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2021年8月

2021年8月13日 (金)

■走る旅:中山道〔59〕碓氷峠・長野と群馬の県境へ

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、軽井沢駅~第18次 軽井沢宿~碓氷峠へ(旧中山道行き止まりまで)の続きで軽井沢宿を経て碓氷峠を越え坂本宿まで参ります。


碓氷峠は、江戸時代の旅人から、
「木曽の桟、太田の渡し、碓氷の峠が無くばよい」と言われるくらい危険な場所だったと言われています。今はどんな風なのでしょうか…

軽井沢宿から碓氷峠を越えて坂本宿まで18㎞の旅。

18㎞のログは長くなるので、何分割かしながら旅をふり返りましょう。

■ルート:
第18次 軽井沢宿~碓氷峠~第17次 坂本宿(18km)

 碓氷峠・県境へ
 
軽井沢の宿場から、標高1200mの長野と群馬の県境を目指して峠を登っていきます。
軽井沢宿から県境までの上りは標高960mから1200mまで。

そこから坂本宿の標高400mまで一気に下るので、碓氷峠は軽井沢宿から越えるほうが楽で、坂本宿から越えるほうがキツイです。
旅も4日目。峠越えも4つ目でだいぶん疲れていたので、軽井沢からの峠越えで本当に良かったと思います。

軽井沢の中山道旧道(県境までの旧道)は通行止めで、遊歩道で県境まで目指します。
山道には変わりございませんが、足元はとても見通しが良いです。

ちょうど県境のあたりも中央分水領(雨の別れ道)ですから、緑がキラキラと輝いていて、空気が澄んでおりました。
マスク生活で酸素不足な身体の細胞が1つ1つプチプチはじけて喜んでいる様でした。

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※遊歩道へと戻ります。

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いたるところに大きな動物のフンが落ちていて、緊張感が高まりました。

帰宅してから、調べてみたらハクビシンのフンでした。
この日もハクビシンには出会っているのですが、小型犬くらいの大きさなのに、人に負けない様な立派なフンをするとは!たくましいです。

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ヤドリギでしょうか…なんだろう…。

ヤドリギであれば、樹木の枝に付着する半寄生植物です。
確か岐阜の中山道沿いにもありました。

植物でも昆虫も動物も人も…
何かに寄生して栄養分を吸収して生育するイキモノはおります。
そういう生き方もありますが、私はなるべく自生の部分を多くしたいです。

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みずみずしくて美しい。

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ひょえー!熊出没情報。

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ここを上ると…いよいよ県境。

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向こうに埼玉と東京。
稜線は、妙義山、裏妙義、谷急山、遠くには雲取山や甲武信岳が見えます。

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とうとう長野と群馬の県境。


●熊野神社

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県境に本宮、長野県側に那智宮、群馬県側に新宮があります。
それぞれにご神体がある神社は珍しいです。


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●建国記念塔

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建国記念の日は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966(昭和41)年に定められました。
この2月11日という日付は、初代天皇とされる神武天皇の即位日である(旧暦)紀元前660年1月1日にあたり、明治に入って(新暦)に換算した日付。
日本人にとっては、日の名前が変えられたとしても、忘れてはならない日です。

建国記念の日の制定には菅原通済が深く関わっていらっしゃって、建国記念の日の制定だけではなく、三悪追放を訴えたりもしたお方のようです。
ウィキペディアを読んでみると、他にも色々な説があり、とても豪快な方でした。

通済の別荘は今でも軽井沢に現存しているそうで、だから…碓氷峠に
「建国記念搭」なんですね。

当時の東京生命が建て、柱には佐藤大寛の墨書。

大寛は、小田原市ゆかりの墨彩画家で独自の画境を追求した方だそうです。

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●芭蕉句碑

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昭和12年に建立された歌碑です。

「日の暮に うすいの山を こゆる日は せなのが袖も さやにふらしつ」
(よみ人知らず)


「ひなくもり うすひの坂を こえしだに いもが恋しく わすらえぬかも」
(他田部子磐前)

奈良時代の防人で755年(天平勝宝7)上野から筑紫に派遣される途中、碓氷峠を越える時に詠んだ句。

昔の方が素晴らしいと感じることは、旅をしながら歌を詠むこと。
…心にいつも雅さを持っていたんだなぁ。

わたしは大きく分けると「喜怒哀楽」の表現しか持ち合わせていませんので、稚拙ながらも一つ歌を詠んでみたくなりました。

●詩聖タゴール(インドの詩人)

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日本軍国主義に強い心配を持っていた…と説明版に書かれておりました。

タゴールの像は、建国記念塔の隣に建っているんですが、
日本の歴史を重んじる建国記念塔と、日本の軍国主義反対の思想を持つタゴールの像の間に、対照的なゆらぎを感じました。
そのゆらぎの狭間は混沌としておりますが、きっと誰もが願う「平和」があるんだと思います。

県境は県と県の間ですが、何かと何かが対峙している狭間は、統一性がないですが、良いごちゃごちゃさを感じました。

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さてさて、昔は山賊や山姥がいたという碓氷峠。
県境から坂本宿へと一気に下りますよ。

