。
本当に二条良基の目的が、
月の光を面白がりに行くことだったんですね。

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さぁー!!関ヶ原の戦いに参戦した西軍の旗がちらほら。
大谷吉継は福井の敦賀城の城主ですが、
うちの福井の実家の家紋も鷹の羽の。大谷家と同じ家紋です。
なんか、お墓参りに来た感覚で、懐かしいです。



●青坂山 妙應寺(みょうおうじ)

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この奥にある青坂山に向かって寄り道。

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トンネルは2つくぐります。

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すると、ドーン!
山門に菊のご紋の扉。

かつてあった日本の宮家の一つ、
伏見宮家の方々がお参りしたそうです。

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不破郡関ケ原、青坂山 妙應寺(みょうおうじ)
岐阜県内最古の曹洞宗のお寺です。

江戸時代中ごろに居益村に大飢饉が起こり、
飢饉を乗り越えるには、今こそ人々の心を一つにす(須)べからく、
前向きに生きていくことが大切と、居益から今須に郷名を変え乗り越えたそう。

なんて素敵なんだろう。
文字や言葉には魂が宿りますね。

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妙應寺には、関ケ原の戦い後、
佐和山城攻めの途中で腰掛けたとされる石・徳川家康腰掛石があります。
家康が大切にした運鈍根の生き方。

運・鈍・根とは、
立身・成功の三条件として考える「好運に恵まれること、才走らずこつこつ努めること、および根気よい」こと。

腰掛石に座り〝嬉しい、楽しい、ありがたい、運・鈍・根〟と3回唱えると幸せになれるそう。

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家康公はここに座っていたのですね。
〝嬉しい、楽しい、ありがたい、運・鈍・根〟と3回唱えてみました。

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美しい境内。
水の流れはずっと見ていても飽きないです。

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立派な鬼瓦です。
中にお地蔵さん。

寺社仏閣の神様・仏様の中で、
お地蔵さんとお稲荷さんだけ、
「お」と「さん」が同時につきます。

それくらい、なじみ深く親しみやすい
庶民に近しい神様仏様なのでしょう。

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稲を荷う田の神様。
とても美形のお稲荷さんが2体、「阿吽」の呼吸でお揃いでした。

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さざれ石もありました。
さざれ石は、日本の国歌「君が代」の中にも出てきます。

さざれ石とは、細かい石のことです。

君が代では小さな石が集まり、やがて大きな岩になるくらい
長く永遠に反映しますようにという願いを込めている説があります。

日本の言の葉は、本当に美しいです。

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お寺を後にするとき、こんな言葉が目に留まりました。

〝なすべきことをしていけば
自然と結果はよくなる〟

共感します。
運・鈍・根の精神で、コツコツと。


■青坂山 妙應寺(みょうおうじ)の所在地:
〒503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町大字大字今須2591‐1

※COVIT‐19の影響で、お参りはできても、拝観の扉は閉まっている可能性があります。
この日は早朝ということもあったのか閉まっていました。

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●今須一里塚

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復元だそうですが、ちゃんと木が植えられてあり小高い塚になっています。
滋賀の一里塚は気付かないくらい気配が無かったので、
ちょっと感動しました。

一里塚とは、一里毎(3.93km・約4km)にある塚のことです。
目的地までの距離の目安になるので、
一里塚を理解してからは、目印にして走っています。


●今須峠

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今は整備されていますが、江戸時代は急勾配で超えるのが大変な峠だったとか。

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さてさて、スタートしてから5㎞ほどなのに、史跡だらけ。
あと25㎞…先を進むのが楽しみです。

いよいよ日本歴史上の二大『天下分け目』の決戦地。
壬申の乱と関ヶ原の戦いの地へと足を踏み入れます。
続きはまた後日。

【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

2020年7月17日 (金)

■年齢とともに変わる運動処方

急に半月板を損傷し、歩けなくなった…というお客様に久しぶりにお会いして、
運動処方についてお話をさせていただきました。

運動処方とは:

を向上させるための運動の

頻度(F:frequency)
強度(I:intensity)
持続時間(T:time or duration)
運動の種類(T:type of exercise)を規定すること。

