■お稽古
バカ殿様のメイクは、とでも面白おかしく感じますが、
ある意味、バカ殿様のメイクは正しいのです。

健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。
しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。
さて、2020年11月16日の奈良井宿のつづきから書きましょう。
40㎞のレポートは長くなりますので、何分割かしながら旅を振り返ります。
■ルート:
奈良井宿駅~贄川宿~本山宿~塩尻駅~塩尻宿~塩尻峠~富士見展望台~下諏訪駅(40km)
本山宿からのつづきです。
本山宿を後にして、3.5㎞第ほど先にある第31次 洗馬宿へ。
そして、寄り道したかった塩尻駅へと目指します。
陽も頭の真上に登ってくる時刻で、だいぶん気温も上がってまいりました。
あまりにも暑さに、ボーっとしていて、道を1本間違えてしまい、
2㎞程度ロスしてしまいました。
急いで中山道に戻ったのですが、急いだあまり、牧野一里塚を見逃してしまうことに。
中山道を旅していると、ロストしてしまうことがよくあります。
間違って山側へ…
本来であれば、直ぐに到着していたはずの洗馬宿ですが、
モタモタしてしてようやく到着です。
●洗馬宿
松本盆地の南端の標高750mにある宿場。
慶長19年(1614)の中山道ルート変更に伴い、塩尻宿、本山宿とともに新しく造られた宿場なのだそうです。
●高札場跡
〝洗馬〟の名前の由来は、木曽義仲の軍勢と出会った今井兼平が、清水で馬を洗って疲れを癒した説話からとも言われますが、本当かどうかはわかりません。
江戸時代 洗馬宿では、熊の胆や熊の皮が売られていたので、熊さんがいらっしゃる地域なんですね。
●脇本陣跡
●本陣跡
●洗馬の肘掛け松
「洗馬の肘松、日出塩の青木 お江戸の屏風絵にござる…」と歌われた松。
●桔梗ヶ原
宿場を過ぎると桔梗ヶ原。
ブドウ栽培が盛んで、ブドウ畑がブアアァーと広がっており、
いたるところにワイナリーがありました。
ブドウ畑を見つめるまなざしは、こころは少女、みかけはオバハン。怪しさ満点です。
立ち寄りたいな…と思いながら。
下諏訪までの距離がまだまだ残っていることもあり、後ろ髪を引かれながら先を急ぎました。
●あまりにも暑くて…
ザックに1本500mlの水が入っているけれど、いつ飲み干してしまうかわからないくらい暑かったので、もう1本飲み物を買っておくことに。
なんと!もう1本あたり!
ザックの中身がかなり重いのに、さらに重くなりました。
いつも当たるときって、余裕があるときなんですよね。
…という事は、宝くじを買う時は、財布に余裕があって、お金がそんなに要らないときに買うと良いのかな。
●日本一入り口が小さいそば屋・桔梗
中山道を外れ、塩尻駅に立ち寄りました。
塩尻駅は、この旅で訪れたいと思っていた駅で、日本一狭い入り口で1人しか入店できない立ち食いそば屋さん〝桔梗〟があります。
本当に狭くて狭くて面白かったです。
お客さんが多い時は、並ぶのではなく、駅の待合室で食べれる様です。
●平出一里塚
高さ2m。
塩尻宿を目指しましょう。
そして、その先は塩尻峠ですよ。がんばりましょう!
