
健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
人脈とは自然に授かるものだと思う
— 塩沼亮潤 (@ryojun_shionuma) October 11, 2020
あの手この手をつかい広げていく人もおられますが、無理をして繋がった縁は長続きしてません。
しっかりと欲を出さず控えめにして
下積んでいれば自然とよきほうに運ばれる。 pic.twitter.com/eZ2HfWYCN0
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の1つであるfacebookには、ブログのリンクポストばかりで、すっかり記事を投稿しなくなってしまいましたが、〝何年か前の今頃、誰と何をしていたか?〟過去の思い出を見るのは好きです。
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9年前の今日は、Nさんを招き、1ヵ月に1回×3で解剖講座を主催させていただいていました。
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この写真は、数年に渡りと言う勉強会を開催していた時。
当時、運動指導にかかわることだけではなく、ビジネススキルやマナー、コーチングなど、様々な分野からプロフェッショナルな方を招いて勉強会をしていました。
今ではこのようなスタイルは当たり前なのかもしれませんが、当時はすごく珍しいスタイルで、集まる方も同業者だけでなく、あらゆる分野から学びに参加してくださいました。
思い起こしてみると、集まったメンバーが面白いなと思います。
不思議なことに、全国各地に散らばってるし数年会えてなかったのに、コロナ禍に会ったり、これから再会の約束をしてくださっていたり…。
静かにじっくり永く永く繋がってくださっている方々でした。
Nさんがファシリテーションしてくださった学びの時間や空気が、参加者をつないでご縁を深めてくれたんだなぁと感謝です。
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ここ数年でSNSの普及もグンと広まり、関わりの無いお会いしたことのない方や、1回しか会ってなく街であっても気づかない方ともネットを通して会話できるようになりました。
知り合いをドンドン増やす。
1回しか会ったことが無いのに、一生懸命〝いいね〟ボタンを押したりコメントする。→個人的にこーゆーの無理。やりたくない自分がいます。自然がいい。
無理をして繋がったご縁は、長続きしないもの。
本当にそう思います。
欲を出さずに控えめにして、自然に授かったご縁を大切にしていきたいと改めて思います。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
武並〜第46次大井宿〜第45次中津川宿〜第44次落合宿〜第43次馬籠宿〜第42次妻籠宿〜第41次三留野宿〜第40次野尻宿まで。
あちこち寄り道しながら2泊3日で60㎞走ってきました。
60kmの旅のうち、南木曽駅~第41次 三留野宿~野尻駅までを記録します。
【関連記事】
●武並~恵那
●恵那~中津川宿
●中津川宿~落合
●落合~馬籠宿
●馬籠宿~大妻籠
●大妻籠~妻籠宿~南木曽駅

木曽川にかかる橋は桃介橋(ももすけばし)。
大正11年に大同電力(現・関西電力)によって、当時の読書村(現・南木曽町)の読書発電所(よみかきはつでんしょ)の建設資材の運搬路として木曽川に架けられた吊り橋です。
全長は247m、幅2.7m。
大同電力社長、福澤桃介にちなんで桃介橋と言われています。
ちなみに、福沢諭吉の娘婿さんです。
地元の方から桃介橋を教えていただいたので、遠くから写真におさめてみました。
さぁ、中山道の続きです。
●園原先生碑
園原旧富(そのはらふるとみ)先生は神主さん。
三留野村和合の東山神社の神官の家に1703年に生まれ、京都に遊学し、吉田兼敬(神祗官領長)に師事して神学を学び、尾張・美濃・信濃に神学を広めていった方。門人さんたちが建てたそうです。
旧中山道です。
中山道は山間も多いですが、宿場は民家を行くので、夜間に歩いたり走ったりする方は、静かに行くのがマナーです。
梨子沢橋あたりが、三留野の西の見附になります。
昔、三留野の旅籠だったTさんご夫婦のお宅を訪ねて、厚かましくお茶をいただき、三留野から向こうの情報を教えていただきました。
ガイドブックには載っていない情報は、地元の人から聞くのが一番。
〝MOUNTAinn Nagiso〟さんの姉妹店・柏屋さん。
明治期の町屋を、一棟貸しゲストハウスにリノベーションしました。
団体で来ることがあれば、ここを利用させていただこうと思います。
●三留野宿本陣
第41次 三留野宿 -----------------------
本陣1
脇本陣1
旅籠32
家数77
今は、のどかで木曽川がと山間が美しい三留野宿ですが、江戸時代は中山道の難所でした。今と昔を比較しながら三留野を進むと、とても面白いです。
宿場はうだつが上がる家並みを見ることができます。
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●与川道
浅田次郎の小説〝一路〟によると三留野宿はとても興味深い区間であります。それは、今でこそ中山道は国道19号線沿いでアスファルトの道路で整備されていますが、昔は野尻まで険しいV字谷で、木曽川が水害の時は通行不能となりました。
〝一路〟によると、『登りとともに道は谷(きわ)まり、木曽川が近く深くに迫ってきた…』と書かれています。与川越えと呼ばれ中山道屈指の難所だったようです。
その迂回路として、三留野から野尻へと峠越えをする与川道(よがわみち)ができました。道標では、中山道と記されて与川道の方へ案内板が出ているので、間違えて与川道に行ってしまいそうです…。
与川道は、海外旅行のハイカーさんに人気ですが、今はあまり人が通らないので、行かれる方はクマや獣に注意して…。
中山道は与川道の方に折れるのではなく、宿場からまっすぐ東に向かって進みます。
与川道経由で野尻まではおおよそ15㎞だそうです。私は中山道を行きます。
人の活気が戻ってくれば、与川道は間違いなく面白い歴史道。
いつか与川道を行けますように…。
与川越えのことを知らなければ、雄大な木曽川の風景に見えますが、
与川越えを知ると、V字谷を見るたびに参勤交代のお侍の苦労が目に浮かびます。
Tさんご夫婦が三留野宿を案内してくださり東のはずれまで見送ってくださいました。
本当にお世話になりました。別れが名残惜しかったです。
昔の旅人も、宿場の方や思い出の方々との別れは、さぞ名残惜しかったでしょう。私の背中が見えなくなるまで手を振ってくださいました。
さぁー次の宿場へと出発。
東へと進むと一旦国道19号線に合流します。
三留野宿を過ぎると花崗岩地帯があるのです。
木曽川の流れが削りました。
三留野の寝覚めの床と言われているそう。
対岸の方にある様ですが、対岸の山にクマが出るとのことで見には行きませんでした。
●十二兼の明治天皇中川原御膳水
国道19号線を中山道と言って、まっすぐ行けば目的地までは早いのですが、それでは中山道を走ったことにはならないので、旧道を…。
国道から中山道旧道は外れます。
民家がちらほら。
●十二兼駅
南木曽駅から6㎞くらい走り、十二兼駅。
帰路の電車の時間まで90分くらいあったので、十二兼一里塚を探しに行く。
中山道を先に行く先輩に、駅を越えて国道に出たらあるよ!って教えていただいてたのに、大切なことを書いた紙地図を無くしたことにより、見つけられず…残念。
なにやら、違う石碑を拝み、90分の待ち時間がもったいなくて野尻まで走ることに。

線路に人が…。何の点検をしてるんだろう?