これらをFITTの原則という。

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半月板とは…

半月板は、

膝関節の中で大腿骨と脛骨の間にあるC型をした軟骨様の板です。
内側と外側にそれぞれ一つずつあり、関節に加わる体重の負荷を分散させる役割と、関節の位置を安定にする働きをしています。


半月板損傷の原因は、いろいろありますが、

●半月板は、年齢を重ねるにつれ、摩耗しすり減り、なくなっていくこと。
※高齢の運動愛好家やランナーでは、大きな衝撃なしでも起こる場合がある。

●筋肉の萎縮により、膝を守る役割の腿が衝撃やねじれなどに耐えられなくなっていくこと。

●スポーツ時などに、ひねりやジャンプなどの衝撃がかかると半月板損傷が起こりことがあること。
※ランニング時の、膝の曲げ伸ばしの繰り返し動作でも起こる場合がある。


とにもかくにも、
運動をしなさ過ぎても半月板損傷を起こすこともありますが、
オーバーユース(使いすぎ)でも起こることがあるのです。


年齢を重ねるほど、
骨に衝撃が加わる運動をしたら、ストレッチや筋トレを並行し、
バランスよく鍛えてくことよ、
適度な運動が必要ですね。


一生自分の脚で、行きたいところに行く。
自分の脚で立つ、歩く…。
それを人生のゴールにする場合は、
年齢とともに、運動の強度や持続時間、頻度、種類について見直す必要があるかもしれません。


1日も早い回復をお祈りするとともに、
自分も、運動の強度や時間、頻度、種類(運動処方)を見直したいと思います。

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職場からの帰宅ラン。
マスクをつけてのランニング…ということや、

私の場合、人生のゴールが、
一生自分の脚で、行きたいところに行く。
自分の脚で立つ、歩く…なので、


強度を押さえています。
今年に入ってから、マイペースでの運動と、
走る場合は、ほとんどスロージョグ。
そして筋トレとストレッチ。



ゆっくりのスピードだから
周りの景色が良く目に留まります。

亀さんは仲良く蓮の葉であいあい傘heart04ですね。

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花は紫陽花からひまわりに変わりました。

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季節は、前に進んでいます。

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今年に入って、認知症の予防も。
対策で、日記や読書ノートを手書きでつけたり、
手芸や着付け、音読など。

今日はちりめん細工で髪飾りを作りました。
花も季節によって変わっているので、次は朝顔を作ろうと思います。


身体は魂の宝箱。
大切に使わせていただきますよ。

2020年7月 1日 (水)

■走る旅:東海道&中山道[12] 醒井~柏原宿 #ランニング

〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。


京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。


今回は、JR南彦根からスタートし、
高宮から柏原宿を目指しておおよそ28㎞の旅。

この記事は、
番場宿~醒井宿からの続きです。


[中山道を走る旅 アーカイブはこちら]→
https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

■醒井宿~第60次 柏原宿(5.5㎞)

●醒井宿

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醒井宿は日本武尊伝説が残り、
中山道と並行して流れる清流には、珍しい動植物が生息していて、
宿場に足を踏み入れた時は、まるで小さな楽園を見つけた様な感覚になりました。


数百年前、中山道を旅した先達も同じような感じになったのかと想像するだけで
心の中でポップコーンがパチパチはじける様。

小さな楽園・醒ヶ井宿を後にし、次に向かうは第60次 柏原宿です。
いよいよ60番台、近江最後の宿場となります。



●見附跡・桝形


醒井宿の東西には見附と呼ばれる番所が設けられたそう。

見附までは876m。
小さくて短い宿場でした。

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写真を見ると桝形です。防犯・安全対策ですね。敵の侵入を防ぐ工夫です。
よく、城郭で見られる桝形虎口のようです。

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坂を駆け上がると伊吹山が綺麗に見えます。

どっしりしていて、何もものを言わずとし、
何かに気付かせ、
厳しくも優しくもある、
美濃の神様ですね。


●一色一里塚跡

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塚の名残はなく、石碑だけでした。


●天野川源流菖蒲池跡地

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今は涸れていますが、ここを源流とする水は天野川の水源だったようです。



●旧中山道

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山道に入ったり道路に出たり…です。

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動物除けの柵を開いて進みます。


●古い道標

薬師道道標です。

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漢字、ひらがな・変体仮名の3体で書かれています。
享保2年・1717年のもの。