--------------------
●中山道:河渡宿・加納宿 和傘
●京都 日吉屋の和傘
--------------------
鵜飼客で賑わう長良川。
その船着場近くの湊町や加納宿あたりには、ご当地の伝統工芸である和傘のお店があるのです。
子供の頃〝花童 絵日傘/数え唄〟という日本舞踊を舞った記憶があり、
そのころから扇子と和傘には憧れを持っておりまして…
去年の今頃、長良川を駆け抜けた時、和傘(日傘)をいただこうとお店を尋ねてみたものの、値段に腰が抜けそうになり、買わず終いで旅を前に進めてしまいました。
ファーストの和傘として迎え入れる価格は、即買いできないお値段でした。
でも、和傘は「開けば花、閉じれば竹」と言われるように、開いても閉じても美しく、
1本1本竹を丁寧に組み立て、1枚1枚和紙や糸をはる手仕事には、腰が抜けるお値段と言えど妥当なのだと思います。
1年たっても、いただきたいものはいただきたい。
しかし、ファーストにお迎えした日傘は、京都・日吉屋さんとSOU・SOUさんのコラボ傘をお迎えました。
こちらも、注文から手作りをされ、1ヶ月以上待ちました。
手仕事で丁寧にこさえてありますから、きっと長く使えるでしょうが、
いつか長良川の傘が似合う女性になった時に、
セカンドとして長良川の和傘を迎え入れたいと思います。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。
しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。
さて、2020年11月16日の奈良井宿のつづきから書きましょう。
40㎞のレポートは長くなりますので、何分割かしながら旅を振り返ります。
■ルート:
奈良井宿駅~贄川宿~本山宿~塩尻駅~塩尻宿~塩尻峠~富士見展望台~下諏訪駅(40km)
贄川宿からの続きです。
まだ時間は午前中とあり、さすが長野は涼しいです。
27度!

ちょっとした峠を抜けると旧中山道は国道19号線と合流します。
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン!!!
なんと!!めずらしいです。
車両ではなく…歩行者通行止めです。(2021.7.25現在)
若神子一里塚までは行けるみたいなので、一里塚へ行ってから迂回することにしました。
一里塚までは行けるようにしてあるというのが、
中山道を行く人にとっては、とてもありがたいことです。
きっと工事の方々が考慮してくださっているんだと思います。
●若神子一里塚
そんなことで、若神子一里塚で写真を一枚。
国道から小高い場所にあり、見上げるように写真を撮りました。
一里塚は左右にあるものなのですが、ここは西の方の塚だけが残っています。
この様な風景もいつまで守られるのかわかりませんが、
自分の眼で見れたことがすごくありがたいです。
↑初期中山道があるようです。中山道は中山道でも、いろんな道があるんですね。

脇本陣前の木と、広重画の本山宿の絵をコラージュしてみました。
台風後なのか?倒れかけの木の下で休んでいる旅人がいて、
落ち葉があって焚火をしているという事は、この絵の季節は秋なんでしょう。
歌川広重の浮世絵は、季節や当時の暮らしやファッション、そして人に見える物語を感じれて面白いです。
●川口屋・池田屋・若松屋・本陣跡
なだらかな道沿いにある家屋も、
江戸の頃は、切り立った谷の中の坂道にあったんだろうなぁ。
8月に入り、月曜日に勤務していた大学が夏休みに入りました。
本来であれば、この夏休みを使って、中山道を走る旅を進めたかったのですが、
大阪は8月末まで「緊急事態宣言期間」となり、月曜は〝生き方に活きる勉強〟の時間に費やします。
オリンピックの応援観戦をTVで視聴できる時間も増えたので、良しとしましょう。
※写真は7/31の仕事帰りです。
今日は、舞楽のお稽古をたっぷりしてきました。
稽古で気付いたことは、〝意識しないと、くせから抜けれない〟という事です。
くせってなかなか抜け出せないですよね。
なので、人間は根本的に変わることは難しいのかな…なんて思いました。意識して参りましょう。
さて、自宅へ戻ると、沢山の国産ニンニクが届いておりました。
福岡のお友達に、ニンニクは冷凍保存ができるよ!と教えていただいたので、
香川でニンニク農家(INDEN FARM)を営んでいるお友達がこさえたニンニクを大人買いしたのです。
我が家の夏は、
乾燥ゴーヤづくりに。
冷凍ニンニクの準備に。
