■[私が見つけた日本製]:京・西陣 孝太郎の酢
朝は蝉の命の鳴き声も止まり、夜は秋の虫の声が聞こえ始めました。
「孝太郎の酢・赤紫蘇すし酢」が届いたので、手巻きパーティーでした。
お気に入りに追加です。

●新生姜の甘酢漬け
新生姜は今がシーズンなので、さっそく作ってみました。
保存が1年できるようです。
他に美味しかった酢も、まとめてみました。
アミノ酸(ロイシン・イソロイシン・バリン)が黒酢には含まれていて運動後の疲労回復などに役立ちます。

健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。

参勤交代って何?
なぜ行われたんだろう?
というテーマに沿ってまとめてみました。
■参勤交代とは
参勤交代は、1635年(寛永12年)3代将軍徳川家光のときに、武家諸法度によって制度が定められました。
※武家諸法度とは1615年に2代将軍徳川秀忠のときに定められ、大名を統制するために将軍が変るたびに出されたもの。
参勤交代の目的は、
将軍への服属(服従し従属すること)を江戸参勤という形で諸大名に示させることです。
〝大名は、江戸と領地を交代して住むことを定める。毎年4月中に江戸に参勤すること〟
江戸と国元を往復する参勤交代は、殿様の病気などの正当な理由がない限り、参勤しないと幕府への反逆とみなされ、ある意味、公務でした。
■参勤交代の影響
路あるところに人が流れ、消費し街の経済が潤う。
今も昔も変わらないことですが、
旅行者をはじめ、数十人から数百人単位の大名が行列しながらの参勤交代も、街道の賑わいに大きく貢献し、通行する街道や宿場には多くのお金を落としました。
しかし一方で、大名は費用(交通費や人件費など)がかさみ財政が圧迫されました。
江戸から遠いとされる西の大名ほど参勤交代にかかる費用がかさみ、
お金のない大名は、幕府にはむかう力が持てず、勢力を抑えるのに効果的だったといえましょう。
わたしも、今走りながら、中山道を旅しておりますが、
西から東へ前に進めば進むほど交通費などの費用がかさんでいます。
参勤交代を行った大名たちは往復し、それが毎年ですから大変でしたね。
国元の大名に仕える民も、大変だったのではないかな。
路あるところに人が流れ、人が動くことで経済が潤っていくと思っています。
古い時代は街道沿いが栄え、
それが今では高速道路や新幹線ができ栄えている。
今も昔も人が行き来する交通と経済は切っても切り離せない関係ではありますね。
コロナ禍の今、移動が制限されることは仕方ないことですが、
人が動かなくなれば、身体ももちろん経済も不健康になる。
早く安心して人が行き来できるような社会になってほしいものです。
わたしの旅も、現時点においては移動は感染予防につとめ、人に接触しないようお店を利用することが少なく、旅先で見つけたモノをインターネットで購入するというなんだか寂しい形です。
ネットショッピングは移動せずに情報が得られ、
モノも購入できるという便利な文明の利器ではありますが、
実際に旅先で、お店の人に地元のあれこれを聞いて、人と生でやり取りができると、
〝見て聞いて、触れて、嗅いで味わって…〟
人間に備わっている五感がフルに刺激され、感性が研ぎ澄まされる。
これは、インターネットでは得られないことなのではないでしょうか。
早く安心して移動でき、サービスやモノが購入できる日が来るように祈る毎日です。
〝人が動くことで経済が活性化するのは、今も昔も変わらなこと。〟
わたしも、走る旅を通し消費し、
日本のいいところを発見し、旅のお気に入りを見つけていきたいです。(2020年8月26日)
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをし、
今回は、JR岐阜駅~第53次 加納宿~新加納宿~第52宿 鵜沼宿~JR鵜沼駅(20㎞)です。
JR岐阜駅~新加納宿の続きです。
●新加納宿:
加納宿から鵜沼宿まではおおよそ17㎞と距離が長く、
間の宿として新加納宿がもうけられました。
新加納宿から鵜沼宿までは、新興住宅地で街中を走ります。
コンビニやショッピングモールもあるルートとなります。
※グーグルマップは歩く設定で表記しています。
●町の様子
いたるところに〝蛙ちゃん〟がチョコンと座る道標があります。
無事カエル。
高札場跡。今は道標のみ。
ここが幕府からのルールや掟を掲げた場所なんですね。
左木曽路と書いた古い道標。
趣深いです。
●新加納一里塚
江戸から104里
104に3.9をかけるとおおよその距離が出てきますね。
今は新加納一里塚も道標のみです。
市川百十郎の名前の日本酒を作られています。
コロナが落ち着いていたら、林本店で〝百十郎〟を購入予定でした。
が、感染が少し広がっているので、今回は見送ってネットショッピングで買うことに。
市川百十郎さんとは、
岐阜県各務原市で明治から昭和にかけて活躍した役者さんで、
昭和6年~7年には計1200本もの桜の木を境川に植えた人物。
のち「百十郎桜」と呼ばれ、春になると毎年20万人を超える人々が訪れるという。
美しい百十郎桜の下のお花見も、今年はコロナで人が少なかったんだろうな。
来年はお花見ができますように。