●街道並び松

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江戸時代の人は、松並木のことを並び松と言っていたそうです。

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この松の木が作る木陰がとても心地がいい。
松の寿命は300年。
この先も続くと良いです。

未来への子供に、原風景を残せるのは、現代を生きる私たちでしかないですね。

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●自現境川

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水の流れを見ると、心癒されます。
その場にとどまらない、清らかさ。

時は流れている
風は流れている
水は流れている

常に変化する…それを世の常とし、物事を考え向かい合っていきたいです。



●柏原一里塚

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この一里塚は素晴らしいです。
…と思ったら平成15年に復元したものだそうです。

ほんまに諸行無常。
よく目に焼き付けておこう。

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宿場に入ってきたかー!



●旅籠屋

旅籠屋とは一般の旅行客が宿泊した場所。
1泊2食付きが基本だそうです。

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立派ですね。


●年寄

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武家で、政務にあずかる重臣。
室町幕府の評定衆・引付衆、江戸幕府の老中、大名の家老など。


●薬師道道標

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薬師道への案内がここにもありましたね。


●艾屋

伊吹山山麓にある柏原宿。
どっしりとした姿を拝見できる宿場。

伊吹山は胆吹山とも書きます。
古語で呼吸のことを息吹(いぶき)と言います。
絶えず風や雲を息吹き、山からおろしている伊吹山。
古代人の山岳信仰は、山からおろしてくる風を神の息吹としていました。

だからか伊吹山山麓の柏原は、薬草が多く、
伊吹山のヨモギで作ったモグサが名産。

伊吹山へ走りに行った後に、毎回薬草風呂に入って帰っていましたが、
柏原の存在で、薬草風呂と伊吹山の繋がりをようやく理解しました。

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柏原宿にあるモグサ屋は、今はあまり残っていないが、どこも亀屋の屋号。
互いに足を引っ張らないと言う近江商人の優しさや配慮を感じます。
屋号の亀屋は、鶴は千年、亀は万年。
亀の長寿と言うおめでたいイメージにあやかってかな。
何を隠そう我が健康事業のマークも、そんな理由で鶴亀を使わせていただいています。

宝永六年(1709年)のころ、市川団十郎が伊吹モグサの狂言をしてから、モグサが全国へと広がった様ですが、元祖亀屋の七兵衛さんの時代はまだ周知されてなく、
自分の足で西に北に東へと天秤棒をかついて売り歩き宣伝。
利益が出ると吉原遊郭へ行って散財。

↑遊郭の女性に、これから毎晩モグサの歌をお客の宴で歌うように頼んだと。
コマソン♬ですね。

すごい商人魂。

人間らしい。今でもドラマでありそう…

街道は、人との暮らしと共にあり、人情味に溢れ、
先人の人生を少し垣間見れ、実に面白いですね。


●柏原宿歴史館・喫茶柏

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レトロで素敵な街並み。柏原宿と書いてありますが、本陣まではあと1㎞くらいあります。

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1917年に染料の商いで財をなした松浦氏が建てたもの。
平成10年に改装し、今は資料館として残ります。
中には貴重な歴史資料が残ります。

ただし、月曜日が休みとなっていて
私が訪れたのはちょうど月曜だったので、また宿題をいただきました。

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喫茶柏。
歴史資料館の中にあります。


ここのヤイトうどんを目的に来ましたが、
前日、インターネットで調べてみたら休館日ということを知り、ガックリ。

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ヤイトうどんはこんな感じ。

とろろ昆布を艾に見立てて、紅ショウガを火に見立てて、
アツアツでふぅふぅして食べるやつ。
残念でした(笑)

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先を進んで、見つけた私の好きな言葉。
安岡正篤先生もよく本の中で語り掛けてくれた
天台宗の開祖・最澄が説いた言葉です。柏原宿までの道中に成菩提院があったのですが、最澄が薬師如来を安置して健立しました。それにちなんでの言葉ですかね。


「一燈照隅」

まず自分がいる場所を明るく照らせる人間になろう。
おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らすことをしよう。

この言葉には続きがあって「万燈照国」が続きます。
1人1人が一隅を照らすことで万となって国が輝く…。


大切にしたい言葉です。

沢山の人を輝かせるなんてことはできませんが、
せめて対面、関わる方には、このような精神で居たいです。

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なんだか懐かしい風景。
コンクリートジャングルに飽きてきたのかな…(笑)このような風景に惹かれます。