秋冬にも野菜を美味しくいただくために大忙しです。
感染が拡大しておりますが、みなさま、気を付けて。
葉月も元気にまいりましょう。
8月の挨拶が遅れましたが、
今月もどうぞよろしくお願い申し上げます。
※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。
今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。
しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。
さて、2020年11月16日の奈良井宿のつづきから書きましょう。
40㎞のレポートは長くなりますので、何分割かしながら旅を振り返ります。
■ルート:
奈良井宿駅~贄川宿~本山宿~塩尻駅~塩尻宿~塩尻峠~富士見展望台~下諏訪駅(40km)
始発で大阪を出て、AM9:17に奈良井駅に到着しました。
駅の横にあるお手洗いを済ませ、お掃除をされていたオジさまに
「塩尻の方へ向かうんですが熊は出ていますか?」と尋ねると、
「先はわからないけれど、鳥居峠(奈良井宿の手前)はまだ出てないよ。あまり茂みには入らないようにね。」とのことで、気をつけながら奈良井駅をスタートしました。
次に奈良井宿を訪れた時は、伝統工芸である曲物や漆器をいただきたかったのですが、
お店が営業時間外なので、先を急ぎます。
●橋戸一里塚
基本的には、人との接触の少ない平日を利用して旅をしておりますので、旅路にひと気がないのは寂しいところなのですが、地元の方が一般の方の旗日であった大型連休を利用されて、道に生えた雑草を処理してくださっていて、連休明けの奈良井宿・中山道は、とても見通しが良く気持ちが良かったです。
こうやって、地元の方が道をお守りくださっているのは、本当にありがたいことです。
奈良井川を渡ると向こう岸に一里塚公園があります。
公園も整備されていて、7月末でもまだ紫陽花が綺麗に咲いており、一里塚と紫陽花がとてもきれいでした。
●木曽平と漆工のまち
奈良井と平沢は木曽漆器の名産地です。
営業時間外で見れなかったのですが、ずらっと並ぶ漆器屋さんは、とても風情がありました。
漆器は英語で「japan」というそうです。
日本を代表する伝統工芸なんですね。
1989年の長野冬季オリンピックではメダルの中心部に木曽漆器の技術が応用されたようですよ。
木曽くらしの工芸館には、当時のメダルが展示されているとか。
●諏訪神社
武田信玄が木曽攻めの時本陣とし、武田勝頼の大敗時に焼失したものを再建したとか。
諏訪神社で手を合わせ、この日の旅の安全を祈願いたしました。
何だか楽しそうな展示場(営業時間外)
日本橋!向かっておりますよ。
草刈りをしてくださっています。
行き場を無くしたハチたちが、
まだ朝で涼しいアスファルトの上であちこちに涼んでおりました。
奈良井川です。
●押込一里塚
石碑が残ります。
一里塚に差し掛かると、宿場まであと少しだな…って安心します。
昔の旅人たちも、一里塚でおおよその距離数を把握したり、休憩したりしたのでしょうね。
●贄川のトチ
樹齢1千年。樹高32m、幹は10m。
写真じゃ伝わらないですが、とても大きくて、トチの木が今にもこちらに迫ってきそうな大迫力なのです。
1千年、同じ場所で見守ってくれている様子は、まるでどっかの山親父がドテラ着こんで睨みをきかせている様にみえてしまいました。
●水場
至る所に水場がございます。
昭和初期にあった大火で多くの宿を焼失したために、水場が大切に守られているとのことです。
地元の方が、水を求めにいらっしゃる様子がほほえましいです。
●贄川宿と贄川宿本陣
●贄川番所
尾張藩が、福島の関所の副関として、木曽ヒノキや曲物搬出の口留番所をここへ設けたとか。
板葺き石置き屋根が、歴史ロマンを感じますね。
木曽11宿の北側の宿。
交通量も人も少なくとても静かでしたが、対照的に江戸の頃は、伝統品の搬出がにぎやかに行われていたことでしょう。
中山道を走らなければ、知らなかった木曽のまち。
そして、昔ながらの日本の原風景。
自分の脚で訪ね、五感で感じ、今生きていることのありがたさを感じました。
長時間の運動や激しい運動を行った後、血尿になることがあります。
今回は、ランニングと血尿についてまとめます。
・
・
・
中山道を120㎞。4つの峠を越えてきました。
水を2リットルとクマやヤマビル避けスプレーをザックに詰め、
6㎏程度を背負い120㎞進むという運動を行ったことで、一時的に血尿を確認しました。
