
健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして
名鉄鵜沼宿駅~第52宿 鵜沼宿~第51宿 太田宿~第50宿 伏見宿~第49宿 御嶽宿~名鉄広見線 御嵩駅 24㎞走ってきました。
レポートの容量が多いので、
24kmの道中のうち、伏見宿~御嶽宿(御嵩宿)として一部を記録します。
伏見宿から御嶽宿に向かって進みます。
みたけ宿は、地名は御嵩、宿名は御嶽と表記します。
・
・
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蟹薬師の名で知られている願興寺(がんこうじ)の門前町として栄えました。
桃山時代に建てられ東美濃の正倉院と言われ1200年以上の歴史があります。
この記事を書いている今はコロナ過中であり、
重要文化財の24体の仏像を拝観することはできないですが
コロナウィルスが無ければ、予約して拝観できる様。
この旅では、寄ることができなかったので
また御嶽宿からスタートした時に立ち寄りたいなと宿題ができました。→願興寺HP
くりの季節ですね。
●比衣一里塚
日本橋から96番目(江戸から377㎞…私はあと江戸まで約350㎞)の一里塚です。
顔戸の一里塚ともいいます。
こんもり土が盛られていますが、遺構は残っていません。
綺麗に草刈りをされたあとですね。
この場に比衣一里塚があったようです。
一里塚は主要な街道に約3.9kmごとに築かれた土盛りで、
旅人の目印とされていました。
旅人は一里塚に到着ごとに、〝前に進んでるな…ここまで来たか…〟と感じていたんでしょうね。
私もマラソン大会の3~5㎞ごとに設けられるエイドの様に、
一里塚と宿場に到着したら給水を必ずするようにしています。
可児川です。
●御嶽神社御分霊
しばらく走るとプレハブの祠の中に石碑がいっぱい。
地図で確認しても御嶽神社分霊社はでてこないのですが、
どうも、今回の最後の神社になりそうなので、
旅の安全のご挨拶とお礼をさせていただきました。
※分霊とは祭神の霊をわけて、他の神社にまつること。その御霊(みたま)。
●鬼の首塚
鬼の首塚…怖い名前。
鎌倉時代、鬼岩に住み着いていた不破の関(関ヶ原)生まれの関の太郎。
関の太郎は不思議な術が使え、鬼といって恐れられました。
市場で暴力をふるい、地頭が退治し首をはねました。
その首を桶に入れて京へ運ぶ途中、
この場で急に動かなくなったため埋めたそうです。
埋めた場所が「鬼の首塚」と伝えられています。
鬼の首塚の横には正岡子規の歌碑。
〝草枕 むすぶまもなき うたたねの ゆめおどろかす 野路の夕立〟
●秋葉神社灯篭
旅人に安全に行けよーと言っている様。
御嶽富士と並走しながら宿場に入ります。
いよいよ宿場らしくなってきます。
●みたけ宿わいわい館
宿場に入りました。
みたけわいわい館には、御嵩町の特産品「みたけのええもん」や軽食があります。
残念ながら…この日は休みでした。
●住所〒505-0116
岐阜県可児郡御嵩町御嵩1554番地1
●開館時間:午前9時から午後5時まで
●休館日:毎週水曜日
●HP→https://www.gifu-mitake.com/dining-shopping/waiwaikan/
●中山道みたけ館・本陣跡
本陣跡には中山道みたけ館が建っていて郷土資料博物館と図書館になっている様です。
中には入りませんでしたが、伏見のラクダの絵がある様ですよ。
本陣1
脇本陣1
旅籠28
家数66
●庄家竹屋(しょうかたけや)
本陣職を務める野呂家から分家された竹屋。
明治10年ころの建物と推定され、街道を人や物資が往来し賑わいを見せていた頃の豪商でした。
造りはシンプルで質素…と言われていますが、
それが逆にゴージャスで、風格のある日本家屋の造りに存在感が見えました。
しびれましたよ。
この羽織を着て商売していたのでしょうか。
かっこいいです。
台所です。
食事していたんですね。
中の間からの奥座敷。
奥座敷から中庭。
縁側です。
雑巾がけしたい!
