プロフィール

フォトアルバム

健康サポートプロジェクト

合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。

エストロゲン子の美活ウォーキング

カテゴリ

スタジオBodyLux

  • スタジオBodyLux

ウェブページ

検索BOX
Powered by Six Apart

[歩く旅・走る旅]史跡・城址・地図読み・サンクチュアリ Feed

2018年1月26日 (金)

■こんなの見つけました!

じゃ~ん!

歴史街道 三好長慶の実像!!!!

Dsc_1246


TOKIOの長瀬みたいやん。
なんだか、女性誌の一面の様です(笑)ちなみに、フリーペーパーですよ。

飯盛山、続・日本の名城100にも選ばれて、盛り上がりを見せていますね。


●2018年3月11日(日)スタジオBodyLux会員様限定イベント「飯盛山歴史ロマントレッキング」を開催します。関連記事はこちら→★★★

2018年1月24日 (水)

■【金剛山】千早城編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

※2008年1月28日に記事をアップデートしました。

Fb_img_1517123995321

主体が楠木氏である楠木七城を探索してきました。

今回は千早城のレポです。

千早城と言えば…楠木詰城や金剛山城とも呼ばれ、
南北朝時代に楠木正成が反鎌倉幕府の兵を挙げ、百日にも及ぶ籠城戦「千早城の戦い(1392年)」を成功させた場所です。

鎌倉幕府の拠点だった関東兵は100万の武士がメインに対し、
楠木氏率いる関西勢は兵は1000人で、
構成もバラバラ…悪党と呼ばれる面々や、中には僧や公家もいたとか。


関東・鎌倉幕府勢は弓が兵器に対し
関西・楠木勢は石や大木、熱湯や糞尿・油まで。
藁人形に刺さった矢を回収し、それを使いまわしたり…

水が無ければ籠城できないだろうと、鎌倉幕府勢が近くの水場を見張るけれど
楠木勢は一向に現れず。。。
実は、天からの恵みである雨までため込んでいたらしい。

こんな作戦で100万の兵と戦えるのがすごいけれど
百日に渡り籠城できたと言うことは、

戦うための智慧や城付近の住民とのパイプや信頼関係が厚かったからだろうな~と思う。

籠城戦を成功させ、源頼朝以来続いた鎌倉幕府を滅亡させたと言う事で、
今世では楠木正成のエネルギーにあやかれるパワースポットになっていて
多くの人が訪れています。

ちなみに城址には正成を祀る神社や顕彰碑が立ち、国定史跡にもなっています。


去年の春にも訪れましたが、何回来ても神聖であり面白い場所です。

今回、もう一度児童書のコミック版日本の歴史「楠木正成・室町人物伝」㈱ポプラ社を読み返しましたが、
ほんまに楠木伝説は面白いな…。

Fb_img_1517123989618


●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城

●千早城とは:

楠木正成の挙兵・籠城の地。
上赤坂城を本城とすれば、千早城は詰城となります。

城は金剛山の一部で標高673.9mのところにあります。
周囲を妙見谷・風呂谷・千早谷の深い谷に囲まれ南東部一か所だけが険しい山道で金剛山に連絡しています。府道からは本丸まで階段が続いています。

太平記にも書かれていますが、千早城は激しい籠城戦にもかかわらず落城しなかった山城。急な登りや斜面から落城しなかった理由が解る様な気がします。


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m


●千早城址を巡る

千早赤坂の駐在所近くの金剛山バス停から城址へ行けますし、
金剛山の山頂から下山する場合は、千早本道を下れば途中に千早城址への道標があります。

Dsc_1222

千早赤坂の金剛山バス停から登る場合
登山口の前に縄張り図があるので、確認してから行くと面白いです。

1516789171486

この日は金剛山山頂から千早城へ向かってみました。金剛山登山口からも階段地獄ですが、山頂からも階段地獄で膝にきます(笑)。

_20180128_164303

(大阪府中世城館辞典・中西祐樹著)

遺構は大規模な改変を受けて、当時のままではないけれど
おおむねの全体構造は旧態を保っているとか。

確かに本丸から四の丸まで、大きな曲輪が確認できますよ。
今回は山頂からなので、本丸→二の丸→三の丸→四の丸→登山口の順で下山してみました。

Dsc_1217

本丸のピーク部分は千早神社の裏にあたるところで
神域になっていて足を踏み入れることはできず、遠くから楠木正成を偲ぶ感じです。

自然地形になっていて、城の中核となっていたとは考えにくく、周囲の曲輪が中核と考えられるそうです。

Dsc_1219
千早神社です。
千早神社のHPには本丸に千早神社があると記載されているけど、
縄張り図を見ると本丸と二の丸の間に千早神社がある様な感じです。
千早神社は八幡大菩薩や楠木正成や正行、正成の妻を祀っているそう。