単線なので、上下線どちらかの電車が来るだろうに…おかしいな…と思い写真を撮っておきました。
読書ダムのあたり、線路と木曽川に挟まれながら走るんですが…ここがほんまに怖くて。
抜けた瞬間、中央アルプス・駒ヶ岳が見えた時は思わず「おー!」と声を上げました。
ご褒美です。

紙地図を無くし、だいぶん一里塚の見落としがあるんですが、ここで江戸まで77里になっていました。300㎞ほどですね。
●野尻宿脇本陣
●野尻宿本陣第40次 野尻宿 -----------------------
本陣1
脇本陣1
旅籠19
家数108
野尻宿に来るまでが難所が多いので、宿場は大変栄えたそうです。
810mの長さの宿場は木曽では奈良井宿の次に長く、標高が530mなので、見晴らしがよい宿場でした。
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十二兼駅からは約6㎞。
駅には出発の50分前に付き、余裕だなって思ってました。
すると、午前中だけ窓口担当の地元有志の駅員さんが60分以上遅れてるよと…。
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン!!!
さっきの線路で点検してたやつ…
おーい50分+60分以上…待つのかよー。→関西のせっかちな人
駅員さんに次の須原まで行っても間に合いますか?と聞いたら、時間が読めないし、電車が行ってしまったら次に来る電車は遅れている時間+2時間後なんでやめた方がいいとのこと。
そうなんです。
電車の本数が少ないんですよね。
1時間は確実に来ないから、観光しておいでと…。
この後、野尻駅は無人駅になりました(笑)
●カフェ刀

カフェ刀さんへ…鎌倉から取り寄せてるというこだわりのコーヒーと、ホットサンドをオーダー。
古民家を改装した造りが、イラチな関西人の心を落ち着かせる…。
キュートな奥さんが、ここでどうぞお待ちください!wi-fiも使ってね!とありがたい…。着替えまでさせていただきました。
1時間ほど待たせていただいたかな。
急がずに生きようと思いました(笑)
ホットサンドとコーヒーが心と体に沁みた日。
●coffee KATANA
https://coffeekatana.business.site/
駒ヶ岳を眺め、中津川で買った栗きんとんを2つ食べながら電車を待つこと40分。
思い出深い旅でした。▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
私を紅葉
に連れてって…って事で、10数年お付き合いのお客様達を引率して六甲ハイク。
ケーブルで登る方、一緒に自分の脚で山頂まで登る方…
全員揃ったら、全員尾根を歩いて、まだまだこれからの紅葉を楽しむ。
紅葉にはだいぶん早いかな…という気がしましたが、一番赤い落葉樹の前で楽しそうに記念撮影をするのを見てホッとしました。
歳を重ねても、元気でイキイキされている皆様がいるので、私もまだまだがんばろう。
テラスで食べたカレーは開放感があって美味しかった。
外で食べる栗のパウンドケーキ!これも最高だった。
山でも、まだまだマスク&消毒してくださいの案内が多いです。
コロナが落ち着くのもまだまだですね。
マスクは外したいですけどね…仕方ないですね…。
感染予防しながら、アウトドアを楽しみましょう。
お客様、お疲れさまでした。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
武並〜第46次大井宿〜第45次中津川宿〜第44次落合宿〜第43次馬籠宿〜第42次妻籠宿〜第41次三留野宿〜第40次野尻宿まで。
あちこち寄り道しながら2泊3日で60㎞走ってきました。
60kmの旅のうち、大妻籠宿から南木曽駅までを記録します。
【関連記事】
●武並~恵那
●恵那~中津川宿
●中津川宿~落合
●落合~馬籠宿
●馬籠宿~大妻籠
●南木曽駅~三留野宿~野尻宿
●アクセス!!