これまで適度な強度の運動でしたし、
オールアウトまで運動することは過去1回程度しか無かったし、
100㎞以上走っても血尿になったことが無かったので、
びっくりしてしまいました。
しかし、ちょうど今は更年期のトンネルの中の期間で、
1ヵ月に1週間程度、子宮筋腫が大きくなる週があり、
その週に120㎞の旅を行ったという事もあり、血尿になる要素がいろいろ重なったかと思います。
帰宅してすぐに「ランニング医学大辞典」を引っ張り出してきまして、調べてみることに。
すごく勉強になりましたので、まとめます。
血尿は身体接触のあるなしに関わらず、種々のスポーツで起こります。
運動の持続時間や強度が関係し、すなわち、運動時間が長ければ長いほど、また強度が強いほど血尿は起こりやすいのです。
血尿が起こりやすいスポーツは水泳と長距離走。
特にウルトラマラソンランナーに多いようです。
(※ウルトラマラソンとは、42.195㎞以上の距離を走ること)
血尿とは、尿に血が混じる事で、目で見て明らかに赤いものを肉眼的血尿、顕微鏡的にしか見えないものを顕微鏡的血尿または尿潜血と言います。
尿は左右2つの腎臓で血液からろ過されてでき、尿管という管を通って一旦膀胱に溜まり、尿道から体外に排泄されます。この過程を尿路といいますが、血尿は大部分この尿路から発生します。
①膀胱挫傷と膀胱壁の血管奇形の悪化
腎臓は身体の後ろ側、背中の両端にあり、また膀胱は下腹部にあります。
ザックなどが走るたび、または山を下るたびに背中に当たって膀胱が挫傷することがあります。
また、私の場合は子宮筋腫で膀胱が下腹部を圧迫したことにより、血管を傷つけてしまったかと思います。
②腎機能の低下
激しい運動で筋組織が破壊される時に〝尿素〟が生成されます。
長距離ランナーは身体の筋肉を沢山使うために多くの尿素が生成されます。
尿素が生成されると体外に排出しなければならなく、腎臓が血液をろ過し活躍します。
しかし、血液は、運動中は心臓への供給は一定ですが、それまで流れていた腎臓やその他の内臓から身体の筋肉へと回されることになります。
(腎血流は1000ml/分~200ml/分に減少するという研究が報告されている)
腎臓が血液をろ過しきれなくなってしまったら、血液がそのまま体外に、尿として排泄されてしまいますし、腎臓への血流量が少なくなることで負担をかけ粘膜の出血を引き起こし、血尿となる場合があります。
[予防]
給水が十分に行われないと、充分に給水を摂った人と比べて、腎血流量の減少がより著しくなります。
ランナーの適切な給水で給水で、ろ過の機能を保ち、血尿を予防できることもあるので、こまめな水分補給を心がけましょう。
こうした腎機能の変化は一時的であり、運動終了後から60分以内に元のレベルに戻ることが多いと報告されています。
③溶血
長距離ランニングでは、時として溶血によって血尿になることがあります。
それは、足底に加わる衝撃による溶血とされ、失血や鉄損血の重大な原因となることはまずないようです。
④その他
悪性腫瘍や結石、膀胱炎によっておこるもの
運動性血尿は、激しい運動によって生じ、休むとすぐに消失すると言われます。
しかし、血尿には様々な原因が重なって起こるものです。
血尿が出たら、病院で診察してもらうことが一番の原因の早期発見につながりますので、一度診てもらいましょう。
私の場合も、一度医師に検診していただき、
運動中の水分補給の見直しや、走行距離、荷物の重さ、子宮筋腫が腫れない期間の運動などを見直すことをしたいと思います。
そして、間違いなくオーバーユース(身体の使い過ぎ)なので、
しっかり栄養を摂って身体を休ませたいと思います。
[参考図書:ランニング医学大辞典]
※投稿に時差あり。緊急事態宣言中は県外へ移動しておりません。
今年はコロナ禍とあり、ソロ登山。
パーティー登山ができるなら、木曽福島の行人橋登山口から
御嶽古道で山頂を目指したかったのですが、まだまだ今年は我慢。
コロナ禍と熊出没の心配があり、御嶽ロープウェイで六合目からのスタートとなりました。
普段から、大勢の中で特に今は皆様に迷惑が掛からないようにと気をつけながらの運動指導になりますので、1人で静かに過ごす時間は心身をニュートラルな状態に戻してくれます。
活火山で噴火したことがありますので、また噴火するかもしれないことを念頭に置き行動しますから、山でも気は抜けないですが、毎年訪れたい場所です。
静かに過ごすことが、今となればとても心地が良いと感じます。
今年もありがとうございました。