Dsc_1218

後醍醐天皇からもらったと言われる菊水の御紋がドーン!とカッコイイですね。
上部の菊が天の道を表し、下は水が万物を養うを意味するそう。

Img_20180125_164946_738


二の丸と三の丸の間の鞍部には空堀(水をはらない空の堀)があったとされますが、
今は確認ができませんでした。

三の丸へ行くと顕彰碑があり、甲冑の人形がいい味を出しています。

まるで藁人形作戦で使われたモノに甲冑を着せたかの様。
カカシさん風です。縄張り図によると三の丸から南西方向にも長い帯曲輪がある様ですが確認を忘れました。


四の丸の曲輪は大きくて、茶屋(今は閉まってますが)等があります。
礎石が残り、今でも土器の遺物が採取されるそうです。西下に大手道を両側からはさむ、武者隠し用の帯曲輪(おびくるわ:段々に連なった平坦な地)があるそうですが、確認を忘れました。


階段を降りると千早赤坂駐在所近くの金剛山バス停です。(トイレ有)

Dsc_1224


山頂まで続く階段や茶屋等に、昔の面影を感じるには少し近代的な感じもする城址ですが、
ここで100日に渡る籠城戦が繰り広げられたと思うと、
奥からグッと熱くこみあげてきて、
正成の存在や歴史ロマンを充分に感じられる城址だな~と思いました。


【千早赤阪村】番外編・正義の悪党 楠木正成のゆかりの地巡り 郷土資料館・楠公誕生地・楠公産湯の井戸・奉建塔・下赤阪の棚田の記事へ続く…




●関連記事

上赤坂城
猫路山城
国見山城(坊領山城)

■【坊領山~金剛山】国見山城址(坊領山城)編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

主体が楠木氏である楠木七城をトレイルランニングで探索してきました。

今回は国見山城(別名:坊領山城)をまとめます。

※2008年1月31日に記事をアップデートしました。


●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城

●国見山城とは:

千早城址、楠木城址、赤坂城址(下赤坂城址)を中核として
二河原辺城址、本宮城址、しょうぶ城址、枡形城址、猫路山城址、坊領山城址の山城が点在して配置される状況を「赤坂城塞群」と呼んでいます。
特に猫路山城址と、坊領山城址は城の構造が面白い山城です。

国見山城が正式名ですが、坊領山にあることから坊領山城とも言われています。
枡形城址、本宮城址からのルートと、上赤坂城址を経て猫路山城址からの2つのルートの合流点に国見山城址が存在し、ここから1つのルートになって金剛山に向かう事になるので国見山城こそが赤坂城塞群の中核ではないかと言われています。


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m



●国見山城(坊領山城)址を巡る

猫路山から坊領山への道標へと進みます。

Dsc_1181

猫路山城址を過ぎると、
V字の切通し道(山や丘を切り開いて通した道路の事)が続きます。
上の方は人が乗れるくらいなので土塁(敵の侵入を防ぐための土手)なのでしょうか。

Dsc_1308

トラロープが備え付けられているくらいの急なアップダウンもあり、
既に城に入っているかの様な気分になります。

Dsc_1182


鉄塔を越え、気持ちのいいトレイルをしばらく進むと坊領千軒跡というだだっ広い場所にでます。
猫路山城跡から約2㎞の金剛山中腹(△646m)のところに坊領山城址が存在するので、本丸は坊領千軒よりまだ奥にあると思われます。


Dsc_1184

Dsc_1186


坊領千軒はとっても広いです。
今は針葉樹林が何本も生えていますが、
昔は住居や坊領千軒という寺院があったと言われます。


縄張り図によると、坊領千軒あたりから
城の曲輪(建物が建てれるような平らな場所)が増えてくるのですが、
どの曲輪が住居で、どの坊領千軒が寺院なのかは明確ではないです。

Dsc_1315

坊領千軒跡を過ぎると、いよいよ本丸の曲輪です。
看板には北の城への道標しかでていません。


しかし、2つの本丸曲輪がある様です。

1つはルートから左手(北東方面)に北の城と言われる2つのピーク(△646mと△645m)があり、
200m以上にわたって帯曲輪(ウェディングケーキの様に段々に連なった地形)が連なります。

2つめは、ルートから右手にある南の城と言われるピーク(△646m)です。

ルートをそれて南の城へ行ってみます。
冬の時期に足を踏み入れたので、まだ足元が安全でしたが、
緑の頃には完全にヤブ漕ぎでマムシなどが出そうな感じです。

Dsc_1316

南の城のピークに到着です。(△646m)

コースに戻って北の城へ向かう道は大堀切(尾根をわざと断ち切って敵の侵入を防ぐ)になっています。道標の通り、北の城へ行ってみます。

Dsc_1319


北の城は2つのピークから成り立っていますが、1つめは坊領千軒跡となっていました。
△646mなので、ひょっとしたらこの高い本丸の位置に寺院があったのでしょうか?

北の城、もう1つのピーク△645mに登ってみます。

Dsc_1189

Dsc_1190

縄張り図によると、北の城△645mの奥に、
曲輪が段々に連なった帯曲輪が2つある様です。

_20180128_131336

(写真は縄張り図です:中西裕樹著 中世城辞典より)

Dsc_1326

Dsc_1327


帯曲輪がありました!


