健康サポートプロジェクト
合同会社健康サポートプロジェクトです。 10数年にわたって健康経営を推進する企業・団体様向けに健康セミナーや研修コンテンツ等で具体的なサポートをおこなってきました。 福利厚生や労災対策として従業員の方が生活習慣の中で無理なく継続できるエクササイズをご紹介します。
読書感想文の課題図書の中に
夏目漱石の「こころ」があり、
ひらがなの「こころ」に優しさを感じ
手に取った覚えがある。
予想外でタイトルに反し小説の内容がズシッと重く
「人間は他者には語れない罪や罪悪感を抱えて生きていくものなのか…」と
読み終えた時、後味が悪くて
感想文の筆がなかなか走らなかった記憶がある。
大人になって自分の脚で各地の色んな場所を走り、
「乃木希典陸軍大将」のことを知った。
そういえば「こころ」に
乃木大将のことが出て来たなぁ…なんて
先日読み返してみることになった。
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小説「こころ」は
明治時代の末期が背景となっており
三部構成になっている。
上:先生と私
中:両親と私
下:先生の遺書
中身をザクっと書くならば、
「欲やエゴで人は裏切る。
信じていた人に裏切られるが、
自分も誰かを裏切っている…。
罪悪感と命…。」
そんなことが書かれていたように感じた。
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さて、乃木希典大将の話題に戻るが、
学生時代に「こころ」読んだときは
明治天皇の崩御の翌日に
夫婦で殉死した乃木大将のことが全く理解できなかった。
そして、乃木大将の殉死を受け、
先生も自殺してしまう意味が
それ以上に理解できなかった。
しかし、映画「二百三高地」を観たり、
明治天皇伏見桃山陵の隣に寄り添うように存在する
乃木神社へ行ったあとに「こころ」を読むと、
なぜか?少しだけ理解できたかの様に思う。
(二百三高地:当時の記事→★★★)
(明治天皇伏見桃山陵→乃木神社:当時の記事→★★★)
(北九州:西南戦争で率いた歩兵第十四連隊の石碑→★★★)
乃木大将が
西南戦争で軍旗を奪われたことを気にされていたり
日露戦争で多くの命が犠牲になったのに自分は生きている…
という罪悪感と
自分(先生)が裏切ったことで自殺してしまった友人(K)。
なのに自分は生きている…
という罪悪感を乃木大将に投影し
「罪のこころ」を終りにしたかったのではないか…という推測だ。
自分で命を絶つのは良くない事であるが、
明治の末期は何事も命がけで生きていたことがわかる。
そして、今の時代は責任をとって切腹するようなことは無いけれど
そのぶん人を裏切っても
罪の意識を感じなくなっているのかもしれないと時代の違いと義理人情の軽さを感じた。
最後に、上の章「先生と私」のなかで
先生が言っていた言葉が響く。
〝かつてはその人の膝の前にひざまづいたという記憶が
今度はその人の頭の上に足を乗せさせようとするのです…。〟
今、こういうことは頻繁にあるのかもしれない。
〝暑い暑い…〟が合言葉になっていた頃は
このまま夏が果てしなく続くような気がした。
祖母が昔から
〝お盆を過ぎたら涼しくなるよ〟と言っていたように
玄関のドアを開けたら涼しい秋の風が吹き
いつの間にか、蝉の大合唱も聞こえなくなっている。
今年のお盆過ぎも、祖母の言っていたとおりである。
ウォーキングに出かけ
ふと空を見上げると
夏の積雲と秋の巻積雲が混在しているのを見つけた。
隣り合う季節の空の中に
二つの季節の雲がある空のことを
「行き合いの空」と言うそうだ。
炎暑の中、いつも太陽に向かって
元気に咲いていた向日葵も
今はもう頭を垂れている。
まるで成熟期から更年期に入った
女性のようにも見えてしまうのは私だけだろうか。
そろそろ森山直太朗さんの出番です。
いや、井上陽水&玉置浩二かな。
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吉田松陰は留魂禄の中で
〝人の一生はその長い短いによらず
春夏秋冬のようなものだ。
誰もが自分の人生で花をつけ
実をつけている。
また種となって誰かが受け継いでいく限り
自分の春夏秋冬は循環する〟
___と言う。
夏の果てに見る向日葵からは、
生涯は短くても
花をつけ、実をつけ、種をつけ、
命を未来に繋げていく大切さを学ぶことが出来る。
また季節が過ぎシャンと立っていられない姿からは
からだの老いを受け入れていく大切さを学ぶ。
まさに「夏の果て」は今の自分自身か___。
どんな種をつけているのか
何を循環させていくのか…。
こんなことを考えるようになったのも
夏の果てと今の自分が重なるからであろう。
めぐる季節の中に
我思うゆえに我あり。
近々昇段参拝するので、
玉串の捧げ方など作法について再確認していた。
他に目にとまったのが「食事」の礼儀作法。
小さい頃に教えていただき
身についていることが書かれていた。
特に母が他界した後は、叔母が会うたびにしつけをした。
叔母にとっては妹がこの世にいなくなり
責任感があったのか?
