■地図は領土ではない
数日前に投稿した(この記事)に書いたベルリンの壁の記事なのだが…
この記事を書いたとき、なぜベルリンの壁の写真に目がとまったのか…というと、
実は、2月20日にお友達が会いに来てくれ、偶然にベルリンの壁の話をし始めたので、天王寺にある統国寺へお連れしたからである。
統国寺には、西と東のドイツの交通を分断させていた、あのベルリンの壁があるのだ…。
そのベルリンの壁を眺めながら、政治の話や宗教の話、歴史の話、もろもろの話を語り合った。
もちろん、お友達の世界観と私の世界観は全くイコールではないのだが、
違う概念の中で生きてることを、お互いに理解しているからこそ、気持ちよく会話ができる。
地図の領土はそれぞれ違うけれど、〝私の国はこんな国で、こんな考えを持っているよ。君の国はどんなだい?〟
〝ボクの国はこんな国だよ。そしてこんな考えを持っているよ。〟こんな感じ。
NLP (神経言語プログラミング)の前提の中にも、大切な考え方がある。
「地図は領土ではない」
地図とは、個人の物事の感じ方や考え方のこと。
それぞれが、自分なりの世界観や価値観を持っていて、自分の地図を創っているのだ。
…
政治の話や宗教の話、歴史の話…
今、このような話はあえて避ける…とか、
目をつむっている…とか、
そんな雰囲気が多い気がする。
自分の意思で違う世界(国)に飛び込むなら良いが、意思がないところに、優しいふりをして相手を依存状態にして異世界に連れ込んだり、自分の世界に勧誘するのは良くない。
サギの手法だ。
わたしも、考えが違うだけで人格否定したり、友達という仮面をかぶってビジネスや怪しい話を持ち掛けてきた方(自分とはかけ離れ過ぎている領土を持った人)とは、
まったく合わない土地に海外旅行に着た気分になるので距離を置いているが…、
政治の話や宗教の話、歴史の話を語り合える…ことは、世界が広がり、お互いが分かり合える大切なことだと思う。
お互いに、差しさわりの無い会話だけ。
もしくは、周りはすべて同じ価値観、同じ世界観…。
それは、じつに恐ろしく、つまらない世界地図だとおもう。