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中央本線南木曽駅から馬籠行バスで7分程度で妻籠まで行けます。
健脚な方は南木曽駅からも歩いて行けますし、もっと健脚な方はバスで馬籠峠まで行ってバス停から歩いたり走ったりするのも面白いと思います。
(※バスの路線や時間は事前に調べておきましょう)
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気持ちの良い山道や川のせせらぎの音を聞きながら進むと古い宿場が見えてきます。
ワラ馬づくりの家がほほえましいです。

中山道から、伊奈(飯田)道が分岐していた付近。
おしゃごじさまは、御左口(ミサグチ)神を祀る。古代からの土俗信仰の神様で「土地精霊神」「土地丈量神様」「酒神」等の諸説があるなぞの神様だそう。

中山道のハイライトと言われる、輝く人気の宿場・妻籠宿に入ってきました。
本来であれば終日観光客でにぎわう宿場ですが、コロナ禍の影響で独り占め。
それはそれで贅沢でありますが、宿場や周辺の飲食業の方々は痛手だろうなと感じます。
西からの宿場の入り口には〝コロナに負けるな〟の貼り紙がありました。
ほんま!ほんま!負けないでほしいです。

延命地蔵堂には大きな延命岩が祀られていますが、常に濡れている様なので〝汗かき地蔵〟と呼ばれているそうです。
ここで〝ここまで来ました。ありがとうございます。〟の感謝をさせていただきました。
●桝形の宿場
宿場は桝形になっていて、敵の侵入を防ぐ道の造りになっています。
写真は桝形の宿場の風景。
招き看板も古くて粋で、馬のつなぎ場も残っています。
うだつも上がり、江戸時代にタイムスリップした気になります。
映画・座頭市のロケ地だそうです。ちなみに下嵯峨屋さんの屋根は石が乗っています。写真におさめたと思ったら残っていませんでしたが、今では見ない屋根づくりなので一見の価値ありです。

この様な会の方たちが、気持ちの良いトレイルや、素敵な宿場の街並みを残す努力をしてくださっているんでしょうね。ありがとうございます。
第42次 妻籠宿 -----------------------
本陣1
脇本陣1
旅籠31
家数83
電柱も見えない、江戸時代の風景を思わせる素敵な宿場でした。
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口留番所とは、江戸時代に各藩が自藩の境界や交通の要所などに設置した番所のこと。
●鯉岩
…正面から見たら、目があって口があって…鯉に見えるような…

徳川方の伊那軍が侵入したけれど豊臣方の木曽軍が死守したそうです。
関ヶ原の戦いでは徳川軍が戦の終了を知らせた地だとか。
良寛が木曽路にて詠む…
〝この暮れの もの悲しさに わかくさの妻呼びたてて 小牡鹿(さおしか)鳴くも〟
●上久保一里塚

上久保一里塚は両塚が残ります。
南木曽町内で唯一原型を残している一里塚だとか。
江戸まで80里…

いよいよ南木曽駅に近づいてきました。
私が中山道を走ろうと思った理由は多々あります。いろんなことが重なってのことですが、決め手は南木曽のお客様に会うため。
いつも南木曽を通過し、八ヶ岳や御嶽山へ行ってしまっていて、そのたびに南木曽で電車を降りたいな…会いたいな…と思っていました。あと1㎞ちょいで再会できます。
かぶと観音で、今日の旅のお礼を…参勤交代のお侍たちも必ず足を止めてお参りをしたそうです。
振袖松で造られた水舟の手洗いだそうです。
神明神社でも旅のお礼を…
昭和40~50年代に木曽谷を走ったD51を保存したものです。
このデゴイチ…私が生まれたころに活躍していたんですね。
もう何十年もここで眠っているのか…。
走っているところを見てみたい。
●千体観音堂・一刻堂
さて次は、三留野宿から野尻です。
続きはまた。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
武並〜第46次大井宿〜第45次中津川宿〜第44次落合宿〜第43次馬籠宿〜第42次妻籠宿〜第41次三留野宿〜第40次野尻宿まで。
あちこち寄り道しながら2泊3日で60㎞走ってきました。
1日目は26㎞
2日目は22㎞
3日目は12㎞
とうとう岐阜から長野に入るとあって、アップダウンがありましたが、しんどさを感じさせない宿場や自然の景観、出会う人達のあたたかさに救われました。
今回は2日目の旅のうちの、馬籠宿から大妻籠宿までを記録します。
(1つ前の記事:の記事 落合宿から馬籠宿までの記事はこちら→☆☆☆)
島崎藤村のことを思わずに通過することができない馬籠宿をあとにして、大妻籠宿に向かいます。
大妻籠は、妻籠宿保存地区の一部だそうで、西からだと妻籠宿の手前に位置し、海抜800mの馬籠峠を越えないとたどり着けません。
藤村が木曽路はすべて山の中である…と書く様に、行く道は山の中。
以下の写真で続く様に、至る所にクマよけの鐘があります。
雨の中ではあまり響きませんが、かなり大きな音が鳴ります。

自然が好きで緑に包まれるのが大好きな私も、さすがに熊は怖い。
たまに人の手が加わったモノや、民家を見るとホッとします。
でも、正直なことを書くと、岐阜の終りの十三峠の方がクマが怖かったです。
なんでしょう…雰囲気とか獣の匂いとか…明らかにあまり人が通ってないように感じました。
それに比べたら、落合~馬籠…そして大妻籠まで、日々誰かが足跡を残してくれているように感じました。
●十返舎一九の句碑
〝渋皮のむけし女は見えねえども 栗のこはめしここの名物〟
馬籠宿では、五平餅も準備中で食べ損ねましたが、心と時間の余裕がなく、大黒屋茶房の栗おこわ食べ損ねました。→作家・浅田次郎さんもご推薦で、藤村の夜明け前にも登場しています