ルートに戻ります…
北の城のピークとピークの間は狭く、敵の侵入を容易に出来ない様

尾根をわざと切った堀切が良く解りますね。

Dsc_1191

(北の城のピークとピークの間)

Dsc_1325


針葉樹林たちがざわざわ…とっても不気味です。
さぁ~!金剛山の山頂へ向かいます。
坊領山からチラホラ雪です。

1516789153932

青崩道を経て、金剛山山頂へ到着しました。
マイナス10度とか8度とか言われた日で風も強く寒かったですよ~

千早城址へと続く…

Dsc_1207

Dsc_1201

※トレイルランニングで行きましたが、ある程度山に入ると言うしっかりした装備で足を踏み入れないといけない場所もあるので、決して軽装では行かないでね。



●関連記事

上赤坂城跡
猫路山城址
千早城址

■【坊領山~金剛山】猫路山城址編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

主体が楠木氏である楠木七城をトレイルランニングで探索してきました。

今回は猫路山城址をまとめます。。。

※2008年1月28日に記事をアップデートしました。

Dscpdc_0000_burst20180124103643898



●楠木七城とは


1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城

●猫路山城とは:

千早城址、楠木城址、赤坂城址(下赤坂城址)を中核として
二河原辺城址、本宮城址、しょうぶ城址、枡形城址、猫路山城址、坊領山城址の山城が点在して配置される状況を「赤坂城塞群」と呼んでいます。
特に猫路山城址と、坊領山城址は城の構造も面白い山城です。

猫路山城址は、上赤坂城の南東に位置し、城の北側に大規模な二本の堀切を配置しています。
山城における堀切の中では最も大きいもので、北側に対する防御意識を感じることができます。
それは、城の約500mのところに足谷川が流れ一丁田池村が存在し、谷筋から人が入れることに関係があると考えられています。


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m


●猫路山城址を巡る

Dsc_1161

(上赤坂城址の取つきにある看板です。上赤坂城の登山口で猫路山城の位置を確認しましょう)

上赤坂城址を抜けると金剛山・猫路山城址の方向を示す道標があります…。
道標に従いながら猫路山城址へ向かいます。

Dsc_1297


猫路山城址までは、堀切(敵の進行を妨げるため、わざと尾根を切っている)が多く、小さなアップダウンがあります。

Dsc_1300

猫が通る位の細い道が続くので猫路山…と呼ばれるという一説もあるそうで、
ホンマに細くて下に滑り落ちそうなくらいでした。

Dsc_1244

(大阪府中世城館辞典・中西祐樹著)


上赤坂城址から猫路山城址に入っていくのは、
南北の隅の方から入っていきます。

猫路山のピークを含め、周りは約70mの細長い形で帯状に曲輪(平らな場所)が連なっている構造ですが、自然災害等により状態が悪く、帯状とは解りにくかったです。。。
城の手前に1つ帯曲輪があるのは解りやすいです。
(おびくるわ:曲輪が段々に連なっている構造)

Dsc_1301

Dsc_1303

小さいですが平らな猫路山城ピークに到着です。△405m

Dsc_1304
ピークを含む帯曲輪の周りには、城を囲むように横堀がぐるっとあり、
ピークへの敵の侵入を防いでいる構造になっています。

ピークを過ぎ、坊領山城址に進もうとしたところにすぐ横堀が確認できますよ。(写真は横堀)

縄張り図を見ると、ピークの周りにケバ(斜面を表す斜線)がかなりあるので、険しくて、容易にピークに到達できない所に城が存在するのが解ります。

Dsc_1305

こちらも横堀の写真です。

Dsc_1306
※トレイルランニングで行きましたが、ある程度山に入ると言うしっかりした装備で足を踏み入れないといけない場所もあるので、決して軽装では行かないでね。


坊領山城址へ続く…

*関連記事 
上赤坂城址をまとめた記事はこちら

千早城をまとめた記事はこちら

■【坊領山~金剛山】上赤坂城編:正義の悪党・楠木正成の七城址めぐり

※2008年・1月31日に記事をアップデートしました。

Dsc_1225


主体が楠木氏である四城(正確には六城)を走ってきました。

ブログにはまとめていないですが、秋に探索した三城・烏帽子形城址、嶽山城址、金胎寺城址を合わせて

これで楠木七城全制覇したことになります。

今回は上赤坂城をまとめたレポです。


●楠木正成ってどんな人?