とどまらずに、
コンクリートジャングルと、
本当のジャングルの間で
揺らいでいるのが
心地いです。




●高札場

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幕府から住民や旅人に告知するおきてを置いた場所。


●柏原宿本陣

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本陣1・脇本陣1・旅籠22・家数344と、
非常に小さな宿場ですが、
冬場は雪も積もり、長距離を歩くのも大変なので、
醒井宿から5㎞地点においてくれる宿場の存在は
旅人たちにとって、きっとありがたかったですね。

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皇女・和宮親子…お泊りになられたようです。
名前は知っていたけれど、生涯は良く知りませんでした。

仁孝天皇の皇女8番目の娘として京都に生まれ、
6歳の時、11歳年上の有栖川宮熾仁親王と婚約したけれど、

幕府は、和宮を将軍徳川家茂の正室に迎え入れたいとの願書を朝廷に上奏。
孝明天皇は幕府が攘夷実行することを条件にこれを受諾。。。

16歳の和宮は御所を出て中山道経由で江戸へ。
花嫁行列は50mにおよんだそう。
御所から出た翌月に江戸へ到着…

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当時の女性にとって、恋愛結婚のような自由はなかったのですね。

和宮親子がどのような心境で江戸に向かわれたのか?
その1ヵ月を中山道でどのように過ごされたのか?
興味があります。

またこの先も和宮親子の足跡に出会えるでしょう。

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広重の絵。
艾屋・亀屋前。→先ほど紹介した艾屋。今は空き地となっている場所ですね。

亀屋では茶屋も兼業していたそうで、
艾は当時治療薬だったそうです。
人足が持つ荷物は艾なのかな。


●三丁目キッチン

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柏原駅の前にあります。
オムライスとシフォンケーキが一押しだそうで、

電車の時間までに食べれるな…とシフォンケーキをいただきました。

この日はじめて飲んだコーヒーが体中に染み渡っていったのと、
シフォンケーキのふわふわした優しさが、
今日もお疲れさまでした!と語り掛けてくれている様でした。
とにかくおいしかった。


●柏原駅

電車は1時間に2本しかありません。

私より中山道の先を歩く人生の先輩が、
あらかじめ
電車情報を教えてくれていました。
調べて行ってよかったです。
Nさん、ありがとうございます。

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駅から伊吹山がドーン!
走って行けそうです。

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今回の走る旅も、いろんなことに気付き、
1歩1歩自信がついてきています。

ありがたい。

自分の脚で走っていける旅、今回も走らせてくださってありがとうございました。

■走る旅:東海道&中山道⑪ 番場宿~醒井宿 #ランニング

〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。


京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…


今回は、JR南彦根からスタートし、
高宮から柏原宿を目指しておおよそ28㎞のランニングの旅。


鳥居本から番場宿からの続きです。

■番場宿~第61次 醒井宿(4km)

●番場宿

山を切ったり削ったりして道を作った切り通しの番場宿は山間にあるので
810mととても短かい宿場町でした。

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番場宿を後にして、醒井(醒ヶ井)へ向かいます。

醒井への道中は、とても心がワクワクしました。
司馬遼太郎さんの『街道をゆく~近江散歩~』の言葉を借りるのであれば

〝胸の中でシャボン玉が舞い上がっていくようにうれしくなる〟

そんな気分でした。
こうやってログをタイピングして振り返ってるだけでもウットリしています(笑)





●桜楓並木道

この並木道は、春は桜が咲き、
花びらがヒラヒラ舞い落ちる様子が見られるんでしょうね。


並木道は東海道や中山道のあちこちにあったようですが、
杉は1000年、松は300年の寿命。
松くい虫や排気ガスなどによってどんどん木の命も短くなっている様で、
今はほとんど残っていないそう。

確か桜は100年くらいの寿命だったと思うので、
きっと代々植え替えてくださっている人がいらっしゃるのでしょう。
ありがたいです。

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並木道は、旅の道中を快適にするよう
夏の日差しと冬の冷風を遮るため
幕府が街道への植樹を奨励して生まれたもの。

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並木道を走ると、近江の広い空から降ってくる強い太陽の光をカバーしてくれ
ここだけ温度が違うのではないか?と思うくらい涼しいです。

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もちろん人も少なく視界も悪いので、こんな看板も!
『Hマン出るぞ』
気を付けましょう!