ようやく現代で言う県境です。
長野県に入りました。ここは標高が801mです。
近くに便は少ないですが、中津川駅~馬籠、馬籠~妻籠・南木曽駅までのバスが出てるので、歩きや走りに疲れたらバスを使う手もあります。
ちょうど馬籠峠着のバスが着ていましたが、この日は雨で平日ということもあり、誰も降りてこなかったので、この先も人の気配が無い旅になりました。

岐阜県は今まで電車で通り過ぎるところだったけれど、自分の脚で走ってみたら、すごく素敵な県だったな…と感じました。
寄り道したいところがいっぱい出来たので、改めてまた岐阜を旅しようと思います。
クマよけの鐘を鳴らして、馬籠峠の山道に入っていきます。
ギラギラしてますね。
トリカブトがいっぱい咲いていました。
だいたい、茶色と緑の山の中で〝私を見て〟と自己顕示欲が強そうな色を出す花には毒があります。
綺麗な花には毒がある…。
ポツンと一軒家…。
●一石栃立場茶屋
昔は7件ほど並んでたとか。
茶屋の中は、妻籠を愛する会の方がボランティアで番をしていて、温かいお茶を出してくれました。
茶屋の前には枝垂れ桜や桃の木があり、春はとてもきれいだそう…。
宿場以外で人を見たのは初めてで、うれしくなって話し込んでしまいました。
外国人のハイカーさんがグンと減ってしまった話や、クマの話(音出して進めば大丈夫だよ!)など。早く活気が戻ってくるといいなと思います。
寒いから、囲炉裏であたたまってね!と優しかった。
春の馬籠から妻籠も綺麗だろうなー。
…そして、また山へと。
●神居木(かいらぎ)
樹齢300年のサワラです。
昔から神や天狗が腰かけて休む場所と言われ、切ったり傷つけたりするとたたられたそう。
キコリは、この前を通るのも嫌ったとか。
雨の中、大きな神居木を見上げると、とても神々しくて何かが降りてきそうな感じでした。
橋を渡り、いったん旧道をそれて、国道7号線に出ます。
中山道を先に歩く先輩が、『旧道にこだわらないなら、滝を見るといいよ!』と教えてくださったので、滝の区間だけ旧道を外れてみました。
いきなり!人が。
国道を学生が遠足かなんかでゾロゾロ歩いていました。
一気に人間界に戻ってきた感覚。
●男滝と女滝
↑男滝です。
↑女滝です。
男滝と女滝は、木曽の名所として名高く小説〝宮本武蔵〟の武蔵とお通のロマンスの舞台だそうです。
雨でマイナスイオンを浴びまくりの上に、滝でミストに打たれベタベタに濡れました。
それも忘れるくらい、しばしとどまってしまいました。
まさに、濡れ場です(笑)
↓忠犬の看板…
有害鳥獣を追い払ってくれるワンちゃんがいるとか。
岐阜からの十三峠で野犬に会いましたが、あの野犬も忠犬だったんでしょうか…。首輪してなかったけど。
今、コロナ過でペットを捨てる方が増えている様です。
動物保護してらっしゃる方がそう話していました。どんなに厳しくても家族なので、最後まで面倒を見てほしい(→これは私のエゴですが)
手放す前に、周囲や保護団体に相談してほしいです。
一人ぼっちで山に放たれるなんて、残酷すぎますので。
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話は戻りますが、馬籠峠や大妻籠あたりには、賢いワンちゃんが放たれている様です。
これは旅路が安心ですね。
↓さっき、峠から見下ろしていた庚申塚です。
大妻籠一里塚は、庚申塚の建物の裏の様で、ここは私有地で入れないそうです。
一里塚をスルーして前に進みます。
大妻籠の宿場が見えてきました。
大妻籠村です。
宿をしている家が多いです。
信州型うだつが立派。
↑つたむらやさんは、秋篠宮様が大学ゼミの時に宿泊され紀子様との結婚の意思を深められたとか。
●弘法大師記念碑
中山道木曽路のハイライトと言われる馬籠から妻籠…
宿場にたどり着くたびに、山の中のオアシスを見つけたよう。
この感覚は実際に中山道を自分の脚で進まないと味わえない貴重な感覚。
それを味わうことができ、とてもありがたかったです。
大妻籠を後にし、どんどん坂道を登って、中山道で1位2位を争う人気の宿場・妻籠宿を目指します。
続きはまた。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
武並〜第46次大井宿〜第45次中津川宿〜第44次落合宿〜第43次馬籠宿〜第42次妻籠宿〜第41次三留野宿〜第40次野尻宿まで。
あちこち寄り道しながら2泊3日で60㎞走ってきました。
1日目は26㎞
2日目は22㎞
3日目は12㎞
とうとう岐阜から長野に入るとあって、アップダウンがありましたが、しんどさを感じさせない宿場や自然の景観、出会う人達のあたたかさに救われました。
今回は2日目の旅のうちの、落合宿から馬籠宿までを記録します。
(1つ前の記事:の記事 中津川から落合宿までの記事はこちら→☆☆☆)
落合宿をこえ、国内外の中山道が好きな方に人気である落合の石畳。
あいにく雨の日になりましたが、パラパラ…っとした降り方だったので、木々に囲まれた石畳の道まで雨が届かなかったのは幸いでした。
ただでさえ、苔むしていて滑るので、雨が届くとツルツルです。
コロナ禍で、海外旅行をする方がいないので、平日の中山道はシーンとしていて、どなたともすれ違いません。
十曲峠の石畳を独占しながら前に進みます。
山の中では、あまり写真を撮らないように…(→クマ対策)と家族に念を押されていたので、写真はありませんが、奥へ進むにつれて頭上の空も消え、木々の緑が広がり、とても気持ちの良い道なんですよ。
晴れてたらもっと気持ちが良いだろうな。
●なんじゃもんじゃの杜