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あ…行き止まりの旧中山道は、ここへ出てくるそうです。

*タイトル
長野はいくつか宿場の宿題を残しましたが、とうとう群馬に脚を踏み入れました。

中山道を走る旅をしなければ、たぶん一生足を踏み入れることが無かった県・群馬…。

何かを制覇したいという気持ちはコレクション好きの心をくすぐります。
群馬県に来たことで、日本には47都道府県があるのに、行ったことのない場所があるというのはもったいないなぁ…なんて思うようになりました。

まだ未踏の地である、青森・山形・佐賀・栃木!
いつか、それぞれの地の魅力を尋ねに参りたいです。
 
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

2021年8月12日 (木)

■走る旅:中山道〔58〕軽井沢駅~第18次 軽井沢宿~碓氷峠へ(旧中山道行き止まりまで)

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、  長坂~瓜生坂~第24次八幡宿~第23次 塩名田宿~佐久平の続きで、
軽井沢宿を経て碓氷峠を越え坂本宿まで参ります。


岩田村宿と小田井宿、追分宿、水掛宿は比較的街中を前進するので、
今回は飛ばし、先に難所と呼ばれる碓氷峠を越えてしまいます。

碓氷峠は、江戸時代の旅人から、
「木曽の桟、太田の渡し、碓氷の峠が無くばよい」と言われるくらい危険な場所だったと言われています。今はどんな風なのでしょうか…

軽井沢宿から碓氷峠を越えて坂本宿まで18㎞の旅。

18㎞のログは長くなるので、何分割かしながら旅をふり返りましょう。


■ルート:
第18次 軽井沢宿~碓氷峠~第17次 坂本宿(18km)

軽井沢駅~第18次 軽井沢宿~碓氷峠へ(旧中山道行き止まりまで)
 

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まさか!まさか!
佐久平にまた来る日が訪れるとは思っておりませんでした。

2018年に八ヶ岳の野辺山ウルトラマラソンでケガをしまして、
佐久総合病院で診察を受けました。
●当時の記事→☆☆☆

松葉杖をついて、悔し涙で唇をかみしめながら佐久平駅の改札を通って3年後。
元気な姿で再び改札を通れるなどとは思っておりませんでした。

待合室に中山道の地図がありましたが、あの時は全く興味がなく「なかやまみち?」と読んでいたくらいです。
それが今は、「中山道」を「なかせんどう」と読めるようになったし、
その上、大阪から走って佐久平まで来れるとは!!!
人生って、ドラマティックすぎます。

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ワープで軽井沢宿へ参ります。

残された長野の区間は、次の宿題。
だから、もう1回佐久平へ来ることになるのです。
佐久平に呼ばれている。そしてご縁がありすぎる。


●軽井沢

軽井沢に到着です。
長野の人は「かるいざわ」と呼ばずに「かるいさわ」と呼ぶそうです。


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●軽井沢のマンホール

浅間山と白樺です。

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●離山通り

おそらく、軽井沢宿がにぎやかだったところ…ですが、今は当時の宿場の名残がありません。

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●軽井沢脇本陣江戸屋跡

軽井沢観光会館のあたりだそうです。
本陣は聖パウロ教会のあたり。

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●オシャレなレトロ写真館

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●つるや旅館

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芥川龍之介さんが宿泊したと言われてます。

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●芭蕉句碑

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馬をさへ ながむる雪の あした哉〟

普段見慣れているただの馬でさえも、
昨日とは一変した真っ白な雪の朝には、
歩む姿に格別の風情を感じて眺めてしまう。(松尾芭蕉)

●ショー記念礼拝堂

軽井沢
の恩父と呼ばれる宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーによって創設された軽井沢で最初の教会。
趣きがありますね。

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身を置いているだけで、涼やかな緑。二手橋より。

〔軽井沢宿〕
●本陣:1
●脇本陣:4
●旅籠:21
●家数:119



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涼やかさは身体だけではなく…この後心まで凍らせることに。

熊出没情報の看板を発見です。この日の3日前に熊が出没したとか。
お友達情報によると、他のところでも1頭目撃されていて、2頭いるそうです…ちなみにヤマビルもまだいる様です。

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浮かれていたのが、急に沈み込む。。。
用心しながら真剣に前に進みましょう。

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本来であれば、遊歩道を進みますが、旧中山道ということで、遊歩道へは行かずです。

軽井沢に住む人が、道間違いをしているのかと心配して「遊歩道はあちらですよ」と教えてくださいました。いえいえ、旧中山道を行くのです。

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中山道を走破したお友達が、ここから下ってはいけません…と言っていた場所。
熊出没の看板を見たら、こーゆー所は下れません。

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どんどん、道が無くなっていきます。

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獣道に…。

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はい!行き止まり。

道が崩れていました。
行ってはいけないコーンの印があるので、おとなしく遊歩道へ戻りましょう…内心ヨカッタ…と思う自分…。
熊が出そうで怖かったので。

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そんなことで、旧中山道ではなく、遊歩道の中山道(新しい中山道)を進むことに。

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まだまだ碓氷峠は先ですよ。

*旅を終えて
標高960mと、心地よい軽井沢ですが、動植物にとっても心地よい所ですね。
熊の出没情報には心身が凍りました。
 
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

■走る旅:中山道〔57〕 長坂~瓜生坂~第24次八幡宿~第23次 塩名田宿~佐久平

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、茂田井一里塚~茂田井宿~第25次 望月宿~長坂の続きで、
瓜生坂を経て佐久平を目指します。