楠木正成(1294~1336)は、鎌倉後期から南北朝時代にかけて活躍した人です。
永仁2年4月25日に千早赤阪村の水分に生まれました。

いいくに作ろう鎌倉幕府と年号を覚える時に使われているゴロ合わせも140年続くと衰え、秩序も乱れ始めていました。
そこで、政治を武士から天皇に返そうと、上赤坂城をはじめとする城塞群(じょうさいぐん:敵から防護する目的で建てられる城)をつくり鎌倉幕府軍と戦いました。


●楠木七城とは

1)千早城
2)下赤坂城
3)小根田城(上赤坂城の一部)
4)桐山城(上赤坂城の一部)
5)烏帽子形城
6)龍泉寺城(嶽山城)
7)金胎寺城


【本日のトレイルコース】

楠木公生誕の地~上赤坂城址~猫路山城址~坊領山城址~青崩道~金剛山山頂(国見山城址)~千早赤坂城址~下赤坂の棚田~下赤坂城址~楠木公生誕の地

距離:25Km
累積標高 上り/下りとも 約2200m
高低差 1100m


トレイルランニングの前日から縄張り図を準備し、城のアレコレを予習。

_20180129_165933

(写真は縄張り図です:中西裕樹著 中世城辞典より)→私のバイブル

縄張り図とは:

城全体の構図を示す平面図(間取り)のことです。
敵を防ぐために堀や土塁(敵を防ぐ土手)をどう置いて、虎口(入り口)をどこに配置するかと言ったプランが描かれた図。


昔は縄をはって間取りを計画していたとか…。
縄張り争いという言葉も、相撲が縄で囲んだ土俵だという事も、
縄張り図と繋がる意味があるのかもしれません。

城址を歩いたり走ったりするとき、縄張り図を持参すると、
ここに土塁がある!敵が上から襲って来そう~
曲輪(建物が建てれるような平らな地、建ってないこともある)にはどんな建物が建っていたのかな~と想像がふくらみ
一瞬で歴史上の時代にタイムスリップできるのが醍醐味。

山のあらゆる所に、敵が攻めてこれない様工夫が成されているので
意味あって前に進みにくいんだ…という事も再認識させられます。
知らないと、ただ単にしんどい山。
構造を知ると昔の人の知恵と造りに感動し、山の魅力と愛が一層深くなります。

最近走るコースを決める時、その土地の歴史をたどってみます。
そうすると不思議な事に、直ぐにコースが見つかるのです。
ただ単に走るだけでなく、一緒に地形や歴史も学べるので一石二鳥。
とっても楽しいです。


上赤坂城とは:

金剛山支脈の1つで西北に伸びる349.5mの峰にあります。

楠木正成の本城だった説もあり、別名楠木本城や小根田城、桐(切)山城とも言われます。
周囲に、猫路山城や千早城、国見山城、下赤坂城も点在しています。

猫路山城や国見山城を含め南北朝時代に楠木正成がとりたてた城塞群とされますが、戦国時代にも畠山氏を軸にした大規模な戦乱に見舞われた山城です。(多くの兵が命を落としている場だと思います)

上赤坂城は、北側には足谷川、東は井戸の谷、西は城の谷という深い谷に三方向囲まれていて南だけが金剛山に続いています。

上赤坂城の構造は大きく3つに分かれていて、

1つめは二の丸 東の城。周りに多くの帯曲輪(おびくるわ:段々に曲輪が連なっていること)が広がっています。
2つめはその隣にある茶碗原という曲輪。
3つ目は千畳敷と言われる本丸(北の城)で約100mの細長いピークです。

太平記によると、この山城は楠木正成が平野将監(ひらのしょうげん)を配して防衛にあたらせたけど、水を絶たれて落城したとされています。
尚、この城は戦国時代に改修されていると考えられていますが、詳細は不明…。

上赤坂城から金剛山に向かうルートは
なかなか人が入らないマイナールートで、すれ違った人はたったの1人。
その方曰く「ここはあまり人が来ないんで…びっくりした!」と呟いていました。

薄暗く、寒いし風の強い日だった事もあり、
木が揺れる音がまるでオカルト映画でゴーストが現れる時の音そっくりで怖かったです。
一方走れるトレイルも多く、保存状態が良すぎる遺構にただただ感動します…。
観察と妄想でなかなか前に進めませんでした。

よくできた城山ですよ。記事で一緒に辿りましょう…


●上赤坂城址を巡る

Dsc_1243
ここが、上赤坂城への取付きです。

Dsc_1244

上赤坂城の登山口前には、楠木城址の縄張り図があるので
登る前に縄張り図の看板で、城の構造を見ておくのがオススメ。

Dsc_1161

縄張り図のアップです。

Dsc_1163

さぁ~スタート!! 写真ではわかりにくいですが、いきなりの急登です。

Fb_img_1517317149683

そして…冬の時期なのに真っ暗な木のトンネル…
これは、緑が生い茂る季節に来たら恐ろしいくらい真っ暗なんだろうな~

Dsc_1246

一の木戸です。木戸とは、虎口にある開閉式の城の門のことです。
ここから城へ入っていくものと考えられます。

Dsc_1247

一の木戸の看板に城のアレコレが書かれています。
~1333年平野将玄監と楠木正李は多勢の鎌倉幕府相手に奮戦しましたが水路を断たれ陥落したそうです。糞尿を敵にかけた奇策は「糞谷」(くそんど)という地名になって残ってるって。行ってみたい! ~

