■令和に想う江戸の暮らし④ 浴衣と風呂敷の語源
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
整う
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
着付け教室でした。
着付けが難しい身幅の広い浴衣と、結ぶのに硬いと言われる博多帯を、風呂敷に包んで持参しました。
盆踊り臭がプンプンしていますが、
大好きな浴衣の柄と帯なので着こなせるようになりたいのです
今日は先生に、着付け他、浴衣と風呂敷の語源を教えていただきました。
室町時代の終わり頃に入浴を楽しむ目的で作られた「湯屋」(お風呂屋さん)が登場します。
入浴時に身につける肌着として使われていた「湯帷子(ゆかたびら)」が浴衣の始まり。
その後、江戸時代に入ると湯屋の数も増え、浴衣は湯上がりに身につける着物としてその役割を変え、その後は外出時にも着られる着物となっていったとか。
ちなみに江戸初期のお風呂は、浴槽ではなく蒸し風呂。
つまり、サウナのようなスタイルで〝体を清める〟意味合いだったそうで、ここからは勝手な解釈ですが、今…よくサウナに入ったら「整った」と言いますが、昔からサウナは身体を清めて整える場所だったんですね。
以前、江戸時代のお風呂を見せていただいた時、サウナみたいな形をしていたのを思い出し、今日学んだ事とつながりました。
お風呂に入る時、布に必要な物を入れて持ち歩き、広げることで自分の場所を確保し、敷いて身づくろいをしたり、入浴後には足を拭いたりしていたそうです。これが風呂敷の語源。
着付け教室で、着物を風呂敷に包み、その上で私も当時の湯屋のようなことをしていましたから…納得でした。
日常で当たり前に使っている言葉。
その語源を意識することは無いけれど、語源を知ることで、言葉が生まれた背景が理解でき、世界が広がったなぁ。
頭の中が整いました!
江戸時代の湯屋です。町民も入れる時代のわりと新しい造りです。
大阪は床が石敷き。よく転んでいたそうです。
サウナの様な蒸し風呂は江戸初期。
この入り口をかがんで入ったもようです。
湯帷子(ゆかたびら)を着て身を清めました。
(※一昨年前に見学したくらしの今昔館)
脱衣所に風呂敷を広げて身づくろいしていたんですね。
わりと新しい造りなので、盗難防止の脱衣箱があります。
その昔は無かったようで、風呂敷に衣類をくるんでおいたそう。
のちに、湯をはり湯船になります。すいふろ(水風呂)と言います。
↑この写真は湯をはるタイプのお風呂です。
湯屋で沸かすお湯の温度は50度と、かなり熱め。心臓に悪そう。
最後にかけ湯をいただいて、あがるとか。
湯屋の壁には引き札。今で言う広告です。
お風呂は、はじめは大名や侍しか入れなかったようですが、
後に町民も入れるようになっていきました。
ちなみに、これが町民の湯をはるタイプのお風呂。
丸見えです。大きな板を置いて丸見えにならないように目隠ししていました。
大名のトイレ。
町民のトイレ。
この写真には、扉がありますが、町民が使うトイレには、だいたい扉が無いらしい…。
丸見えです。
日本のことについて学べば、また別で学んだ日本の事と繋がって、どんどん世界が広がっていく。
まるで、脳のシナプスの様で面白いです。
今日学んだ着付けを復習して、難しい身幅大きめのサイズの浴衣や、結びにくい博多帯をうまく自装できる様になりたいです。
帰りは、中山道を前進するためのトレーニング。
お教室の近くの公園で、速歩を10000歩し、またまた歩いて近くの駅まで帰りました。
今朝の大雨後で、キノコがニョキニョキ。
私の自装の成長もニョキニョキと伸びますように