民宿みや さんから、佐久平までの28㎞の旅。
28㎞は長くなるので、何分割かしながら旅をふり返りましょう。

■ルート:
民宿みや~第27次 長久保宿~笠取峠~第26次 芦田宿~第25次 望月宿~第24次八幡宿~第23次 塩名田宿~佐久平 (28km)

 長坂~瓜生坂~第24次八幡宿~第23次 塩名田宿~佐久平

長坂で、あどけない表情をしながら見守る双体道祖神や
馬頭観音様達に見送られ、第25次 八幡宿を目指します。

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●瓜生坂

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長坂が終わると、瓜生坂。
瓜生坂は、江戸中期の観音様と念仏百万遍塔が置かれております。

●瓜生坂一里塚

江戸から45里。
少しずつジリジリと江戸に近づいておりますよ


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望月宿という字。
このあたりから、望月宿とはサヨナラで、八幡宿を目指します。

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山アプリや地図アプリでは、舗装路をさすのですが、中山道は草木が生い茂る道。
東の方から旅してくると中山道の入り口に道標があるので道がわかるのだけれど、
西からは看板が出てないので舗装路を走ってしまいそうになります。

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坂の下り口。
東から見たら、道標がちゃんとある…。
西からの旅人に冷たい中山道(笑)


●旧中山道道標(元禄の道標)

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字が読めません…。


●百沢の双体道祖神

男性は衣冠束帯、女性は十二単の貴族。
お酒を楽しんでいらっしゃいます。

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八幡宿の文字が見えてきました。

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雨は上がったけれど、
アマガエルはまだまだ楽しそうに動き回っています。

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マンホールはあさしな
浅科地区は、浅間山と蓼科山の中間にあるためにそれぞれから1字ずつとったそうです。風景は浅間山と千曲川と五郎兵衛新田。

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●八幡宿本陣跡

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和宮親子内親王様がご宿泊になったそうです。
お供の行列は約3万人。前後50㎞…通り過ぎるのに4日間かかったとか。
大切に大切に徳川家までお供されたんですね。

 [八幡宿]
●本陣:1
●脇本陣:4
●旅籠:3
●家数:143

●御馬寄一里塚標識

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江戸から44里です。


●千曲川

佐久は鯉料理が名物。
お店で出てくる鯉は、しっかり泥を吐かせて美味しくいただけると言われますが、鯉は解剖の思い出があって、ちょっと食べれないなぁ。

千曲川で育った鯉は、佐久の気候や綺麗な水で、さぞ美味しいのでしょうけども。

ここまでくる間にもリンゴ園がいくつかありましたので、次スタートするときには佐久のリンゴを使った名産品をいただこうと思います。


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万葉集にも歌われ、島崎藤村が大好きだった千曲川。
「信濃なる千曲の川のさざれ石も 君し踏みてば玉と拾わむ」(万葉集)

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●塩名田宿

塩名田宿の街並みです。

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鯉料理…ですね。

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●三階建て住居群

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塩名田の川原宿の三階建て住居。
国道よりも低い位置にあるために、二階に三階をつけ足して国道に出入りしていたんだとか。

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●高札場跡

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●塩名田宿本陣

昔の名残は残りませんが、信濃15宿と木曽11宿の唯一、塩名田宿には本陣が2つあったそうです。

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●道祖神

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 [塩名田宿]
●本陣:2
●脇本陣:1
●旅籠:7
●家数:116

 


岩田村に入ってきました。

●駒形神社


中山道は、駒形神社前の道ではなく、1本外れます。

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●岩田村宿のマンホール

コスモスです。

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佐久平の街へ出てきました。宿場はこの先なのですが、
この日の旅は宿場へ行かずに佐久平で終了です。

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ホテルのチェックインは夕方なので、疲れをコメダ珈琲で癒します。
久しぶりに食べたシロノワールが美味しかった。
何日かぶりにいただいたコーヒーが胃に沁みわたったな。

*旅を終えて
中山道は岩田宿へと向かいますが、この日は佐久平で終了。

14時ごろ到着しました。
登山でも同じなのですが、朝早く出て、早く着く…というのがしっくり。
中山道は山間や山の中を走ったりもしますので、明るいうちに…を心がけております。

周囲の方から、
「夏に距離を稼ぐなら〝夜間走〟でしょ。」とアドバイスをいただくことがあります。

暑さをしのげるから、本当にそうだな…と思います。
しかし、個人的には、遠くの中山道まで来て夜間走りは勿体なすぎるなと思うのです。
景色や景観を見ることもできないし、伝統工芸品やご当地フードもいただけない。
それなら中山道じゃなくて、家の近所でもできるよな…と。
走り方や価値観は人それぞれ。
自分のスタイルで道を行くのが人生。

┈┈┈┈┈┈┈
「なにごとにも人にぬきんでようとすることはいい、けれどもな阿部、人の一生はながいものだ、一足跳びに山の頂点へあがるのも、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局は同じことになるんだ、一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるし、それよりも一歩、一歩を慥(たし)かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ、わかるかな」(長い坂:山本周五郎著:上・P29)
┈┈┈┈┈┈┈

私は、距離を稼ぐためでもなく、ゴールを急ぐためでもなく、
日本のよき風景や伝統に触れながら中山道を走っているのだと。
ゆっくり1歩1歩噛みしめながら前進しますよ。
 