Dsc_1166

V字に続く切通し道が続きます。城の大手口だと思われます。(切通し道:山や丘を切り開いて通した道路の事)

最初、山なので空堀(水をはらない堀)か、芥川城でも見られるV字の薬研堀かなとも思いました。
このV字の道が城まで延々と続くのに息をのみます。

Dsc_1256

V字の切通し道の左右は土塁(敵に攻撃・敵からの防御をするための土手)になっていて人が乗れたり隠れたりできる構造です。
時折、上から敵の矢が飛んできそうな感じがします。

1517217350278

私は土塁の下の城坂(じょんざか)を歩いてみました。

Dsc_1249

石仏が並んでいました。

Dsc_1167

2つ目の城門に到着。
一の木戸から約50mのところにあります。

Dsc_1251

本丸に至るまでは城坂(じょんざか)と呼ぶそうで、4つの木戸が設けられているとのこと。

Dsc_1253

一の木戸が終わったあたりで振り返ると、切通し道の左右の盛り上がりが
土塁のようになっているのが解りますね。

Dsc_1252

一の木戸の切通しが終わった辺りから、二の木戸が始まるまでの間の西側に
首切り場があるらしくて、
コンパスで西を確認してみました。
針葉樹林が沢山生えていて、斜面の下は平たくなっていました。
ここは不気味なので通り過ぎました。

Dsc_1261_2

三の木戸をすぎると、二の丸の曲輪が見えてくるそうです。
そろばん橋に向かいます。

Dsc_1263

そろばん橋です。ここは細い土橋になっています。(細い橋)
左右が連続堀切と言って、敵が簡単に進めない様に左右をわざと二重に断ち切っている構造になっています。
この地点は、堀は敵を防ぐのに一番重要なポイントだと思われます。
(堀切とは:わざと尾根を切って敵の侵入を防ぐ構造)

Dsc_1262

連続堀切は、草ボーボーで解りません。
でも、うっすら白くなっている部分が連続堀切なのかな…とも見えます。

Dsc_1264

通路が土橋(細い橋)なので、前から矢が放たれたら、たちまち順番に仕留められてしまうような感じですね。
そろばんの様に矢で弾かれてしまうからそろばん橋なのかな…という勝手な妄想でごめんなさい。(昔は、この土橋がなかったのでは?とも言われています)

ちなみにそろばん橋を渡ると大きな土塁があるので、そこからそろばん橋に向かって敵に攻撃していたと思われます。

Dsc_1171

そろばん橋と三の木戸を過ぎると木のラダーがあります。
この手前辺りからルートを外れ、ガシガシ斜面を登って、
二の丸(東の城)の一部へ入ります。

Dsc_1172

二の丸は帯状の曲輪が連なる帯曲輪構造になっていて細長い形をしています。

おそらく、登ってきたところは一番下の曲輪だと思われる場所です。
今は木が生い茂っていますが、昔はここに建物が建っていたのでしょうか。

コースに戻り、木のラダーをまっすぐ突き当ると
食い違い虎口と言って前方から守備が敵に見えないようなL字型の道になっています。

コースをそのまま進むと本丸ですが、
コースを東へそれて登っていくと…二の丸東の城です。

Dsc_1275

おお~ひらけてる!!!△340mです。
二の丸は北西方向に5つの曲輪を連続させる他、地形にならって周囲に曲輪や堀切を設置しています。

Dsc_1278

二の丸から一段下がった腰曲輪から伸びている帯曲輪も綺麗に見えました。(腰曲輪とは、大きな曲輪から一段下がったところに曲輪がある構造。沢山連なると帯曲輪になる)
奥には堀切(堀を切って敵の侵入を防ぐ構造)がある様ですが、現在は台風災害等により地形が変わって複数の堀切を見ることが出来ないそうです。


Dsc_1273
二の丸からルートに戻り、本丸(千畳敷)に向かいます。
途中、茶碗原と言われる広い地形が見れます。
ここは陣屋跡で炊事場があったところとされ、石臼や土器が出土しているそうです。

Dsc_1286

少し小高い坂を登ると394mの本丸です。
本丸は細長い形をしていて、ちょうどこの看板のあたり(本丸の真ん中の辺り)に出て来ます。。
展望のいい北の方へ向かってみます。

Dsc_1292

平らです。東・西・北の眺望がとてもいいです。天気のいい日は六甲山や淡路島まで見渡すことが出来そうで、点在する出城と簡単に連絡が取れた様です。

Dsc_1177

(下の写真は本丸ピークの下にある腰曲輪。二段重ねのケーキみたいな形の構造です)

Dsc_1290

Dsc_1178

(奥にはPLの塔も見えます!完璧な自由~!)