●久礼一里塚碑

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久礼は〝くれ〟と読みます。
一里塚は旅行者の目印として一里ごとに植えられていますから、
宿場まで一里ですね。3.927㎞ほどです。
がんばりましょう。

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用水です。
水が流れていると、心が穏やかになります。
隣に流れる天野川からの水ですかね。

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関ヶ原まで高速道路では14㎞。
中山道を走っても、おおよそ同じ距離かな。

京都から滋賀へ。そしてもうすぐ滋賀から岐阜に入りますよ。


●西行水・泡子塚

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東国への旅の途中に西行法師が、
ここにあった茶店に立ち寄ってお茶を飲み、
法師が飲み残したお茶の泡を飲んだ茶店の娘が不思議なことに懐妊し男の子を出産。

帰路にこの話を聞いた西行が「もしわが子なら元の泡に返れ」と念じると、
子はたちまち消えて元の泡になったことから泡子塚を作ったそうです。



●地蔵川

白い梅のような花を咲かせる梅花藻がいっぱい。
ハリヨというお魚も生息します。

鍾乳洞から流れる水は1年じゅう15度を保たれています。
梅花藻もハリヨも冷たい清流でか生息できないそうです。

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●十王水

民家裏の山麓から沸きでる水。

醒ヶ井も山間にあるので、水がとてもきれいです。

水が綺麗なのは、山が綺麗なんでしょうね。
このあたりの山は人があまり入らなさそうですもの。

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●梅花藻

梅花藻は、キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草の水草。
水温が年間を通して14℃前後の清水に群生する多年草の水草。
5月中旬〜9月頃にかけて梅の花に似た小さな花をつけ
梅雨明け頃〜8月下旬。

これからが見ごろなんですね。

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可憐な花を咲かせて、清流でゆらゆら揺れています。

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これはハリヨではなさそうですが、お魚も生きてますね。
水が透明で澄んでいて…
ため息が出るような美しい宿場。


●ヤマキ醤油

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創業100年。醒井の清流でできたお醤油です。

ちかくに清流を見ながら食事ができるお店もあるので、
またゆっくり訪れたい場所です。

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●居醒の清水の日本武尊像

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この像の下に居醒の清水があります。

日本武尊が伊吹山にあらぶる神を退治に行って
気を失って下山し…って、
気を失ったのにどうやって下山するのだ?と突っ込みたくなりますが、

ここの水で覚醒し、気を取り戻したという話…


●加茂神社

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お祀りされている神様は、別雷神。
雷様ですね。

だからか?天雨・治水の神、農業の神として信仰されています。
ご利益は、農業の守護・雨乞い・開運・厄除け。

何だったか忘れたけれど、
〝電信とか電気とか、雷と相性がよく、影響を与える力がある〟
から、電気に乗せる言葉…伝えることを大切にすると良いよ!とアドバイスいただいたことがあります。

雷様だからか?ビビビ!ときました。
また会いに来ようと思います。



●醒井宿本陣

本陣は今は料亭だそうで…
解らずしまいで通り過ぎました。
これは、また醒井にゆっくり来なさいよ!と日本武尊や雷神様が言っている気がします。

本陣1、脇本陣1、旅籠11、家数138…と、
とても小さな宿場ですが、古い家屋が残り、水が流れ、緑豊かな原風景が残っています。
しかと目に焼き付けておきたい場。

今でも目を閉じれば、地蔵川のキラキラとした水面を思い出します。

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のちに望月義也さんの広重の木曽街道六十九次を購入し、
調べてみると…

醒井には「三水四石」と呼ばれる名勝があるそう…

・居醒の清水
・十王水
・西行水
日本武尊の…
・腰かけ石
・蟹石
・鞍掛石
・影向

次に訪れる機会をいただけるなら、名勝も見て回りたいです。

今回走った高宮からの28㎞は、
見どころがいっぱいあって一気に走るのは勿体ないです。


自分の走る目的が、距離を走り、早くゴールを目指すのであれば、
通り過ぎるのも良いですが私の走る意味も目的もそうではない…

先達が生きた跡に触れ感謝し、気付き、感じ、受け取りたい。

そんなことを思います。

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醒井を抜けると、正面に伊吹山がドーン!
写真では伝わりませんが圧巻ですよ。
そして伊吹山の山麓まで自分の脚できたことに喜びを感じます。