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

■走る旅:中山道〔56〕茂田井一里塚~茂田井宿~第25次 望月宿~長坂

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、 笠取峠一里塚~笠取峠松並木~第26次 芦田宿~茂田井間の宿~茂田井一里塚までの続きで、茂田井一里塚を過ぎ、茂田井宿へと入っていきます。


民宿みや さんから、佐久平までの28㎞の旅。

28㎞は長くなるので、何分割かしながら旅をふり返りましょう。

■ルート:
民宿みや~第27次 長久保宿~笠取峠~第26次 芦田宿~第25次 望月宿~第24次八幡宿~第23次 塩名田宿~佐久平 (28km)

茂田井一里塚~茂田井宿~第25次 望月宿~長坂
 
茂田井一里塚を過ぎると、茂田井宿の宿場。
幕府公認ではないために、旅籠はありません。
旅人の休憩どころとなった宿場です。

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●茂田井村上組高札場跡

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●馬頭観音石碑

めちゃくちゃ大きな石碑です。

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●茂田井間の宿の看板

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●茂田井村下組高札場跡

茂田井村は戸数が多く、上組、下組と二人の名主がいた時代があり、高札場が2か所ですね。

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土壁の塀や白壁の造酒屋が多く、レトロ感がたまりません。
古臭いのがすごくいいです。
映画・たそがれ清兵衛のロケ地になったとか。

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●神明社

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●中山道茂田井入り口

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お江戸からの入り口です。


望月宿へと向かいます。

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●望月宿 マンホール

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望月宿は、八月の満月の日に合わせて、名馬を京都に納めていたことから望月と呼ばれるそう。
マンホールはお馬さんなんですね。

●宿場の街並み

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昔は下駄屋さんですね。
軒先に看板が下がっています。

「毎月都で開かれる市に出店する店は、各店とも商品がわかるように看板を…」と。平安時代には看板を出すことが法律化されていたそう。

「看板」の語源は「看(み)せる板」。
安土桃山時代の末期から江戸時代にかけて「看板」という言葉が使われるようになっていったとか。→Instagramでお友達が教えてくれました。

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●望月宿大森本陣

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今でも残っている本陣は、病院や歯科医院が多いような気がします。
望月宿は小児科医院。

●望月宿歴史民俗資料館

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鹿曲川(かくまがわ)です。

●長坂

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長坂の馬頭観音様。
旅人の安全を見守ってくれています。

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長坂を上り、八幡宿へと続きます。
長坂の双体道祖神様、あどけない表情で、とってもかわゆいです。

〔望月宿〕
●本陣:1
●脇本陣:1
●旅籠:9
●家数:82

*旅を終えて
映画のワンシーンに紛れ込んだような茂田井宿と望月宿。
今にも真田広之さんと宮沢りえちゃんが出てきそう。

綺麗すぎなく、どこか不完全で、イビツでムラがある。
どんな時代を見てきたのだろうと、自分と物や場の関係性をどんどん連想し想像が膨らんでいく…。
中山道は、わたしの好奇心を掻き立ててくれる道です。
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

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2021年8月11日 (水)

■走る旅:中山道〔55〕笠取峠一里塚~笠取峠松並木~第26次 芦田宿~茂田井間の宿~茂田井一里塚

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、民宿みや~第27次 長久保宿~笠取峠~笠取峠一里塚の続きで、
笠取峠を越えて 第26次芦田宿、そして茂田井間の宿へ。

民宿みや さんから、佐久平までの28㎞の旅。
28㎞は長くなるので、何分割かしながら旅をふり返りましょう。

■ルート:
民宿みや~第27次 長久保宿~笠取峠~第26次 芦田宿~第25次 望月宿~第24次八幡宿~第23次 塩名田宿~佐久平 (28km)

笠取峠一里塚~笠取峠松並木~第26次 芦田宿~茂田井間の宿~茂田井一里塚
 
 笠取峠一里塚を過ぎ、笠取峠松並木へ。

●笠取峠松並木

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慶長7(1602)年頃、幕府から小諸藩に下附された赤松数百本を植えつけられたと伝えられている笠取峠松並木。
マツ並木は、江戸時代には、街道の難所である笠取峠に付随する旅の名所として、旅人の心を癒し、諸大名の行列の通行をはじめ、街道を行き交う旅人の様子や時代の変遷を見守ってきました。

松は塩害に強いとされ、東海道に植えられましたが、松の寿命は300年なので、今ではどんどん姿を消している様です。
中山道で赤松の並木道は珍しかったです。

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天然記念物指定68本と、それ以外の若木で計202本が並びます。
中山道一の松並木だそうで。

雨もポツポツ降ってきましたが、松並木が笠の様にガードしてくれています。
笠取峠とは、木々が日差しや雨をガードしてくれて、笠が取れる峠ということなんでしょうか。→勝手な解釈。

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●第26次 芦田宿

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入口は桝形。

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マンホールは蓼科山。

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芦田宿の宿場の風景。

●芦田宿脇本陣

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●芦田宿本陣

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お嫁いりの大名行列も、芦田宿を通過されているのですが、本陣では和宮様が昼食を摂られたとか。