Dscpdc_0000_burst20180129102848417

逆側(南)にも曲輪がありました。
縄張り図によると、奥に大堀切がある様です。しかし、今は見ることが難しいようです。
(堀切とは:わざと尾根を切って敵の侵入を防ぐ構造)


そんなことでここから猫路山城に向かいます。

楠木正成は、子供のころから野山を駆け抜け、このあたりの地形をしっかり把握していたそうで、
城の作りも良く考えられていると思うので、またじっくり探索したいです。
1度でいいからタイムマシーンに乗って、その当時を体験してみたい。


※トレイルランニングで行きましたが、ある程度山に入ると言うしっかりした装備で足を踏み入れないといけない場所もあるので、決して軽装では行かないでね。



猫路山城のレポに続きます。→ 猫路山城址をまとめた記事はこちら

(参考図書:大阪府中世城館辞典 中西祐樹著)

●関連記事
千早城址
*国見山城(坊領山城)
*猫路山城


2018年1月20日 (土)

■天下分け目の天王山・山崎城址から細川ガラシャの勝龍寺址へ

絶賛!仕事中です。 

Img_20180120_151207_847


本日はお昼にお仕事させていただいている施設が休館日。
という事で…日中、少し時間が空いたので
職場から2時間位で走り終える事ができる所をピックアップ。 
天王山をざーっと走ってきました。 

Dsc_1095

Dsc_1096


去年の年末に明智光秀が本能寺へ攻め入る時に使われたのでは?という「明智越え・からと越え」をしました。
そして…これまた年末に、大坂の陣ゆかりの地を巡るランをして、明智光秀の三女である細川ガラシャにちなんだ地へ出向き…

今日は引き続き、明智光秀に深い関わりの天王山から、
お玉(細川ガラシャ)の新婚時代幸せな時間を過ごした勝龍寺城址へ。 

Dsc_1099

(写真は明智光秀の最期)

天王山という言葉は、運命を決める重要な分岐点を表現するときによく使われます。

本能寺の変で織田信長を自刃へと追い込み、天下人になったかの様な明智光秀だったけれど、
本能寺の変からたった11日後に羽柴秀吉と明智光秀が戦う事になり、
秀吉に一瞬で勝利を取られ(開戦からわずか2時間)、光秀は天下人から転落してしまったのが山崎の合戦。

秀吉はその後、織田信長の軍勢も味方につけ、光秀からも山崎の城を手に入れ、天下統一へと突き進むことに…
天王山が舞台となり、明暗がくっきり分かれた山崎の合戦が「天下分け目の天王山(運命を決める分岐)」というわけです。

こんな面白い言葉を作り、歴史的にも有名で興味深い山がそこにあるので、
これは登るしかないですよね。

Dsc_1102


山には城があったという事で、低山ながらキツイ上りと下り。

展望台からの眺望はとても美しく、
キツイけど少し上ったらこんなに美しいご褒美を拝めるのが

低山の魅力ここにあり…という感じです。

Dsc_1086

(青木葉谷展望広場からの展望。桂川が見えます。大阪方面の眺望。 )

Dsc_1111


(奥の山展望広場。京都方面の眺望。 )

Dsc_1108


天王山山頂(△270m)には、土塁跡や天守台跡、井戸跡が残り、
平らで大きな郭には、そこに山崎城があったかのような妄想が膨らみます。
(天王山アプリARで山崎城見えるんですよ。今回は使いたかったけど時間が無いので使えず…次回楽しみに。)


Dsc_1106
礎石もバッチリ残ってます。


天王山に登ったよ!という証明書を
西山天王山駅前長岡京naviとJR山崎駅前の西田本店さんで発行してくださる様(100円)
なんと!50回登ったら表彰ですよ!

50回も登れないと思いますが、うちのスタジオイベントでお客様と来たときは、是非記念に証明書をもらおうと思います。

色々史跡もあるし、野鳥の気配もするんですが、
トレイルランニングは歩くより視野が狭くなるので、自然観察できず…、

ARアプリも使ってみたいので、またじっくり歩きで探索に来たい。 

Dsc_1161

最後は長岡京へ…念願の勝龍寺城址です。


勝龍寺城址へ行くまでの道中、神足神社(こうたりじんじゃ)があります。
そこには、勝龍寺城の空堀や土塁が綺麗に残っています。

Dsc_1122


(空堀と土塁)

Dsc_1125


(空堀です)

Dsc_1134


(勝龍寺城の土塁内側)


勝龍寺城は、細川忠興とお玉(ガラシャ)が新婚時代を過ごした城。
今は水堀や土塁の上に近代的な塀や櫓が再現されています。

土塁の内側は散歩コースなんかになっているけれど、
さすがに、当時は散歩してなかったとは思うけどね…

すっかり平和な世の中ですね~

_20180120_165302


(細川忠興とお玉・ガラシャ)

Dsc_1147


(お玉・ガラシャの嫁入り)


新婚時代を過ごした時の時代背景は、
丁度織田信長が三好三人衆や松永久秀と抗争を繰り広げていた時。

忠興のお父さん(細川藤孝)は、織田信長に京への渡河点を押さえる前線基地の守備を命じられていて、
この境内や塀の外はきっと人馬が行き交って、新婚時代も物騒だったに違いないです。