着物をかけて置くやつ…
漆塗りのが我が家にもありました。
用途がわからなかったんで捨ててしまいましたが、
着物を着る今になったら〝お宝捨てた。。。〟敗北感。
知らないって恐ろしいです。
昔の電気の線。
これも古くて味わい深い。
炊事場。
こーゆーのもあったなぁ…。懐かしいなぁ。
機織り機。
資源の再利用。
江戸時代は、つづらや文箱に古紙を貼って何度も使われました。
紙は何度でも使うというリサイクルの精神が竹屋さんにも残っていました。
リサイクルは生活の基本となっていたようです。
中庭です。美しいですね。
御嶽宿 柏屋
タイムリミットで、御嵩駅にて終了です。
まとめて休みが取れれば一度で距離も伸ばせ先に進めるのですが、
日帰りで走っておりまして、
休みとはいえ家事は放棄できないので、走る距離は京都・滋賀を走っていた時より
伸ばせなくなりました。
寄り道なしで走れば、もう少し先に行けるのでしょうが、
二度とない…という気持ちで走ってますので、
キョロキョロ物見遊山三昧。
なかなか前に進みません。
走っている場所が住んでいるところから、
どんどん遠くなるし、この先の計画をしっかり練っていかないとな…と思います。
大阪と違って、電車の本数が非常に少ないです。
しかもここ御嵩駅は単線で終点です。
時間も無いので、名古屋駅に出てそのまま新幹線で帰ろうと思ったら、
家族がご飯食べておいでと言ってくれたので、
名古屋に出たら必ず食べていた名古屋駅名鉄百貨店本館9階にある
ひつまぶし専門店・まるや本店へ。
ちっちゃいやついただきました。
コロナ禍で飲食店も大変でしょうが、まるやさんは大繁盛。
ソーシャルディスタンスを取りながら30分くらい並びました。
走った後だし、かなり待ったので、あおずけの後のごちそうは
すごく美味しく、今まで食べた〝まるやのひつまぶし〟の中で一番おいしかったです。
本来コロナウィルスが無ければ、この季節はウルトラマラソン100㎞を走っていた時期です。
今は感染拡大予防のため、どんな大会も開催されないのが残念ですね。
イベントなどの参加人数の規制は緩和されましたが、
仕事柄、まだまだ大勢でワイワイと走ることはできません。
感染予防しながら、1人でも楽しんでできることはないかと考えて始めた中山道ランは、
不安な点もありますが、不安をクリアしながら経験値を上げるのがロールプレイングの様でとても楽しいし、
何が1番良かったかというと、家族の応援がすごい(笑)ということです。
大会があったときは、大会前になると調整でピリピリするし(記録を出したい大会の場合)、
そのためにトレーニングをしたり、大会のために家を空けることや仕事を休むことも多かったので、家族は決して良くは思っていませんでした。
今は、ピリピリもしないし、大会で家も仕事も空けないから、
家族もこの旅ランに大賛成です。何より、私が中山道を走ることが楽しいって言っているのも大きいです。
なので、コロナウィルスがスッキリしたら、またもとに戻るのか?
大会に出るのか?
そのためにトレーニングをするのか?
というと…疑問なところで、
元に戻るのかもしれないけれど、
どの方にも応援していたがけるような走り方をして行きたいと思っています。
もうすぐ木曽路。
走ることをこころから楽しみます。
なかなか使い切るのが大変なので、
あまり買わなかったスパム。
最近減塩タイプも出ていて、チャンプルに入れたり、お酒のアテにしたりと
結構便利なので冷蔵庫に入っていることが多い。
スパムのホーメルフーズのホームページにレシピが乗っているのだが、
どれも食欲をそそる。
スパムは元々、戦時中に米軍に支給されていて、
毎日毎日スパムスパムスパム…と飽き飽きしてた食料。
メールアドレスに来る、スパムメールという呼び方は、
支給されていたスパムの様に、迷惑メールが絶えずくるから〝
スパム〟と名付けられた説がある。
本当かどうかはわからないけど。。。
ハワイに旅行したら、ABCストアで必ず買うやつ。
〝スパムおにぎり〟
大好き![]()
最近、よく作るのだ!