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出口も桝形。

●芦田宿

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■本陣:1
■脇本陣:2
■旅籠:6
■家数:80

雨がやみません。

しかし、アマガエルが田んぼから一斉に川に向かってお引越ししている姿を発見しました。

なん十匹、いや…もっと沢山のアマガエルがピョンピョン跳ねる姿は圧巻でした。
小雨の中山道も良いものだな…なんて思いました。

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●茂田井間の宿

前進しているうちに、茂田井間の宿に入ったようです。
間の宿は、望月宿と芦田宿の間にもうけられ、旅人の休みどころとなりました。幕府公認ではないために、旅籠はありません。
看板の下には、茂田井宿の道の様子が描かれています。

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●茂田井一里塚

江戸まで46里。
あと180㎞くらいです。

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*旅を終えて
秘境というほどの山奥ではなく、完備された国道や県道からほんのちょっとそれた旧街道には、ひっそりとした真空地帯があり、人に忘れ去られてしまった様な「世を避けてしのぶ村里」と呼ぶのにふさわしい場所が残っております。

本来は世を避けているのではなく、新しく別の道路が完備されたので、昔はにぎやかだったのでありましょうが、今は少し寂しくなってしまった場所というのがシックリくるのかもしれません。中山道には、そんな「世を避けてしのぶ村里」がとても多いです。

キラキラな観光地も良いですが、昔歌人が訪れ、歌を詠んだ静かな場所で、閑雅な時間に身を置くのもとても良いものです。
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

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■走る旅:中山道〔54〕民宿みや~第27次 長久保宿~笠取峠~笠取峠一里塚

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、唐沢一里塚~第28次 和田宿~疲れを癒した民宿みやの続きで、
長久保宿を経て笠取峠を越えます。

民宿みや さんから、佐久平までの28㎞の旅。
28㎞は長くなるので、何分割かしながら旅をふり返りましょう。

■ルート:
民宿みや~第27次 長久保宿~笠取峠~第26次 芦田宿~第25次 望月宿~第24次八幡宿~第23次 塩名田宿~佐久平 (28km)

 民宿みや~第28次 長久保宿~笠取峠~笠取峠一里塚
 

民宿みや さんからのスタートです。
(写真は青空ですが、前日のもの)

この日は朝から雨が泣き出しそうなお天気で。
佐久平まで、なんとかもちますように…と願いながら進み始めます。

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●四泊一里塚

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国道を進むと四泊一里塚を見逃しますが、中山道は国道の横になります。
中山道に標識のみ残ります。

寛永8年の洪水で長久保宿が流されて、塚もその時に流失したそうです。このあたりに長久保宿や一里塚があったようです。江戸から48里ですよ。


●これより長久保宿

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●長久保宿・問屋

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●竹内家住宅(釜鳴屋)

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●脇本陣跡

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●高札場跡と長久保本陣跡

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高札場は2011年に復元されたそうですが、いい味出していますよね。

長久保宿は真田幸村ゆかりの地なんだそうで、宿場に新しい観光案内のPOPがチラホラありましたが、対照的に建物は古い建築物が残り、味のある宿場です。

真田幸村ゆかりの地というのは、本陣石合家に真田幸村の長女「すへ」が嫁いだからだそうです。
大阪からここへ遠く離れた長久保宿へ嫁がれたんですね。

●火消車

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昔ながらの建築物が残り、古い火消車には釘付けでした。
かっこいいな。
いつまで使われていたんでしょうか。

長久保宿は、L字型の宿場なのだそうですが、形はよくわかりませんでした。
和田峠や大門峠の登り口として栄えたそうです。

●本陣:1
●脇本陣:1
●旅籠:43
●家数:187

●松尾神社

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お酒の神様がいらっしゃいます。
ご祭神は酒造守護神の「大山昨命」

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神社の境内の中を通過します。
ご神木は赤松でしょうか。

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社には、行ってきますとご挨拶。

●靖国霊社

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靖国霊社や日露戦争戦没者慰霊碑が立っておりました。
日本をお守りくださってありがとうございました。
手を合わせて進みました。


●いよいよ笠取峠

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雨で夏の季節の笠取峠は、雑草がイキイキしているので、
元気な蛇が出て来そうで足元がちょっと怖いです。

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●笠取峠原道

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入り口や道がわかりにくいですが、中山道原道です。

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看板が落ちていて方向がわかりにくい。
特に西からの旅は看板が無かったりすることも多いので、地図は必須です。

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●お地蔵様

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●笠取峠立場図

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笠取峠の茶屋小松屋から浅間山が見えていますね。

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●峠乃茶屋

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●道祖神

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●笠取峠一里塚

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北塚が残っていて、当時は塚木が赤松だったとか。
江戸より48里の一里塚です。

旅を終えて
笠取峠は、和田峠の後だったので、体感覚はすごく楽な感じでした。
実際は(昔は)上り下りのあった峠なんでしょうね。
この先、笠取峠の松並木を越えて芦田宿へと向かいます。
 
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

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2021年8月10日 (火)

■3連休

沢山感動し、パワーをいただいたオリンピックも終わりました。

スポーツは本当に美しく素晴らしく、
スポーツマンシップに感動させていただきました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
※スポーツマンシップとは、運動家が備えているべき、明るく正々堂々とした態度・精神。
スポーツのルールを遵守してゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的な姿勢をいうものである。
スポーツマンシップとは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
オリンピックについて、見て応援していただけの私は、アレコレ言える立場ではありません。
ただただ、関係者の方方々や、日本をはじめ世界から集まったアスリートの皆様を通して気付きや学びをいただきましたので、
「ありがとう」と言いたいです。