木曽川流域だけに自生するヒトツバタゴの別名。
初夏に雪が積もったように白い花を咲かせるんだそうです。
今は秋から冬にかけての季節なので、花はありません。
季節ごとに違う顔を見せる中山道。
1回きりの旅ではもったいないような気がします。
●新茶屋一里塚古跡
現代では岐阜の位置になりますが、昔で言えば美濃と信濃の国境です。※2005年に村の合併で長野から岐阜になった様です。
これより北木曽路…の石碑。
この先はるか遠くに、これより南木曽路…の石碑もあるようですが、間の距離は22里(約86㎞)ほどあります。
新茶屋一里塚付近の様子↓
熊出没注意喚起の看板は数多い。
どうやら熊の庭に入らせていただいているみたいです。
ちょっと通らせてくださいね。
十曲峠を抜けると空が開けます。
展望の良いところに東美濃を一望できるスポットがあります。
とんがっているのは笠置山かな…
正岡子規が歌う句碑。
〝桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな〟
東から西に中山道を行けば、このあたりは木曽路の終り。
山中から抜け空が広くなる場所。
正岡子規はそれを、木曽路を出たら桑畑も少なくなり、麦畑が続いてるよ…と歌ったんですね。
...そうか、まだまだ山中は序章。
これからこの先はずっと山の中なのかと心の中でつぶやきながら熊スプレーと手作りの音が出るやつを見る。
手作りの音が出るやつは、ステンレスのマグカップと百円均一のミニスリコギを麻の紐でつないだもの。
紐は首にかけられるようになっていて、ザックの前ベルトにマグの持ち手を通し固定し、スリコギをカップに入れれば、走ったり歩くたびに自然に音が出るようにしました。
民家付近では音が鳴らないようにスリコギ棒をザックのポケットにしまう。
曲がり角の手前や川付近では棒でカップを叩けば、かなり大きな音が出る。
1人ボッチの中山道では、これがかなり心強い相棒となりました。棒だけにね…
東へと進むと、人の気配がしてきましたよ。民家があります。
落合から馬籠までたった4㎞程度でしたが、とても長く感じました。
いよいよ宿場に入る様です。
上の写真はどなたかが住んでいるお家ですが、入り口だけ写真を撮らせていただきました。
江戸時代は玄関の大きさで税金の額が決められていたと何かの本で読んだことがあります。
このお宅の入り口はその名残なのか、間口が1mあるかないか。
このような造りを残してくださるのはありがたいですね。
●諏訪神社
浅田次郎の〝一路〟でスワがお参りしてる諏訪神社かな。山の中に入っていく感じで、民家が無かったので鳥居はくぐりませんでしたが、神々しいので鳥居の外から旅の安全祈願をさせていただきました。
●馬籠城跡
馬籠宿本陣の祖・島崎監物が守っていたようですが、伊那軍に攻められて落ちたようです。昔は国盗り城攻めが激しいですね。
まぁ、現代でも形を変えて日常や人間関係にありがちですが。
さぁ、いよいよ馬籠宿です。
島崎藤村の故郷です。
※注:明治5(1872)年、島崎藤村は、馬籠宿の本陣、問屋、庄屋を兼ねる17代目当主島崎正樹の4男として生まれています。
五平餅を楽しみに来ましたが、準備中で、お腹を空かせながら妻籠までお預け。
今も現役の水車です。
これが見たかった!
本陣に近づくにつれて、道は桝形を描きます。
どの宿場も出入り口が桝形なのが、攻められないようにと宿場を守る知恵。
良く安全対策が練られているなと感じます。
島崎藤村の夜明け前に登場する馬籠宿。
夜明け前を読んでいれば、感動は何倍も膨れ上がったんだろうな。
桝形の道の向こうに恵那山麓が見えますね。
アップダウンを繰り返しながら、かなり登ってきました。
●清水資料館
清水資料館は島崎藤村の作品〝嵐〟に出てくる森さんの家。
嵐は読んでませんし、夜明け前も記憶が薄いので、再度、藤村の文学に触れたくなりました。
●馬籠宿本陣跡
本陣1
脇本陣1
旅籠18
家数69
まだ岐阜県ですよ。岐阜を西から東に走ってきました、すごく長かったです…。
自分の脚で景色を見ているというのもあるでしょうが、こんなにいろんな表情を見れた県は初めて。
藤村記念館と裏の永昌寺に立ち寄る予定でしたが、雨雲レーダーによればゆっくりしていたらかなり雨に打たれそうな予報でしたので、馬籠を後にしさっさと妻籠を目指します。
●高札場
高札場は修復中でした。
立派な高札場です。
馬籠を後にするところに、公園があり、藤村の夜明け前の石碑が2つ。
石碑の奥は恵那山や東美濃の山々が見えます。
〝お民、来てごらん 今日は恵那山が良く見えますよ…〟
〝あの山の向こうが中津川だよ。美濃は良い国だねぇ〟(夜明け前より)
…えらい遠くまで走ってきたな。いやいや、まだまだこれからが旅路。
この区間での旅気付きは、予定はあくまでも予定で、思い通りにはなかなかならないということ。
天気や環境の変化で予定はいつでも覆される。
それに臨機応変に対応する力が必要だということ。
そんなことを思いながら、馬頭観音様に旅の安全祈願をし、熊鈴を鳴らしながら山へと入っていきます。
次は妻籠を目指して。
続きはまた。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
武並〜第46次大井宿〜第45次中津川宿〜第44次落合宿〜第43次馬籠宿〜第42次妻籠宿〜第41次三留野宿〜第40次野尻宿まで。
あちこち寄り道しながら2泊3日で60㎞走ってきました。
1日目は26㎞
2日目は22㎞
3日目は12㎞
とうとう岐阜から長野に入るとあって、アップダウンがありましたが、しんどさを感じさせない宿場や自然の景観、出会う人達のあたたかさに救われました。
今回は2日目の旅のうちの、中津川から落合宿を記録します。