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして
名鉄鵜沼宿駅~第52宿 鵜沼宿~第51宿 太田宿~第50宿 伏見宿~第49宿 御嶽宿~名鉄広見線 御嵩駅 24㎞走ってきました。
レポートの容量が多いので、
24kmの道中のうち、太田宿~伏見宿として一部を記録します。
●太田宿の高札場
いよいよ太田宿に入ります。
高札場は、幕府からの掟を掲げた看板。
ルールを守りましょう!
太田宿の高札場は、今は道標のみで遺構がありません。
太田宿の街並みです。
●太田宿中山道会館
館内には江戸時代の街並みを再現した展示室があります。
喫茶があり、このあたりのお年寄りが楽しそうに集っていました。
●エノキとヤドリギ
エノキに生息するヤドリギ。
エノキの枝に鳥の巣のような青々とした緑の小枝のかたまりが「ヤドリギ」
大地に根を張らずにまるで宙に浮いているようなその姿は、
エノキに寄生していると判っていても不思議な植物。
まるで、太田宿で一休みする旅人の様です。
中山道会館では、お年寄りが作った手作りのものが販売されていました。
中山道で消費しようと決めたので、
わたしも1ついただきました。
リバーシブルバッグです。
着物を楽しむときに使わせていただきます。
購入額に合わせてクジが引けるイベント中で、
若あゆのお菓子が当たりました。
甘くてお餅が疲れた体に沁みてすごく美味しかったです。
江戸時代を再現した展示室。
髪結い屋。
成人式の時、友達はふわふわした頭をこさえてもらってたのに、
わたしはなぜか日本髪でした。
すごく嫌だったんですが、今となれば貴重で自慢できること。
もう一度日本髪を結ってほしいくらいです。
●太田宿本陣門
福田本陣跡。今は門だけが残ります。
皇女和宮様が徳川家茂に嫁ぐときにつくられたという門で、1861年ものです。
木曽のかけはし、太田の渡し、うとう峠の3つの難所を控えた宿場で栄えたそうです。
本陣1
脇本陣1
旅籠20
家数118
玄武ですかね。立派ですね。
街並み。。。
レトロでノスタルジック。
どの宿も〝うだつ〟が立派です。
旧太田脇本陣林家在宅 隠居家
中は開放され見学できます。わりと庶民的な造りでした。
●御代桜
明治26年の造り酒屋です。
●魚徳
岐阜市場から直送仕入れた新鮮な海の幸を豊富に使った魚徳オリジナル「海鮮丼」が味わえます。
太田宿で旅を終わるなら、食べて帰りたかったくらいです。
●飛騨街道追分
法華経塚は、埋葬地(墓地 )の入口に建てられた石碑だったと言われています。
ここから少し東に行くと、飛騨高山へ向かう飛騨街道の追分があります。
飛騨高山への道標なんですね。
●夢街道
障がいを持つ方が手作りしたものが販売されています。
お店の前に出て、〝わ!走ってる!!すごい!!がんばれー〟と応援してくださったので、
一番高いのを買いました(笑)
絞り染めの巾着です。
御嶽まで行くというと、〝熱中症に気を付けてね〟とヤクルトをいただきました。
ヤクルトと楽しいお話をありがとうございました。
夢街道を過ぎると旧中山道は木曽川沿いです。
岡本一平さん(漫画家)
岡本太郎さんの父親です。
この方の絵が大好きなんですが、この太田宿あたりが終焉の地だったんですね。
●太田の渡し(今渡の渡し跡)
「木曽のかけはし、太田の渡し、うとう峠がなくばよい」と歌われた太田の渡し。
木曽川の急流で川底も深い太田の渡しは、難所の1つと言われてきました。
今は太田橋が架けられ難所ということは無かったですが、
確かに橋から川を眺めたら…川幅も広く流れもあり、ここを渡るのか!と思うとお尻がぞくぞくしました。
増水した日なんかは足止めを食らってしまいますね、
●広法堂
●恵土一里塚跡
ここから300m東に塚があったそうです。
●播隆上人の名号碑
いよいよ伏見でしょうか。
伏見郵便局を改造したカフェ。
めっちゃレトロでいい感じ。
着物で訪問したいです。
●伏見宿とラクダ
あちこちにラクダの絵があります。
オランダ商人が幕府にラクダを献上しますが、幕府は受け取りを拒否。
ラクダは興行師の手に渡り、3日間伏見の松屋に滞在したそうです。
●伏見宿本陣
今は遺構はのこらず、道標のみですが、
本陣1
脇本陣1
旅籠29
家数82
の宿場でした。
他の宿より90年余り遅れ中山道の中では一遅れて宿場になった地。
山城の伏見には似つかぬわびしき村なり…と蜀山人(しょくさんじん)は記述しましたが、
電車も国道も通り、暮らしやすそうでした。
伏見宿には女郎塚…といって身寄りのない飯盛女を供養する塚があります。
旅籠などの宿泊施設ではで遊女を雇い入れる行為は法律で禁じられていましたが、宿でご飯を盛る飯盛女は黙認されていたようです、飯を盛って遊女のような存在の方です。
そこへはなんとなくいかないほうが良いかなと行っていませんが、
そのような存在の方が多くいたということ。
当時の女性の役割と現代の女性との違いを感じながら、伏見宿を後にしました。
次はいよいよ御嶽(御嵩)宿です。
運動アドバイザーの坂田純子です。
長時間の高山縦走から、手足・顔のむくみが続いています。
高所登山や長時間の登山でなぜむくみが起こるのか?