そんなことで、3連休は仕事もありましたが、
オリンピックを応援し、
読書をして終わっていきました。

本来であれば、靖国神社へ手を合わせに行く頃ですが、
大阪は緊急事態宣言が出ておりますので、県境を越えることができません。

しかし、毎日1章ずつ中山道のレポートをUPしておりますので、
自宅に居ながらも、もう一度バーチャルな旅ができているような感覚で楽しいです。
靖国さんも、我が家の神棚のお札に手を合わせましょう。

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8月は読書三昧です。
読書をすることで、好奇心が養われます。

〝調べる。行ってみる。確かめる。また調べる。可能性を考える。実験してみる。失われてしまったものに思いを馳せる。耳を澄ませる。目を凝らす。風に吹かれる。その一つ一つが君の世界の記述の仕方を教える。〟(福岡伸一先生)

賢くなりますよ。

■走る旅:中山道〔53〕唐沢一里塚~第28次 和田宿~疲れを癒した民宿みや

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

Photo_2
〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、和田峠の頂きから唐沢一里塚までの続きで、
難所で和田峠を越えて、民宿みやまでのレポートです。

下諏訪宿から和田峠を越えて、民宿みや まで33㎞の旅。
33㎞は長くなるので、何分割かしながら旅を振り返りましょう。

■ルート:
下諏訪駅~難所和田峠~民宿みや (33km)

 唐沢一里塚~第28次 和田宿~疲れを癒した民宿みや
 

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唐沢一里塚を越えると、標高863.7mの中山(中山城跡の城山)が見えてきます。

道は舗装路になり、中山の周りに流れる依田川と大門川が合流する落合まで、延々と前進します。
落合は、ちょうど中山の端なのですが、中山が長くて長くて…延々と終わらないのです。

和田峠を越えた後の身体に堪えた区間でした。


●一般のお宅を撮影してごめんなさい

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なんと!表札が「本陣」さん。
街道好きな方にはたまらないスポットだと思います。
史跡とはまったく関係ありませんが、とても珍しいお名前でパチリ。


●茅葺バス停

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日本昔話に登場するような茅葺入母屋造りのバス停です。
トトロが出て来そうですね。


●双体道祖神

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道行く旅人を見守り励ます道祖神様です。
「ああ、もう少しだ!ガンバロウ!」と思います。

●中山道標識

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●和田宿マンホール

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●第28次和田宿
●高札場

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●和田宿の街並み

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●屋号の看板

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●懐かしいレトロなお店

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●脇本陣横広場

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トイレあります!

●脇本陣

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●本陣

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●かわちや

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和田宿は、昔ながらの建物が残っていて、当時の歴史の名残を感じることができました。

●本陣:1
●脇本陣:2
●旅籠:28
●家数:126

●懐かしい看板

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白鳥マークのキグナスの看板!

なんだか久しぶりすぎるというか、
記憶のかなたに追いやられていたというか、
昔過ぎてなかなか思い出せなかったというか。
この看板がまだあるとは。


●芹沢一里塚

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江戸より49里!(192.436㎞)200㎞切りましたよ。

もうとっくに日本橋に到着しているくらいの距離を走っていますが、寄り道し過ぎているので、日本橋に着くころには、中山道を目指した距離は何㎞になっているんでしょうか。


●三千僧接待碑

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●ミミズの道祖神

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「この記念碑は、ここ(みみず)地区に住む人々の希望により祭られました。
蚯蚓(みみず)は、土壌動物の代表で、みみずは枯れた落ち葉や木の枝をよく食べ糞をします。
その糞が「土」となり、生まれたばかりの土にはよく植物が育つのです。少し残酷ですが、「ミミズの干物」を作り、解熱剤として煎じて使いました」

説明板には、こう書かれていました。
この地区では、ミミズが神。
ミミズが大切にされてきたんですね。

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●落合

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落合を折り返すように、来た道と反対側の山裾を、山をグルンと回ります。
もうすぐ民宿みやさんにつくはずなのですが、
ここからがまたまた長く感じました。

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山裾をグルンと回るときに、山の端っこに登山道を見つけました。
中山は城山なのですね。

山城好きな私としましては…登山道へ入っていきたい気持ちを押さえて、通過します。
中山城は「武田信玄公の城」という伝承が残っているそうです。

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中山…長い…。

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中山の麓に、頼もしい番犬に守られながら、ヒツジさんたちがお昼寝していました。

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ヤギや羊たちの向こうにようやく見えてきました。
民宿みや さん。


●民宿 みや

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この日は33㎞の旅。
みやさんで旅の疲れを癒します。

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前日40㎞。この日33㎞。
重い荷物を背負って走った後の峠越えは、かなりを使った様で、到着後は夕食の時間まで、畳の上でダイノジになってバタンキューでした。

昔の参勤交代お侍は、宿に着いたら、お洗濯もしただろうし、ワラジが壊れたら修復もしただろうし、私よりもやることがいっぱいあったと思いますが、
お侍さん達も宿に着いたら、私と同じようにホッと疲れを癒していたのかな…なんて想像してしまいました。

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民宿みやさんの、お料理は絶品。
自家製のお野菜たっぷりのメニューです。

汗で身体から排出されてしまった塩分を、優しい味のお味噌汁や、ちょっと濃ゆめの豚の生姜焼きが補ってくれる。

そしてたっぷり艶々の白米。毎日十里を歩くお侍にとっては欠くべからずのエネルギー源。
一日五合を食べていたのだとか。


今や、身体を使わなくなった世の中になり、このデンプンが毒の様に悪者扱いされているけれど、旅を続けるには無くてはならないありがたい食材です。
おひついっぱいに詰められた白米は、すべて私の胃袋の中へと消えていきました。

●ビタミンちくわ

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おかずの中に、ビタミンちくわ。
長野はビタミンちくわのお料理が有名なんだそう。


山に囲まれているので、海のたんぱく源が入りにくい土地なので、北陸から練り物としてやってきたました。
長野県のソウルフードなんだとか。

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朝ご飯も立派すぎる!!