(1つ前の記事:の記事 恵那から中津川までの記事はこちら→☆☆☆)
この日は冷たい雨の日で、まさに雨の中津川。
スタートした時は秋時雨がしょぼしょぼしていましたが、雨雲レーダーによると、先を急がないとシッカリ打たれる予報です。
レインの上を着て防寒し、思い出に刻まれた中津川宿を後に、江戸に向かって前にすすみます。
人の気配もないとあって中津川から落合に入るまでの峠がちょっと怖くて、途中荷物を降ろし、レインの下とクマグッズ(音の出るものとクマよけスプレー等)をセッティングした時に、〝中津川から妻籠宿まで〟の大切な紙地図を落としてきてしまいました。
この区間は見ごたえのある宿場風景や自然の景観、数々の史跡が残り、楽しみにしていた区間とあって、旅に備えて色々書きこんでいた紙地図だったので、落としたことに気付いた時は、この先の宝地図を落としてしまった悲しさとゴミを出してしまった罪悪感で落胆しました。
しかし、同じ旅仲間が後々捨ててくださるか?紙なので地球に還ることに期待し、スマホのGPSを起動させ要所で現在地と進行方向を確認しながら進むことに。
なので、この先は見落としや行きたかったのに行けなかった場所が沢山あります。
また、お友達やここへ行ってみたい!という方を連れていきたいと思います。
四ツ目川を渡ります。
とても穏やかな川ですが、かつては暴れ川だったようです。
●高札場
茶屋坂を登っていくと復元された中津川宿の高札場があります。
高札場の横には階段。
菅原道真を祀った祠(ほこら)。
今日の旅の安全祈願はこの小さな祠にて旅をスタートです。
坂の上からは、お世話になった中津川の町が見える。
ありがとうと心に中でつぶやきました。
とにかく坂が多い。
坂を登ると。。。芭蕉句碑。
●芭蕉句碑
〝山路来てなにやらゆかしすみれ草〟(野ざらし紀行)
春の山路を辿って来て、ふと道端にひっそりと咲くすみれを見つけた。
こんなところにすみれが…と、その可憐さにただ理屈もなく無性に心ひかれることよ。
京都から伏見をへて大津にいたる山路で詠んだそう。
逢坂の関…のあたりだろうか…走ったなー懐かしい。
少し怒りお顔の馬頭観音様。
怒り顔の方が、苦悩や諸悪を粉砕し、馬が草を食べるように煩悩を食べ尽くし災難を取り除くそうです。
●尾州白木改番所跡
番所は、ヒノキをはじめとする木曽五木の木材の出荷統制を取り締まった場所。
木曽五木とは、ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキ。
さすが面積の9割は森林におおわれているだけあって優良な木材が扱われていたんですね。
●めだかの学校の歌碑
心癒されます。
中津川に着くまでは恵那山を前方に見ながら走っていましたが、
中津川を過ぎると今度は後ろに恵那山がついてきます。
人は誰もいませんが、かわいい石碑が行く道を盛り上げてくれる…
●子野地蔵石仏群
昔、このあたりに地蔵堂があったとかで無縁石仏を集めたそうです。
枝垂桜が立派です。
桜が咲くころは、旅人の心を癒していたんでしょうね。
祠の中には弘法大師様もいらっしゃいます。
ここでも旅の安全を祈願していきました。
●子野一里塚
江戸から84里です。
〝千里の道も一歩から〟と言いますが、先は長いけれど、少しずつ江戸に近づいていますね。
↑たぶん、子野一里塚からフクロウが並ぶ道の間で地図を落としています。
フクロウさん、知恵の神、長寿の神として幸福な鳥とされています。
フクロウさんにも旅の安全祈願。
●与坂立場跡
旅人が杖を立てて荷物を降ろして一服した場所ですね。
与坂立場跡にて地図が無いことに気付きましたが、結構上ってきたので引き返して地図を探し、もう一度上る気になれず前に進む。ゴミを出してごめんなさい。
棚田の中を進みます。
●落合五郎館跡
●善昌寺
●門冠の松
樹齢450年なんだそうです。
しかし、道路を作った時に根の部分を傷つけてしまい、450歳にしては成長していないのだとか。
門冠の松を西の方から撮影。
大きなトラックは通れなさそうですね。
宿場に近づいてきました。
人の気配を感じます。
右手の奥には助け合いの大釜が撮影されています。
地図を落としているので、気付かずに通り過ぎましたが、奇跡的に写り込みラッキーでした。
皇女和宮が江戸に向かう途中で宿場の人が助け合って一行をもてなしたそうで、今は宿場祭の時に大釜でキノコ汁を作ってふるまっているそうです。
この日…雨で寒かったので、お湯でもいい、キノコ汁ならなお良し...あたたかいものを飲みたい感じでした。
●落合宿本陣
本陣1
脇本陣1
旅籠14
家数75
〝木曽路を出てここに出れば、まずわが家に帰り着きたる心地する〟と、
養生訓を書いた貝原益軒が表現した言葉。
貝原益軒は養生訓を呼んだことがあります。
知らなかったのですが、〝貞享2年(1685年)に木曽路を旅したそうで、その時の様子が著書「岐蘇路記」に詳しく書いているそうで…手に入るなら、読んでみたくなりました。
木曽路を抜けると、空が広く感じられ、民家にホッとしたんでしょうね。
本陣は、市川團十郎を追いはぎからかくまった場でもあります。
このあたりも追いはぎなどの山賊が多かったんでしょうね。
私も当時であれば命が無いかもしれません。
他にも、落合宿は〝十三人の刺客〟で決戦地としても書かれていて、目を閉じると行き交うお侍さんたちが見えそうです。
●落合宿脇本陣
落合宿の街並み。
●秋葉の常夜灯と宿場用水
川本式…川本のポンプは現在も定番ですが、これは旧式でかなり年季が入っていますね。
レトロでかっこいい。
バス停の名前は木曽路口。
いよいよ山の中へ…木曽路らしくなっていきますよ。
●落合宿の高札場
落合川を下桁橋で渡る…先は山の中…。