今回は「むくみの原因と予防」について考えてみたいと思います。
むくみとは?----------------------------
むくみとは、静脈を流れる血液や、
老廃物を運ぶ役目をするリンパ液などの「水分」が、
何かしらの原因で滞っている状態。
-----------------------------------------
長時間歩くと手・足、顔などがむくみやすくなります。
通常歩くなど筋肉を動かすと、ふくらはぎの筋肉がポンプの役割となり、下半身の血液を心臓へと送り出しますが、長時間行うことや筋疲労により、手足などの末端部分の血液やリンパが中心部に戻りにくくなります。
脱水が進むと、体の水分を失うまいとして脳下垂体から尿を減少させる抗利尿ホルモンが分泌されます。
抗利尿ホルモンは、いったん出始めると12~48時間は出続けるので、下山後も1~2日は飲んだ水が体外にあまり排出されず体内に蓄積します。
(※登山後に体重を測ると登山前よりも増えている事があります。
登山中にトイレに行かない人もむくみの影響を受けやすい場合があります。)
登山後にむくみが出る方は、登山中の脱水の影響を受けている可能性があります。
激しい運動や、通常よりも強度が高くなると尿を減少させるアルドステロンが分泌され、むくみの原因になります。高山では低山と同じ強度の運動をしても、低酸素の影響により強度が上がりやすく尿も出にくく、むくみの原因になりやすくなります。
女性は生理中や前になると女性ホルモンの分泌量が増え、血管が拡張されるためにむくみやすくなります。
むくみの原因として、日焼けの影響や栄養など…まだまだ考えられることは多くあります。
むくんでしまったら、ケアや休養をしっかりして、
また楽しい登山ができる様に課題を次に活かしていきましょう。

〇坂田純子(さかた じゅんこ)
〇使命
皆様とご家族が、健康で永く一緒に過ごせるために
・運動指導を通じ、周囲の方々の生活習慣病の予防、健康寿命の延長につなげる
・周囲の方へ心身ともに健康であるための気付きの機会を提供する
・日常生活に身体を動かすことの大切さ・心地良さ・楽しさを定着していただくサポートをする
〇ビジョン
皆様が、大切な人や仲間とHappyな時間を永く過ごせることで、
自己肯定感を育て、絆やつながり、思いやりを大切にできる明るい社会になること。
その結果、周りに喜ばれ、感謝され、自分自身も自己肯定感を得る。
〇活動していること
・健康サポートプロジェクト:
健康や運動に関するセミナーや運動指導を出張で行っています。→★★★
・スタジオBodyLux:
フィットネススタジオで運動指導しています。→★★★
※その他、フィットネスクラブでも運動指導しています。
・ランニングコーチ:
走ることで、夢や目標を達成できるお手伝いをしています。
フォームチェックやコンディショニング、トレーニングなど→★★★
・大学非常勤講師:
運動経験や習慣のない学生に運動や健康についての講義と実技をおこなっています。
・つながりつくり:
▼目や声の届く交流関係の身近な人たちとの交流の機会 PARK&CO
今日から大学の授業が始まる。
中山道のレポを小分けにアップしているから、この連休は傍から見たら休暇に見えるが
毎日仕事なのである。
(中山道は、移動も道も混まない・密にならない平日に実施している)
仕事は国からの休業要請明けから
ほぼ戻りつつあるし(セミナー以外)、
コロナ過で休んでいた時期もあるから
仕事があるのはありがたい。
・
・
・
前期は全授業onlineだったけど、後期の実技授業は基本的に対面。