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※みや さんの色々料金表。(掲載許可済)

やさしいご夫婦が、長旅を労ってくださいました。
オリンピックを応援しながら就寝。
この日は、33㎞の旅でした。
しっかり旅の疲れをリセットして、また翌日もがんばりましょう。


●民宿 みや/〒386-0601 長野県小県郡長和町大門653

旅を終えて
蕎麦に力餅にお米に…中山道沿いにはとにかくデンプンが多い。
よく働き、よく動く。
食べて直ぐにエネルギーに変えるためには、欠かせない食料源なんでしょう。

毎日十里を進むお侍さんが、一日お米を五合食べていた理由が分かった区間でした。

私たちも、デンプンをいただいたら、よく働き、よく動きましょう。
 
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

2021年8月 9日 (月)

■走る旅:中山道〔52〕和田峠 峠の頂きから唐沢一里塚へ

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

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〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、和田峠(西餅屋茶屋跡)~峠の頂きまでの続きで、
難所の1つと言われる和田峠の様子をレポートいたしました。

下諏訪宿から和田峠を越えて、民宿みや まで33㎞の旅。
33㎞は長くなるので、何分割かしながら旅を振り返りましょう。


■ルート:
下諏訪駅~難所和田峠~民宿みや (33km)

 和田峠 峠の頂きから、唐沢一里塚へ
 

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峠の頂きで、お昼休憩を小半刻とってからのスタートです。



塩尻峠も和田峠も、雨の分かれ道と言われる中央分水領で、雨水が太平洋か日本海に流れるかが決まります。
松本盆地へ流れれば信濃川で日本海へ、
諏訪湖に流れると天竜川で太平洋へと流れるようになっているのです。
その分水領が、北は北海道の宗谷岬から、南は鹿児島県の佐多岬までつながっているとは、なんだか、日本列島の背骨の様で面白い。

ちょうど通過した和田峠は、日本の背骨の真ん中。
雨の分かれ道とあって、水も緑も豊かで動植物がイキイキしているんですよ。

頂きから和田宿にかけては、なだらかな坂をひたすら下りとなります。
西の方からですと、ちょっとキツイ様な気がしましたが、東の方から和田峠をトレイルランニングするのは気持ち良いかもしれません。


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だいぶん下ってくると、国道を通過する車の音が聴こえ、獣と会ってしまうという不安を少し和らげてくれます。

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国道の下をコルゲートでくぐると、なんだか千と千尋の神隠しの世界へつながっていくような気分に。


●東餅屋・東餅屋ドライブイン跡

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幕末には大名の休息のための茶屋本陣も置かれたそうです。

廃墟と化した少し近代の茶屋。
昔は力餅がここで食べれたような名残がわかる看板。

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今は、通る人が少なくなったのかな…
人がいなくなると、どこも廃れていくので、この中山道や日本の街道も、沢山の人に愛されますように。


●広原一里塚

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東塚がしっかり残っています。


広原一里塚から接待茶屋までが長い坂になっていて、多くの木橋を渡ります。
今は、整備の方が木橋を管理してくださっていますが、昔の方は小川に入って越えたんでしょうか。

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和田川源流です。
これが、千曲川に注ぎ、信濃川となって日本海へと繋がっていくと思うと、この水たちも長い旅をしているんだなぁ。


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●接待茶屋

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和田峠から下諏訪まではほとんど集落がなく、街道でもトップクラスの要注意難所であり、冬場は冷えと空腹対策を怠ると命の危険性があると、昔は茶屋を置き、毎年11月末から3月まで、旅人に暖を取らせ粥一杯、馬には年中桶いっぱいの煮麦を施していたとか。

旅人も馬も、通過が楽しみな接待茶屋ですね。(今は復元されたもの)

●ゴミ無し地蔵(接待茶屋近く)

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冬になると服を着せられたり。
今はコロナ禍なのでマスクかな。

●接待茶屋前の接待の湧水

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冷たくて、軟らかくて、とても美味しい水でした。


和田川や山の等高線と並走するように、緩やかに下っていきます。

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●三十三体観音

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山腹にあった熊野権現社の前に並んでいた観音たちだそう。
中山道の廃止で荒れてしまったけれど、発掘調査で29体が斜面に置かれたそう。


●国史跡 中山道の石碑

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●唐沢一里塚

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森の中に綺麗すぎる一里塚が、左右対峙していました。

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江戸より51番目の一里塚。


●山の大神

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和田峠を無事に越えたのか、男倉口に出ることができました。
ここから、和田宿を目指します。