●あげぱん儀十郎
中山道沿いにある〝あげぱん儀十郎〟さん。
この日は臨時休業とのこと。
営業時間も13:00からだし、
コロナ過でお弁当持参だし、
午前中に走る私にとって食べるチャンスは最初から無かったんですが、
食べてみたいです。
お友達から、写真をいただきました。
シナモン揚げパンです
キムチが中に入ったキムチ揚げパンもおいしいんだそうですよ。
●那加橋
那加橋を渡ると町から街に変わります。
繁華街を走るので、それこそキョロキョロ物見遊山です。
市民公園の森林の下を走るのが、木陰になって気持ち良かったです。
●航空自衛隊岐阜基地
ほんの少しだけ中山道を外れ、航空自衛隊岐阜基地へ。
現役で日本最古の飛行場だそうです。
飛行訓練で飛び立つ飛行機やヘリを見て
ワクワク。
各務原大地は江戸時代、各務原と呼ばれる原っぱでした。
鵜沼宿に向かってなだらかな登り坂になっています。
大正時代に飛行場が誕生し、
戦時中は、標的とされ空襲がひときわ激しかった地だとか。
あちこちに戦没忠魂碑があるので〝ありがとう〟と足を止めながら走った場所です。
武士道を書いた新渡戸稲造のこんな言葉が頭によぎる…。
「いにしえの 先行く人の跡見れば 踏みゆく道は 紅に染む」
古い時代に想いを馳せて、私が存在することは、
先人たちの苦労の上にあるということを意識し感謝…ですね。
●六軒一里塚跡
六軒一里塚。ここも江戸から104里だそうです。
新加納一里塚も104里なので、
距離の詐欺にあいそうです(笑)
川崎重工の前の高架をくぐると三柿野駅。
前回はここ三柿野駅で終了数予定でしたが、岐阜駅で終了してるので、
大幅に行程がくるっています(笑)
●山の前一里塚(各務一里塚)…?
山の前一里塚の場所がわからなかったので、googleに聞いたら
ここへ連れて来られました。ここで合ってるの?
〝旅人道中安全〟
お地蔵様なんやけどなぁ…と思いながら挨拶させていただきました。
ひたすらまっすぐ進む…
峠は正面に見える山かな…
●空安寺・日露戦没忠魂碑・衣装塚古墳
忠魂碑の裏で、鐘の音…
ありがたい気持ちで、忠魂碑の先達に感謝する。
空安寺の隣には、こんもりと衣装塚古墳。
円墳です。
4世紀末から5世紀前半につくられたものではないか…という説ですが、
ハッキリわからないそうです。
わからないから、いろいろ妄想が止まらないです。
衣装塚古墳の先は、高台で、
向こうに犬山城が見えます。
●西の見附跡
いよいよ西の見附跡です。
見附とは、宿場の入り口と出口に構えた防御施設のことです。
このあたりから鵜沼宿に入っていきます。
いよいよこの先中山道の峠のはじまりです。
西の見附の階段を登ると蓮池。
愛宕山とのショットが綺麗です。
カモも暑そうでしたが、楽しそうでした。
手を合わせて進みます。
●木曽川泥流推積物
向こうにあるネットごしの泥が、泥流推積物でしょうか。
75万年前から活動している御嶽山が5万年前に大崩壊し
土砂が木曽川などに流れ、鵜沼にもたどり着いたとか。
今も活動している御嶽山。
山は生きてますね。
姿形は、いつまでも同じじゃない…諸行無常を感じました。
●鵜沼宿
いよいよ宿場町。
↑西町交流館。
街並みがレトロでかっこいい。
特に安田家・梅田家・坂井家は、古い家屋そのままで
美しかったです。
鵜沼宿本陣です。
江戸時代は玄関の大きさで税金が決まっていたそうで、入り口が小さい。
●本陣1
●脇本陣1
●旅籠25
●家数68
通常は中に入れますが、この日はお休み。
次来るときは、中に入って古い家屋の仕組みを見学したいです。
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/4033/4045/004047.html
開館時間 : 午前9時~午後5時
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
祝日の翌日(土曜日・日曜日、祝日の場合はその翌日)、12月28日~1月4日
入場料 : 無料
所在地 : 各務原市鵜沼西町1丁目137番地
電話 : 058-379-5055
中山道を旅した松尾芭蕉の句碑がありました。
芭蕉も健脚だったんですね。
↑鵜沼宿本陣跡。住宅になっていました。
釜めし屋「花の木」
飲食店もレトロな雰囲気で素敵です。
うなぎ…食べたかったです。
この日は宿場全体がお休み…。
●旧大垣城鉄門
触ってみたら、鉄でした。
なめたら鉄分摂取できそうです。
●鵜沼 二ノ宮神社
本日の旅のお礼は二ノ宮神社。