感染予防に気をつけて生徒さんに向き合おう。
久しぶりの学校は、私も嬉しいが、
生徒さんも身体を動かせることと、
お友達に会えることがとっても嬉しそう。
無事、授業が進みますように。
新年度以降、初めてだったりする学校帰りの移動ラン。
一部お父さんの匂いがして懐古できるコース。
最後の授業まで
走ることができるだろうか。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして
名鉄鵜沼宿駅~第52宿 鵜沼宿~第51宿 太田宿~第50宿 伏見宿~第49宿 御嶽宿~名鉄広見線 御嵩駅 24㎞走ってきました。
レポートの容量が多いので、
24kmの道中のうち、鵜沼宿~太田宿その④として一部を記録します。
その① 鵜沼宿脇本陣 坂井家 ~その②鵜沼宿町屋館 ~その③うとう峠 の続きです。
●岩屋観音堂と日本ラインロマンチック街道と取組一里塚
うとう峠を越え、第51次 太田宿を目指します。
峠を越えると目の前に広がるのが木曽川です。
エメラルドグリーンをさらに乳褐色にした様な濁流がゴウゴウと音をたてています。
中山道である国道207号線を右は木曽川、左はJR高山線。
並走するように走ると、旧中山道と国道の分岐があります。
分岐を山の方へ登っていくと、大きな岩の中に祠を置いた〝岩屋観音堂〟が現れ息をのみます。
大きな岩はスマホのカメラにはおさまらないくらい。
観音堂前は木曽川。
景色は大迫力。
雨の後は怖いくらいだろうな。
観音前の景色。
…〇〇会。
岐阜出身の政治家さんの団体ですかね。
観音堂を越えると、高山線がすぐ横で、再び国道207号線に合流します。
207号線はトラックや車がビュンビュン走り、さほど見どころも無いので、
取組一里塚を越えたら、中山道のルートを外れ
〝日本ラインロマンチック街道〟を走ると心に決め、一里塚目指して走ります。
取組一里塚付近に到着したところ、
何も見当たらないので、
グーグルマップを立ち上げ、現在地と一里塚の位置を確認する。
確かに現在地付近にあるはず…
あたりを探してガックリ!
簡素な標柱と、取組一里塚の小さな看板。
よく見つけられたな…と思うくらいわかりにくかったです。
一里塚は、一里ごとに設けられた塚で、道中の距離の目安になります。
無事、取組一里塚を見つけたので、〝日本ラインロマンチック街道〟を走ることに。
このあたりの木曽川の風景がヨーロッパのライン川に似ているとして
川沿いの堤防を〝日本ラインロマンチック街道〟と呼び、
全長4㎞、木曽川の壮大な景色を見ながら走ることができます。
中山道とは並行となり、完全にルートはそれてしまいますが、
うとう峠で会ったオッちゃんが
「ロマンチック街道は行った方が良い」と教えてくださったのに背中を押されました。
どこまでも木曽川でした。。。
風や川の音を感じ、すごく気持ちよかった。
ロマンチック街道が終わると、国道の中山道と合流し、
中濃大橋の高架をくぐると桝形の道に出ます。
太田宿の高札場を見つけ、いよいと太田宿…とホッとします。
江戸時代の旅人も参勤交代の大名たちも、
同じようにホッとしていたのかな…と思います。
●太田宿高札場
高札場は、幕府が出した掟を掲げた場。
鵜沼宿駅からスタートして、おおよそ10㎞でしたが、
峠あり川ありで、自然が作る風景をじっくり楽しめるコースでした。
東海道は新幹線も通り、どんどん新しくなっていった一方、
中山道は裏街道になるので、わりと旧道や宿場が残っていて面白いです。
その①、その②、その③、その④とレポートが多くなりましたが、