旅を終えて
中央分水領という事もあり、水の綺麗なこと。美味しいこと。

水は、海から蒸発し、空から雨になって山や大地を潤していきますが、そこから川になって海に流れて…循環し旅しています。(私達も食べて出して、食べ物の燃えカスの息を吐いて…それを植物や動物や虫達が食べて…また私達の体に戻ると言う長い旅をしています。→考えてみたら〝脱炭素0〟の言葉はおかしいな。)

〝自然とは、人手を加えない、物のありのままの状態・成行き〟

美しい和田峠を前進しながら、この先何年も、この和田峠の自然を残していくには、前進させていただいている一瞬一瞬のありのままを残し通過させていただくことだな…と思いました。
 
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html

2021年8月 8日 (日)

■走る旅:中山道〔51〕和田峠(西餅屋茶屋跡)~峠の頂きまで

※リアルタイムのログではなく、数日前のログです。

Photo_2
〝人間一生 物見遊山…〟

これは江戸っ子の人生観を表す言葉。

生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えておりました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っております。

コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをしてこの旅を進めます。

今回は、ようやく帰ってきました!
厳冬期や緊急事態宣言などの社会情勢の理由で、8か月寝かした中山道を走る旅。
3泊4日で4つの峠を越え、約120㎞前進できまして、もうすぐ関東平野に抜けます。

しかし、今回の旅が終わった瞬間に大阪には緊急事態宣言が出まして、
またまた旅はSTOPします。
思うようにならない、そんな先を急がない旅に最初はイラついておりましたが、次第にドラマティックで良いかと思うように。

この章は、下諏訪宿から西餅屋茶屋跡の続きで、
いよいよ難所の1つと言われる和田峠へと入ります。
下諏訪宿から和田峠を越えて、民宿みや まで33㎞の旅。

33㎞は長くなるので、何分割かしながら旅を振り返りましょう。

■ルート:
下諏訪駅~難所和田峠~民宿みや (33km)

 和田峠(西餅屋茶屋跡)~峠の頂きまで
 

浅田次郎さんの小説「一路」では、鬼の栖と呼ばれた和田峠に脚を踏み入れます。

木々も青々と茂り、足元の雑草は元気いっぱい。
いよいよ峠らしくなってきました。
6月に熊が出没していることもあり、熊鈴を鳴らし、ところどころ声を出し、前に進みます。

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入り口は急です。

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石がゴロゴロ転がります。

●石小屋跡

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標高1600mの峠で、風雪の時は人馬も旅人も大変だったとか。
高さ2mの石積みをし、小屋を作っていたそうです。
今は石垣の一部を残すのみ。

●和田峠七曲り:七曲がりはじまる(1の曲がり~七曲がり)

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つづら折りに登っていきますが、我が家の近くの里山の七曲りの方がきついような気がしました。
わたしにとっては、優しい七曲りでしたよ。

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●ガレ場

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賽の河原の石だらけの斜面。

※冥土(めいど)の三途の河原。死んだ子供が父母供養のため石を積んで塔を作ると、鬼がそれをこわすが、地蔵菩薩に救われてまた石を積むという…。


●峠の頂き

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ありがたいです。地図は自由に持ち帰れます。

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和田峠は、古峠ともいうそうです。
お地蔵さんや、御嶽山大権現碑などもあります。

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※和田峠は、クマが怖くて、中山道を去年踏破したお友達と越えました。

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中央分水領線状。雨の分かれ道である和田峠。
ここから三峰山へも行けますし、鷲ヶ峰にも行けます。


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1人の時の峠越えは、止まると脚が固まってしまうので、
昼食は歩きながら食べれるものをいただくのですが、お友達と一緒とあって、小半刻休みました。

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休憩を終え、あとはひたすら下ります。

中山道の峠は関ヶ原手前の摺針峠から始まり、十三峠、馬籠峠、鳥居峠、塩尻峠、和田峠…とまだまだこの先にも峠が続くのですが、和田峠の標高が一番高いのです。
特に冬期は積雪で馬の通行ができないため、荷物は人が背負って通行するしかなく、とても大変だったようです。

人馬の遭難も多かったとか。
 
旅を終えて
写真をご覧の通り、山です。
中山道の最大の難所と言われるように、和田宿と下諏訪宿の間も五里半と長く、広重の浮世絵にもあるように、標高1600mの峠越えは大変だったようですよ。
(※1里:約4㎞)

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現代は、昔から多くの人が踏んできた歴史もあり道が鮮明ですが、昔は整備もされてなく、しかもワラジで峠を越えていたと思いますので、先人たちの苦労を感じました。
 
 
【ウォーキングやランニングをする上での注意】

●高温多湿の梅雨や炎天下の夏の季節は、帽子をかぶったり、こまめな水分補給をしたりして、充分な熱中症対策を心がげましょう。
●冬場は防寒対策を行いましょう。
●中山道は思った以上にコンビニがありません。行動食を持っておきましょう。
●トイレは駅やコンビニがほとんどです。事前に場所をチェックしておきましょう。
●自販機はあるコースと峠越えなどは自販機が無いコースもあります。余分に水分を持参しておきましょう。
●お天気が急に変化しますので、レインウェアを持参しましょう。
●救急グッズを持っておきましょう。
●ローカル線は電子カードが使えないことが多いので、電車賃を準備しておきましょう。

 

【走る旅・アーカイブ】

記事更新中→走る旅: https://kenko-support.lekumo.biz/junkosakata/runtabi_nakasendou.html