落合川堰堤の滝…天気の薄暗さと水量と音がゴウゴウとなり、恐怖が増す…(笑)
山中薬師寺前
枝垂桜が立派…
行ってきまーす。山の中へー。
●落合の石畳
国の指定史跡です。
当時のまま残っているのは、東海道の箱根と落合の石畳の2か所のみ。
楽しみにしていた石畳も雨だから滑ります。
雨も風情がありますが
森林過ぎて、雨が石畳まで届きません。
ラッキーです。強い雨ならもっと滑っただろうに。
楽しんでいきましょう♬
この区間の気付きは、紙地図が無いことで、目の前のことに集中できました。
そのぶん、山の中では風の音や動物が動く音、鳴き声。
木の実が落ちる音、自分の息の音がしっかり聞こえました。
実は、数日間この様な環境下にいましたので、大阪に帰ってきたら3つ部屋向こうの音まで聞こえるようになっていました。
研ぎ澄まされるとは、こういう事なんだなという気付きがありました。
たまには、情報が無い中での冒険もいものです。
続きはまた。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして…
武並〜第46次大井宿〜第45次中津川宿〜第44次落合宿〜第43次馬籠宿〜第42次妻籠宿〜第41次三留野宿〜第40次野尻宿まで。
あちこち寄り道しながら2泊3日で60㎞走ってきました。
1日目は26㎞
2日目は22㎞
3日目は12㎞
とうとう岐阜から長野に入るとあって、アップダウンがありましたが、しんどさを感じさせない宿場や自然の景観、出会う人達のあたたかさに救われました。
今回は1日目の旅のうちの、恵那から中津川を記録します。
(1つ前の記事:の記事 武並~恵那までの記事はこちら→☆☆☆)
大井橋を渡っていよいよ第46次大井宿。
大井橋を渡ったところに、お菓子屋さんの「大津屋」さんがあります。
名古屋から車で乗り付ける人や、県外や地元客で行列になっていました。
この時は、まったく情報が無かったので、宿場のはずれに行列ができててすごいなーくらいにしか思わなかったんですが、中津川の居酒屋で地元の人に聞いた情報によると…
知る人ぞ知る賞味期限たった2時間の〝くり粉餅〟を販売している様です。
地元の人は栗きんとんより、くり粉餅だそうで…。
秋の栗の頃にまた行けるなら〝くり粉餅〟を食べてみたいな。
●市神神社
宿場に入る前は、敵の侵入を防ぐため道が桝形になっていることが多いのですが、大井宿の入り口にある市神神社のあたりも桝形です。
●旅館 いち川
旅籠は一泊二食付き。
木賃宿は、自分で自炊し素泊まり。燃料費だけを支払うシステム。
向こうに見えるは、旅館いち川さん。
旅籠な感じですね。
大井宿には40軒以上の旅籠があったようですが、今はいち川さんだけの様です。
●大井宿ひしや歴史資料館
庄屋の古民家を資料館として公開している様です。
●大井宿 林本陣
本陣1
脇本陣1
旅籠41
家数110
旅籠は美濃16宿の中で一番栄えたそうです。
●大井宿 高札場
高札場の前は五妙坂と言って、とても急でした。
●明智鉄道高架
〝半分、青い。〟に登場した明智鉄道。
手を伸ばせば届きそうな明智鉄道の高架をくぐり、どんどん坂道を登っていきます。
石仏も斜めに並んでいるのが、坂の傾斜を表しますね。
●寺坂の馬頭観音様
●長石塔
村人の安全祈願のために建てられたとか。
昔から見えない力に応援されていたんですね。
拝むとか祈るって、自分自身の心を復唱することになるし、何を希望しているのか明確になるので、とても大切なことだと中山道の旅を通じて気付かせていただきました。
●関戸一里塚(江戸から87里)
●甚平坂公園
根津甚平のお墓付近。根津甚八なら知っている…。
ここからの展望は、ドーンと御嶽山。
はぁー…雪だ。
去年登ったな。
ほんまよい山だった。
また登りたい。
どこまでも走っても御嶽山が付いてくる。
えらい遠くまで走ってきてしまった。
●広久手坂の馬頭観音
ふつう、馬頭観音は馬のお面を頭にのせてますが、広久手坂の馬頭観音様は三面八臂(お顔が三つ。手が八本)で珍しいのだそう。
美しいですね。
しかも3面とも柔和相で良いお顔です。
旅人の安全祈願を聞いてくれるとか。
思わず手を合わせました。
どんどん木曽に近づくにつれて、馬頭観音が増えています。
このあたりは山道が険しいので、一緒に旅する動物を弔ったり安全祈願したりしたんでしょうね。
柔和なお顔と、怒りのお顔の観音様が居るんだな…という気付きがありました。
●市境
中津川に入りました。
どこまでもどこまでも御嶽山がついてきています。
ありがたい。
これが、三留野宿を越えると今度はどんどん中央アルプス・駒ヶ岳が付いてくるんですよ。
贅沢ですよね。
●鯉ヶ原高札場跡
遺構は全くありません。
手作り看板のみ。
文字がかわゆいです 村の方々ありがとうございます。
●明治天皇御休憩所 庄屋・篠原家
●尾州白木改番所跡
●茄子川村の高札場跡
先ほどの明治天皇御休憩所であった庄屋篠原家あたりの村のための高札場の様です。
ここでようやく気付いたことが。
十三峠から今まで、宿場の出入り口でもない場所に高札場が多かったのは、宿場の高札場ではなくて村の高札場だったと気付く。
ここきつかった。
こんなところも中山道…地下歩道。
●三ツ家の一里塚(江戸から86里)
江戸からは86里ですが、中津川まであと6㎞ちょっとですから、1里とちょっと。
がんばりましょう。
中央本線を走る列車と並走。
下の写真の奥がリニア新幹線予定ルートなのかな。
地下にリニア新幹線が通ったら、中津川ももっと変わっていくんでしょうね。
期待感と、変わらないでいてほしいという気持ちと…。
地下に新幹線が走るだなんて…想像できないです。
すごいことですよね。
地球さん、地下を掘るのはありですか?