いよいよ次は、太田宿~伏見宿までを記録しますね。
世間は連休。
昨日、仕事で通った新大阪駅の風景は、
大きな荷物を持ってGo to トラベルで移動する人でにぎやか過ぎでした。
私をふくめて、人間は不要不急を求める生き物だと再確認できます。ある意味健全。
・
・
・
今日は、仕事帰りにふらっと骨董市。
秋季お彼岸で、例年までとはいきませんが、少しだけにぎやかでした。
戦利品は4つ。
和風のお皿を3枚と、軍隊杯1つ。
軍の軍隊杯(記念盃)は、藤原さんと言う方のをいただきました。
何の記念で配られたものかは、文字が消えててわかりません。
新品の気持ち良さはないですが、
レトロで味がありますね。
眺めているだけで、どんなお料理が乗って、
どんな話をしてお酒を交わしていたのか…無限の思いで想像してしまいます。
※リアルタイムのログではありません。数日前のログになります。
〝人間一生 物見遊山…〟
これは江戸っ子の人生観を表す言葉。
生まれてきたのは、
この世をあちこち寄り道しながら見物するためであり、
せいぜいあちこち見て、
見聞を広めて友だちを増やし、
死んでいけばいい…と考えていました。
わたしはこの言葉が好きで、自分もそうしたいと思っています。
京都三条大橋から、お江戸日本橋まで東海道&中山道69次。
江戸時代の人は、江戸から京都までの135里34町余(約540km)㎞を歩いていたそうです。
出張や用事に合わせるので
宿場の順番通りにはいきませんが、西から東へ。
物見遊山しながら…自分の脚で走って一本の道をつなげてみようと、旅をしています。
コロナの様子を見ながら、感染予防して
〝うつさない・うつらない〟の心がけをして
名鉄鵜沼宿駅~第52宿 鵜沼宿~第51宿 太田宿~第50宿 伏見宿~第49宿 御嶽宿~名鉄広見線 御嵩駅 24㎞走ってきました。
レポートの容量が多いので、
24kmの道中のうち、鵜沼宿~太田宿その③として一部を記録します。
その① 鵜沼宿脇本陣 坂井家 ~その②鵜沼宿町屋館 の続きです。
天王坂を越え、合戸上ノ池を通過すると、
いよいようとう峠です。
天王坂。
結構急な坂道。
走っていると、車で通り過ぎる方がちょっとびっくりする。

合戸上ノ池を過ぎると、うとう峠。
「木曽のかけはし、太田の渡し、うとう峠がなくばよい」とうたわれた難所の1つ。
うとうは山と山の間の窪地をさすそうです。
また、「疎」気味の悪い…という意味もある様です。
昔は道も難所で、山賊が旅人を狙っていたとも説があります。
今は道も整備され、歩きやすいのでしょうが、
たしかに山と山の間で、うっそうとしていました。
雨の日は路面がツルツルして滑りやすく、
浸水する場所もある様で、通行禁止になります。
マムシもよく出るそうですよ。
もりの本屋さん(図書館)を過ぎるといよいよ峠です。
●うとう峠一里塚
各務原市内に既存する唯一の一里塚。
片側しか写真に収められていませんが、
南と北と2つあります。
南塚は戦時中に陸軍の兵舎が建てられ、半分以上崩れているそうです。
一里塚は、道中一里ごとに立てられました。

足元は雨の後のでせいか少し滑りますが、走れないことはありません。
西からだと峠は下り坂なので、足元には充分気を付ける必要があります。
紙の地図と道標に従い、峠を下ったところで
スマホアプリの地図を確認してみると、ルートから外れていることに気付きました。
ふたたび、スマホアプリが差すルートの分岐まで走って戻ることに。
しかし、何故に道標や紙の地図がスマホアプリ地図と違うんだろうか…?