Dsc_1150


(堀の穴 狭間から敵を撃つ)


綺麗な境内でも、狭間があったり
敵が攻めて来ない無いように高い土塁があったりと…。
戦闘態勢ばっちりです。

Dsc_1158


(南門も枡形虎口です。敵の侵入を防ぎます)


虎口(入口)は枡形虎口でL字型。
敵がなかなか侵入できない造りが残っていて、当時の緊張感が現代も残っています。


城址はあれやこれやと想像膨らんで夢中になってしまう…。
思わず長居してしまいそうでした。

たった1時間半のランニングの旅でしたが、大満足な歴史を辿るランニングでした。


【ルート】 
JR山崎駅スタート~霊泉蓮歌講跡碑 山崎宗艦句碑~宝積寺~青木葉谷展望広場~旗立松展望台~十七烈士の墓~酒解神社~天王山山頂(山崎城址)~奥の山展望広場~小倉神社~神足神社(勝龍寺城空堀址)~勝龍寺公園~JR長岡京  約10㎞


●2018年3月11日(日)スタジオBodyLux会員様限定イベント「飯盛山歴史ロマントレッキング」を開催します。関連記事はこちら→★★★

2018年1月19日 (金)

■3.11に思うこと【スタジオBodyLux会員限定イベント・飯盛山歴史ロマントレッキング開催】

3.11.

3.11と言えば、7年前の東日本大震災の記憶は今も鮮明です。

私はあの日、梅田でお客様のボディートリートメント施術中(確かモニター様の身体で練習をしていた)でした。当時のBLOG記事→★★★

6a0128757d360d970c0163060d20b497_4


床がぐるぐる揺れてただただ怖かった。

その時は一体何が起きたのか把握できず…自宅に戻ってからTVを付けた時に
東北の悲惨な状態に大きなショックと心がドーンと痛くなった記憶があります。

あれから、自分たちに出来ることを…と、
被災地を訪れたり、チャリティーイベントを行ったりしましたが、

少し落ち着いて、本当に自分たちに出来ることは何?と再度問いかけてみた時に、
ショックすぎて今までフワフワ浮遊していた心が、急に自分の所にシュッと戻ってきたと言うか…先ずは、自分達の周囲に還元させていただくことも出来るんじゃないか?と気付きました。

「コミュニティを作りたい。何かあった時に支え合える。居心地のいい場づくりをしたい!」そう思いました。

今は、同志と共に「健康サポートプロジェクト」や「スタジオBodyLux」を立ち上げ、コミュニティを継続させていただいていますが、
きっかけになったのが3.11です。


3.11が来るたびに「支え合える関係づくりと居心地のいい場づくり」というキーワードは忘れてはならないな…と再確認させられます。まだまだ修行中…

そんな3.11の日に、コミュニティであるスタジオBodyLuxのお客様と山登りをしたいと考えています。

是非一緒に歩いて、
楽しいかもしれないし、しんどいかもしれないし、非日常的な風景や時間にドキドキしましょう。


「飯盛山歴史ロマントレッキング」

1516356778632

1516356775753

1516356774140

大東市と四条畷市をまたがる飯盛山は生駒山系の1つで、北側から見るとこんもりお椀を伏せた形(ご飯が山のように盛られている形)で、標高314m。
去年の4月に「続・日本100名城」にも選ばれ、飯盛城という城跡や史跡があります。
山頂からの展望は雄大で、大阪平野や淡路島・六甲山・北摂・京都盆地が一望できます。
歴史や自然にロマンを感じながら、山歩きをしてみませんか?
お友達やご家族の同伴、大歓迎です。
※スタジオBodyLuxの会員様限定のイベントとなります。もしくは会員様やスタッフと面識のある方限定です。


●とき:2018年3月11日(日)※雨天中止
●集合場所:JR学研都市線 野崎駅(解散はJR学研都市線 四条畷駅)
●集合時間:AM9:00
●距離:約7㎞
●所要時間:約3時間半~4時間程度 
●参加料:1080円(当日ご持参ください)
●ナビゲーター:坂田純子(サポート:天井店長)

●お申込み方法:①もしくは②
①スタジオBodyLuxのカウンターで受け付けお願いします
②メールにて: こちらのメールフォームから→ http://bodylux.jp/contact/
(表題に飯盛山歴史ロマントレッキング参加希望と書いてください。ご自身の名前と他にご家族やお友達の参加がある場合は、名前と年齢を記入ください)

●服装:
*山歩き出来る動きやすい服装(汗をかくと冷えるので、重ね着が出来て脱着調節可能な服装でお願いします)
*シューズはトレッキングシューズ、ウォーキングシューズ、または歩きやすいスニーカー等(ヒールは不可)
*帽子やバンダナ等の日よけ

●持ち物:
*リュック
*飲み物
*行動食(お腹が空いたとき簡単に食べれるもの)
*レインウェア(ビニールの大きなゴミ袋:レインウェアが無い方は、突然雨が降った時にゴミ袋をレインウェア代わりに出来るので重宝します)
*タオル
*下山してから着替えが必要な方は着替え
*救急用品(絆創膏等)

※下山後は四条畷です。商店街にカフェがありますので、解散後、行ける方は一緒に行きましょう!