この国道21号線を走れば楽だけれど、
風景だけ拝んだら、
先達が行き交った中山道へ戻る…


桝形になっている見附跡の坂を駆け上がります。
次は第60次柏原宿を目指します。

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2020年6月30日 (火)

■走る旅:東海道&中山道⑩ 鳥居本宿~番場宿

京都三条大橋から、お江戸日本橋まで。
東海道&中山道69次。

江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。

東海道が太平洋の海岸沿いを通るので「海道」
対して中山道は、東の山中を通過するので「中山道」
東海道とともに日本の二大幹線道で、中山道は近世以前から「東山道」と呼ばれ
西国と東国を結ぶ主要道でした。

▼中山道:
江戸・日本橋~東海道・草津宿の67継立(67次)
草津宿と大津宿を含めて69次という場合もある。
このログ上では、69次135里24丁8間(約540km)で表記します。

出張や用事に合わせるので
順番通りにはいきませんが、
西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみよう。

今回は、JR南彦根からスタートし、
高宮から柏原宿を目指しておおよそ28㎞の旅。

高宮から鳥居本宿までの続きです。

鳥居本から番場宿へ向かいます。

■鳥居本宿~第62次 番場宿(5.5㎞)

●摺針峠

摺針峠は、大小2つの峠を越えます。

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望湖堂は、摺針峠の好展望地に設けた彦根藩の茶屋本陣。
ここへ上がっていくと琵琶湖が一望出来ます。
⑨の、天寧寺で長居してしまったので、先を急ぎますが、
なるべくなら外したくなかったスポットです。

高宮から柏原までは、見どころがたくさんあって、
取捨選択しないとなかなか前に進みません。


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山道に入ってきます。
梅雨の期間なので、ぬかるみもあります。
中山道を走るとき、シューズをどれにしようか考えてしまいます。

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木が日差しを遮って、の消耗を少しだけおさえてくれました。

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獣道のような…。
蜘蛛の巣もいっぱい。
道があっているか不安になります。

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山道になったり、ロードに出たり…

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高宮~柏原までのルートでは、
鳥居本から番場宿までの摺針峠が一番きつかったかな。


●摺針一里塚跡

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今は跡地の碑が立っていますが
昭和中期までは塚が残っていたそうです。
歴史的な地形や作りも、諸行無常ですね。


●摺針峠

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摺針という名は、弘法大師説によれば、
老婆が斧を摺って針にしていたことからつけられたようです。


●泰平水

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高速道路と隣り合わせで走ります。
当然ですが、自販機もお店も人の気配も…何もありません。


泰平水は、旅人の喉を潤していたんでしょうか。


●番場宿

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西番場。
番場宿の宿場町に入ってきました。
このあたりから、青龍滝と鎌刃城跡へ2㎞で行けますが、

山麓ふもとの扉が閉まっていました。


●番場宿資料館

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番場宿ぶらり旅というパンフレットをいただきました。
募金箱にお金を入れて一部いただきます。


●蓮華寺

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第14代執権・北条高時が事実上の実権を握る鎌倉幕府に対し、
楠木正成らとともに倒幕ののろしを挙げた第96代後醍醐天皇の軍に攻撃され
六波羅探題北方と北条仲時、一行432名が自殺した場。

中に入れば、432人のお墓に手を合わせられます。

…今回はすでに527体の五百羅漢に会っていて
ここで432人と会えば1000人か。。。とは言い訳で
悲しくて中に入れませんでした。

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山門前の血の川。
ここに血が川の様に流れたそうです。
山門前で手を合わせさせていただきました。


●第62次 番場宿本陣・問屋

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米原の港を経て琵琶湖の水運に通じる宿として山間に位置した宿場。
山間とあって寒いため、宿場町はどの宿場よりも短く小規模。
810mです。

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東番場の石碑。
1歩1歩東に向かっています。

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江戸時代の番場宿。

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今昔…。
交通網の発達や貿易によって、
時代とともに栄える地は変わっていきますね。

ここから醒井宿を目指します。