三面六臂の馬頭観音様。
ちょっと怒り顔。
●千旦村の高札場跡
●坂本神社八幡宮
●六地蔵石碑
石碑の6面に、なんと!お地蔵様が6体彫られています。
珍しいですね。
中央本線にめっちゃ近いです。
ここを登って…
●小石塚の立場跡
馬をつなぎ、荷物をおろし、杖を立て、休憩した場所。
御姫様にかなわぬ恋をしたお侍さんが病死し、後を追うようにお姫様もここに着いたが病死したという伝説を持つ塚。
恋しい塚が小石塚になったのだとか。
きた!
おいでんさい、なかつがわ。
中津川のマンホール。
恵那山…ドーン!
●中津一里塚跡(江戸から85里)
江戸まであと330㎞程度だ。
江戸まで全部の距離は540㎞程度なのですが、すでにこの時点で寄り道しすぎで330㎞くらい旅ランしているという…。
江戸に着くまでに540㎞は軽々越えてしまいそう。
困ったものだな。
●苗木道道標
●駒場村の高札場
石造物
中津川から下流方面を見渡す。
いよいよ第45次 中津川宿に入ります。
うだつが沢山上がる街並み、うだつが賑わってますね。
GoToトラベルは、お得なシステムなのですが、お得だからこそ観光客はちょっとお高い温泉に行ってしまうので、宿場の商店をはじめ、旅籠や木賃宿は大変そうです。→実際大変だとおっしゃってました。
だからこそ、そういう宿場にお金を落として走りたいです。
ずっと元気でいて欲しいから。
●はざま酒造
恵那山というお酒を造っています。
うだつがドーン!
●中津川村庄屋跡
日本アルプスの紹介者であり、日本山岳会のパイオニヤ。
ウォルターウエストンが、恵那山への登山に来たときに滞在したそう。
●中津川宿 本陣
本陣1
脇本陣1
旅籠29
家数228
●脇本陣・旧森家
戦国武将、森家。祖先は安土桃山時代に活躍した森長可の一族だそうで、美濃金山城の城主とか。
脇本陣は土蔵とともに一般公開されていて、上段の間に上がらせていただきました。
明治天皇や板垣退助、キリスト宣教師のハミルトン師も立ち寄られたとか。
はー!落ち着く。
玄関から庭までドーンと貫通する造りが、宿場の造りならではですね。
歴史資料館は有料です。
ゆっくり拝見させていただきました。
古地図と旅日記。
面白かったです。
今でこそ、デジタルの地図アプリで(私は紙地図です…)、旅日記はネットで…ってパターンが多いですが、昔は全部手書きです。
絵心と語彙力が必要ですよね。
しかし、自分もこうやって旅してきた記録をBLOGに付け、写真や紙地図を照らし合わせながら振り返ってると…すごく楽しいんです。
語彙力はつきませんが、旅してきた時間や経験が鮮明に脳裏に刻み込まれていくような感じがします。
頭の中の思考を出力するって大切ですね。
歌川広重が浮世絵で〝雨の中津川〟を描く様に、めっちゃ雨が降ったら電車で中津川に入る予定で…その時は早く到着できるので皇女和宮様が召し上がったという〝和宮御膳〟を食べたいなーと思っていました。
あいにく雨が降るか降らないか…の微妙な天気でしたので、武並から中津川まで走り、和宮御膳は食べれませんでした。(観光協会に電話すると、和宮御膳を予約してくれるそうです。場所は駅からだいぶん離れていますが)
館長さんに〝和宮御膳、食べたかったんです〟と言ったら、博物館の外のフロアにある和宮御膳のミニチュアの写真撮影をOKしてくださいました。
ちなみに、博物館の中は撮影禁止です。
御膳を見て食べた気になろう。
●中津川宿の宿泊先:ゲストハウス天満屋さん
天満屋さんでの出来事は、別記事を書いていますので、よろしければ読んでみてください。
→中津川 木賃宿とディープな夜
●栗きんとん発祥の地
もちろん栗きんとん巡りもしました。
その様子も別で記事を書いていますので、よろしければ読んでみてください。
→中津川 栗きんとん巡り
●本町公園 ミニ中山道
本町公園に、中山道六十九次の宿場名が刻まれた石が置かれていて、京都三条大橋(スタート)からお江戸日本橋(ゴール)まで中山道を走破した気分を味わえる場所があります。
その様子も別で記事を書いていますので、よろしければ読んでみてください。
→中津川 ミニ中山道
●五平餅の喜楽
いろいろ寄り道した後は…喜楽さんで五平餅を2つ購入。
中津川宿を歩いて木賃宿へ帰る…
長い一日でしたが、盛りだくさんでとっても楽しい旅でした。
こんな面白贅沢な時間を過ごす旅に出させてくれる家族に感謝。
続きはまた。
▼クマに備えるにはどうしたらいいの?→関連記事☆☆☆
▼今年は全国各地でクマ出没情報と事故が多発しています。