2018年1月18日 (木)

■河内飯盛山 南尾根~地獄谷古道トレイルラン

Dsc_1062_3
仕事前の朝活です。

史跡や城址好きな山の大先輩のお使いで、

飯盛山千畳敷で3月末までやっている調査現場へ。(この作業を外から眺めてもいいか?聞いてきてと 笑)

慈眼寺スタートで南尾根へとトレイルラン。

雨上がりの山は、ジメジメとした湿度で身体をどんより重くしますが、
全てを洗い流した後の様に存在する全てを色鮮やかに美しく見せてくれます。

Dsc_1064_2

(リスが木から逃げ去ったけもの道)

突然ドドドドwwwと、リスが飛び出してきました。

雨上がりはごちそうがいっぱいかな?

Dsc_1061

(フィールドシートにリスと書き込みました)

Dsc_1068_2

山頂で展望を拝み

またここに来れた幸せを噛み締める。

Dsc_1070_2

あまり時間もないので

先輩のお使いを済ませたら地獄谷古道で駆け降りる。

Dsc_1073

Dsc_1072

地獄谷古道は、高師直に従った佐々木高氏の軍勢が古道を駆け降り、楠木正行軍を打ち破ったらしき道。

歴史好きにはたまらない古道です。


※四條畷の戦い:(1348年 正平3年・貞和4年正月5日)南北:楠木正行×北朝:高師直
紀伊・河内・和泉を席巻した楠木正行に対し、幕府は足利直義と対立していた高師直・師秦らを動かす。総勢20か国の軍が河内に投入され数万の数となる。これに対し楠木軍は2000程度で交戦。雨のような矢が降る中、正行や弟の正時らが戦死している。(枻出版 南北朝争乱より)


私も軍勢のつもりで駆け降りてみる。

しかし。。。

地獄谷。。。地獄だ。。。

急だし、道細っ。。。1足分の幅。

戦士のポーズのオブジェ見つけました。佐々木高氏の軍勢でしょうか。

この古道の横にも

今は使われていない古道があるらしいので

マムシが出る前にルートハンティングしたいです。

時間…無かったですが、色んな事がリセットできいい朝活でした。

2017年12月22日 (金)

■大坂の陣ゆかりの地をめぐるラン

Photo_6

帰宅ランでマラニックを試みる。

Photo_8

3年前に、某ラジオ局主催の大阪歴史健康ウォークと言うイベントで
大坂の陣コースを歩こう企画を行いました。


そのイベントにて、ウォーキング前の準備体操や後の整理運動を参加者さんに提供させていただき、

3000人を先導して歩いた事があるのですが、今日はそのコースを思い出しながら走ってみました。

Photo_7

途中、今年中に会いたかったお友達の空堀商店街にあるカフェに寄ってお腹を満たし、

どうしてもクリスマスまでに行きたかった福井生まれの細川ガラシャにちなんだスポットも追加してみました。

最後は鴫野の冬の陣最大の激戦地古戦場まで行きたかったけど、
夕方から仕事でタイムアウト。
京橋で終了しました。

ここは暖かくなったらお客様を案内したいです。

【コース】
鶴ヶ丘駅(用事があってここからスタート)~天王寺駅~四天王寺~庚申堂~茶臼山~一心寺~安居神社~清水坂~愛染坂~増福寺~生國魂神社~空堀商店街(nuts kitchen)~円珠庵~心眼時~三光神社~玉造稲荷神社~越中井~カトリック玉造教会~大阪城~京橋

2017年7月12日 (水)

■関西一難関ルートの双門にチャレンジしてきました

Photo_3

関西一番難関と言われる双門ルートにチャレンジしてきました。
 
難関ルートと言われるのに…崖や沢をザイルなしで歩かせてくれるなんてホンマにすごいルートでした!!

梯子や目印のテープを設置してくれている方々に感謝。
おかげで最高の自然に包まれることが出来ました。

どこまでも続くエメラルドグリーンの川や滝壺。

自然が造った芸術の滝。

天然のオオヤマレンゲ。

のんびりしたカモシカ…。

そして、なかなか見つけられない幻の双門の石。→見つけました。

雨の後で足元滑りやすいし、川も増水していて緊張感いっぱいだったけど、大変な思いをして出会った自然は写真では伝えられないくらい素晴らしいもの。

無事登らせていただいて、本当にありがとうでいっぱい。

2017年忘れられない1日となりました。

【ルート】
熊渡~釜岳(白川八丁)~吊橋~千人嵓前テラス~双門の滝~幻の石の双門~川原小屋跡~狼平小屋~弥山~弥山小屋前でご飯~ナベの耳~ナメリ谷の激坂一気下り~熊渡