小高い場所にあり、眺めがとても良いです。なんだか…ひょうきんな感じがしました。
国狭槌命(くにさづちのみこと)
山の神と野の神から生まれた子。
土の神と言われます。
古墳の上に神社があるって、不思議で神秘的。
色んな神様や戦没者の慰霊碑が。
瓦も素晴らしい。
昔の建築物って、大量生産しないから1点物が多く
1つ1つ丁寧ですね。今も丁寧だけど…。
●JR鵜沼駅
この日は美濃太田駅まで行く予定でしたが、
暑いし、物見遊山しながら感性を磨く旅をするために、鵜沼駅で終了。
欲張らず、せかせかせず、
少しづつ前に進みたいと思います。
空中回路で、犬山城を見ながらお弁当。
関西から地方に来たということもあり、
移さない…の方を心がけお弁当持参です。
早くコロナが少し落ち着いて、お店に入れますように。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
これまで(コロナが現れる前まで)はモノに囲まれたり、
映画や様々な娯楽で楽しませてもらったり…
テレビやネットを見ては即反応し、
人と同じことをやってみたかったり…同じものが欲しかったり…。
そんな受動的な楽しさを満たすことが幸せだと思い込んでいました。
しかし…そういう生き方は、はたして幸せなのだろうか。
自らの意志で前に進むこと。
自分で考えること。
感性を磨く旅をすること。
行動することの意味を考え、能動的に動くことで脳を拡張していくこと。
そうしてみよう。
中山道を走る旅も、そんな能動的な行動。
コロナの様子を見ながら、感染予防して〝うつさない・うつらない〟の心がけをし、今回は、JR岐阜駅~第53次 加納宿~新加納宿~第52宿 鵜沼宿~JR鵜沼駅(20㎞)です。
※グーグルマップは鵜沼宿駅終了ですが、実際はJR鵜沼駅・名鉄 新鵜沼駅終了です。
●JR岐阜駅スタート
大阪からは、始発の電車にて。
日が昇る前に出発し、極力「蜜」にならない電車で現地まで。
…岐阜駅までは片道約4時間かかり、往復8時間以上。
帰りも電車が「蜜」にならないうちに帰阪しているので、
日帰りでは走行距離も伸ばせなくなりました。
この日はAM9時に到着し、すでに気温35度。
距離が伸ばせないのはちょうどよい感じです。
中山道からは約1㎞離れているJR岐阜駅からスタートです。
●岐阜駅から近い中山道入り口
岐阜市の中心部の幹線道路を横断するように中山道があります。
中山道入り口にある道標。
道標の横に、歌川広重の絵。
参勤交代お侍が「下に~下に~」と大名行列。
●加納宿当分本陣跡・町の様子
●人口:2728人
●家数:805軒
●本陣:1軒
●脇本陣:1軒
●旅籠:35軒
●加納城大手門跡
加納大手町交差点。
加納城の大手門跡。
●高札場
●加納宿・東番所
●御鮨街道
江戸時代に、尾張名古屋と美濃岐阜を結んだ街道です。
美濃あたりは、北陸と結ばれる北国街道や、この名古屋からのお鮨街道とつながっていて、
東西南北からの交通の中心でした。
またコラムで詳しく書きたいと思いますが、
西の京都や大阪から中山道を使う藩は少数。
わたしは現代版少数派の西から東への足軽です。
新荒田川を渡ります。
158号線から金華山と岐阜城が見えます。
長良川からも良く見えましたが、岐阜城は岐阜が一望できるんですね。
いつか登ってみたいです。
●細畑一里塚
一里塚は一里(約3.9km)ごとに設置され、
距離の目安はもちろん、旅人に安らぎを与えていました。
こんもりと土を盛って、その上に木を植えるのが、江戸時代のスタイル。
いまは復元ばかりですが、細畑の一里塚は慶長9年(1604年)に作られ、
南北が対として残っています。
戦災で史跡がほとんど残っていない中、奇跡的ですね。
しかし、本日ごみの収集日。
一里塚の前にゴミ袋が積まれていて、今はここでは安らげない感じです(笑)
中山道マニアから見たら、すんごい史跡なんですよ~
●こんな言葉を見つけました
〝年を重ね
自分の力の限界を
知らされれば
知らされるほど
自分を生かしている世界が
いかに大きいか
知ることができる〟
・
・
・
中山道が教えてくれた言葉。
心にしみます。
できないことよりも、
今できることにフォーカスし、
感謝しよう。行動しよう。
●伊豆神社
本日、加納天満宮から〝いってきます。神様よろしくおねがいします。〟と
出発のあいさつをする予定が通り越してしまったので、
伊豆神社であいさつ。
神社の前もごみ収集場になっていて、
場所変えたほうがいいよと思ってしまいましたが、
わかりやすい場で集めやすいんでしょうね。