分岐でどちらが正しいか考えていたら…
地元の人に〝どこ行きたいの?〟と声をかけられました。
旧中山道のうとう峠を越えたいことを伝えると、
ルートは、私が下った方が旧中山道で、
スマホアプリの方ではないということ。
改めて気付かされたのは、
スマホアプリだからといって鵜呑みにするのは良くない
必ず紙地図を用意し、道標や目印と合わせながら進むこと。情報が多すぎるのも選択し辛いことを知っておくこと。
デジタルとアナログの両方を準備する大切さを学びました。
地元の方に、大阪から来たことを伝えると、
(コロナウィルス)で怖がられると思いましたが
逆に大歓迎されたのが背中を押されている様でうれしかったです。

途中まで一緒に行こうということで、
ワンちゃんと3人で話しながら歩きました。
美江寺宿では、お友達と走ることができましたが、
中山道を走り始めて、地元の方と話しながら歩いたのは初めてです。
1人もいいけれど、やはり誰かと話すって、やっぱり楽しい。
対面って改めて贅沢なことなんだな…と感じました。


ワンちゃんたちとも分岐でお別れ。
〝最近イノシシの夫婦が良く出没するから、気を付けてな〟
と、イノシシに出会ったらどう対処すればよいか教えてもらっていたら、
また他の地元の方に声をかけられました。
〝峠越えるから、一緒に行こう〟と。
山のあれこれや、近くの観光スポットのことなどを話しながら、
うっとおしい峠どころか、楽しい峠越えとなりました。




最後は木曽川の手前のトンネルを抜けて峠越え終了です。
このトンネルは増水すると水に浸かるんで、
雨の日の通行不可は、大納得でした。


トンネルを越えると木曽川が広がります。
昔は栄えていて飲食店も多かったそうですが、今は廃墟となっています。
しかも、トンネル越えたら川のほとり迄行けたそうですが、
今は水害が多く、整備もされてないので遠くから眺めるくらいだとか…。
〝もう一度中山道ブームが来たらにぎやかになりますかね〟
というと、オッちゃんは嬉しそうに笑っていました。
地元の人しか知らない情報は、ガイドブックにも書いていないし、
こうやって旅先で人と話すことって、旅を楽しくしてくれます。
まだまだ対面コミュニケーションにはお互い気を使いますが、
対面は、ネットの画面からでは伝わらないその人の気やオーラを感じることができるので
やっぱり好きだな。
オッちゃんはストックを大きく振って、私は手を大きく振ってお別れしました。
もう会うことは無いかもしれませんが、親切にしていただきありがとうございました。
一期一会ですね。
さぁ、次はいよいよ太田に入りますよ。
その④に続きます。
〝友達の友達は皆友達だ〟と言う言葉が嫌いだし、
ご縁に感謝、
出会いに感謝、
つながりに感謝、
と初対面でサラリと書いたり言うたりできるタイプが苦手。
初対面でいきなり握手とかハグしてくるタイプも苦手。
武道やっていたせいか礼からスタートさせたい。
だから欧米か!と思ってしまう。
しかも、このようなタイプの方々は営業目的で近づいてきたり、
ネットワークビジネスの類で近づいてくることが多かったから。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
自分自身、友達の友達は皆友達!の感覚を持ってないし、
感謝を書いたり言えたりするのに、かなり時間がかかるし、
だから、サラリと書いたり言えたりするタイプの人が羨ましいのか?
軽く見えてしまって苦手だ。
毒吐いてすんません(笑)
という私も、数年前はBLOGの締めの言葉が〝日々感謝〟だった。
歯が浮くようでなんか気持ち悪くなった瞬間があって、やめてしまったし。
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10年。
私が勝手に兄貴と勝手に慕う存在の方から、
ほんまにほんま久しぶりに連絡があった。
兄貴のオンライン講座に、私の友人が参加したと。
友人は、今は会うことは少なくなったけれど、
私が関西に引っ越してきたときに
〝大阪を教えてあげる〟と大阪を教えてくれた10歳離れた友人。
阪神戦に連れていかれ一緒に六甲おろしを歌った初体験。
〝これでじゅりーはもう関西人や…〟と笑ってた。
当時、友人に兄貴のことを力説した私の言葉を覚えていて、
今回講座参加に至ったとか…。
10年前の会話を覚えていてくれた友人。
関西を教えてくれた友人。
頻繁には会えないけれど、いつも見守ってくれている兄貴。
10年の時間を経て、ようやく自然に
『ご縁に感謝、出会いに感謝、つながりに感謝』
といえる自分がいる。
大切なことは「時間がかかる」
高倉健じゃないけど、
自分、不器用ですから。
すみません。
3人の糸が絡んで今日はほんの少しセーターの切れ端ができた感じ。