神様は、石長姫命(いわながひめのみこと)
なんと、先日ご挨拶させていただいた貴船神社と同じです。
呼んでいただいた気がしました。

●鵜沼宿まで…
加納宿から鵜沼宿までおおよそ17㎞と距離が長いです。
なので、新加納宿が間の宿としてもうけられました。
・
・
・
中山道…すれ違う人0。
お弁当持参なのでお店にも入らず、接触した人0。
感染予防しながら、電車には乗りますが、
移動については賛否両論。
何が正しいのかわかりません。
でも、自分がよいと思ったこと、お天道様に恥じない生き方を。
私が活動している時は、ほとんどお店が休みだということもありますが
正直、お店に入ってお金を回したいです。ほんまは、現地に人といっぱい交流したいです。
路があるところに、人が集まり流れ潤います。
昔からそうでした。だから、半年後…経済大丈夫かな。
この先(新加納宿~鵜沼宿)は、次のレポートへとつづく…
もうすぐ処暑。
日中は暑いものの、朝晩の涼しさに初秋の風や気配を感じる頃。
暦の上ではもう秋だというのに、
太陽が昇ると日差しギラッギラ![]()
2020年の太陽の恵みにあやかろう…ということで、
ゴーヤを干しています。
ゴーヤは干すと栄養価が上がり、うまみも出るんですよ。
※わたしはワタを取っちゃうんですが、
そのままで干す方がうんと栄養価があがります。
今の夏の日差しであれば、半日から1日あれば完成。
個人的には2日干してカラッカラにするのが好きです。
ストックを作っておきたいんですが、
今年はゴーヤの価格が高いんだなぁ。
・
・
・
空から爆音が鳴り
夕立が来そうだったので
急いで仕事から帰って
干しゴーヤを収穫しました。
季節外れのゴーヤチャンプルが楽しみです。
昨日、京都の林孝太郎造酢さんでいただいた
黒酢でシャーベットをこさえてみました。
※レシピは、お買い上げのときについてきます。
ヒンヤリサクサク爽やかなお味で、
タッパに作ったやつを全部食べそうになるくらいおいしい。
もっと早く出会いたかった!笑
この暑い夏を悠々と乗り越えただろうに。
まだまだ残暑が厳しいので、
しばらく毎日いただくおやつになるでしょう。
コロナ禍で、色々そぎ落ちてしまったこともあるけれど…
反面、大切な人や大好きな人、静かに繋がるご縁との再会多い8月。

お顔を公表できないのが残念ですが、
ほんまに美しいお友達です。
料理人であるお客様から教えていただいたレシピ。
〝うちの孫は、ドレッシングや甘味料がダメで、絶対に食べないから…〟
と工夫されているブロッコリーサラダを作ってみました。
今、ブロッコリーの価格が高いけれど、シンプルでほんまに美味しいし、
甘味料や添加物無しなので、安心ですね。
こーゆーのをお孫さんが好んで食べる…って、すごい。
小さいころから手作りの味を知っているのがうらやましい。