箸や茶碗の持ち方や、紐の結び方など
かなり厳しく教わったのを覚えている。
今となれば、とてもありがたい。
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小さい頃、食事は「感謝」だと教えられた。
①お米の中1粒1粒に神様がいる。自然の恵み・命に感謝すること。
②食べ物の背景に居る育てる人・働いている人に感謝すること。
この2つである。
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我が家は仏教なので、
食事の前には手を合わせて「いただきます」
食後には「ごちそうさまでした」と必ずいうし、
習い事などで神社の神事に関わる時は
食前食後には本居宣長の和歌を唱えていた。
食前の和歌には〝天照大神〟(すべての生命に命を与えてくれる神)
食後の和歌には〝豊受大神〟(働きに関わる神)
の名前が入っている。
「いただきます」と「ごちそうさま」は
「感謝」をして食事をしなさい…ということなのだ。
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話は変わるが、
「いただきます」「ごちそうさまでした」を言わない人や
大量の食べ物を残す人は苦手だ。
自分の価値観を押し付けるわけではないが、
もしかして日本の礼儀作法を知らないのかも?と、
嫌われてもいいから大好きな友達には思い切って注意する。
逆に恨まれそうな知人には黙っているけれど…。
一緒に外食に行って、
定食のお米に箸をつけない人には
「最初からお米いりませんといった方がいいよ」
バイキングで食べきれない程お皿に盛って結局食べない人には
「食べれるだけにして、足らなかったら盛りに行けば」という。
だって、食べ物を粗末にすることイコール
育てた人や動植物たちを粗末にするということだ。
煩いなーと思われているかもしれないが、
食事には「感謝の心」や「思いやり」が詰まっていて
人間関係や人の和と同じこと。
そもそも感謝をしない人や、
やってもらって当たり前の人は、
命や人の働きのことすら気にしないんだろうけど。
食事というものは「その人となり」が出る。
食事の礼儀作法のページを読みながら、
小さい頃、叔母が厳しくしつけたことは
本当に本当にありがたかったな…と目を細めた。
長州の出身で蘭学にも優れ、
日本陸軍の父といわれた大村益次郎。
坂本竜馬や高杉晋作、西郷隆盛とならび
幕末から維新という激動の時代を牽引した人物です。
司馬遼太郎の小説「花神(かしん)」の主人公にもなっています。
「国を安らかにする」(靖=安)ために
命がけで戦った「英霊」を祀っている
靖国神社の前身である招魂社を
九段下に建設することを決定したのも大村益次郎。
ところが、大村益次郎に反感を持つ者たちに
京都で襲われ重傷を負い
招魂社創建直後の明治二年大阪で歿(ぼつ)されました。
靖国神社の一の鳥居から
直ぐの所にある銅像(12m)の存在感は大きく
筒袖羽織に短袴を着け、左手に双眼鏡を持った姿は
明治維新の基をつくった時から今日までを
凝視しているかのようにも見えますね。
大阪には大村益次郎のゆかりの地がいくつかあります。
学び舎から寓居の地、
亡くなった場所など。
おおよそ約12㎞。
大阪の「大村益次郎ゆかりの地」を巡ってみよう。
【スポット】(約12㎞)
●大村益次郎先生寓地址/
嘉永二年からこの地の倉敷屋作衛門の座敷に住みながら適塾に通った。
(〒550-0002 大阪府大阪市西区江戸堀2丁目6)
●適塾/
緒方洪庵先生による蘭学の私塾。大村益次郎が通った学び舎。
(〒541-0041 大阪府大阪市中央区北浜3丁目3-8)
●浪華仮病院跡/
大村益次郎が手術を受けた病院。
(〒543-0001 大阪府大阪市天王寺区上本町4丁目1-15)
●兵部大輔 大村益次郎卿 殉難報國之碑/
(〒540-0006 大阪府大阪市中央区法円坂2丁目1-23)
●大村益次郎寓居跡「漏月庵」/
初めての住居。ひさしの隙間から見える月が美しく「漏月庵」と名付けた。
(〒540-0025 大阪府大阪市中央区徳井町1丁目2-2のりおかクリニック)
●旧大阪砲兵工廠化学分析場(おおさかほうへいこうしょう)/
大村益次郎の構想により大阪に作られた大日本帝国陸軍の兵器工廠。
(〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城3-30)
●龍海寺・大村兵部大輔埋腿骨之地・緒方洪庵墓/
緒方洪庵先生の隣のお墓に大村益次郎先生の切断された脚が埋葬されている。
(〒530-0035 大阪府大阪市北区同心1丁目3-1)
帰宅ジョグ中、前から7~8ヶ月くらいの柴犬が
興味津々で歩いているのに遭遇。
首輪も何もしてないけれど
野犬のような雰囲気でもない。
私に警戒はしているものの、
「どこからきたの?」と手を差し出したら
手のそばまで顔を近づけて来た。
口の周りを撫でてみたら、
毛並みも艶やかでハリがあり
飼い犬であることがわかった。
おそらく飼い主さんとはぐれた感じ。
しばらく柴の子犬としゃべってたら
近くの工事現場から見ていた方が
「あのスーパーの前に繋がれていて、
紐が外れてこっちに歩いてきた…」と教えてくれた。
子犬とスーパーに行ってみると
飼い主さんが大慌てで駆け寄ってきて
「よかった!よかった!」と。
飼い主さんによると
ハーネスが大きすぎて外れた様だ。
ワンちゃんは飼い主さんと
一緒にいるのが一番楽しいので
ほんとうによかった!
と同時に(うちの愛犬は、お店の前で待たせることはしないけれど)
うちもハーネスに前足の片方が
入っていないことがよくあるので
ハーネス装着時にきっちりフィットしているか?
毎回確認しようと思った。
今、動物愛護法が改正され
動物を取り扱う専門の業者は
犬・猫にマイクロチップを入れることが義務化されている。
そういえば…近所の動物病院にも推進ポスターが貼ってあった。
マイクロチップは動物の体に
負担をかけることはない…
とうたわれていても
異物を入れる事には変わらないし
私は愛犬の健康が気がかりなのでやっていない。
しかし、今日のような迷子犬や
捨て犬などのトラブルは減るのかもしれないとも考える。
だが、これが人間だと思ったら…
やっぱり「いやだな」なんて思う今日この頃。
昔は人間の代わりに、
犬がお伊勢参りをして
ちゃんと家に帰ってきたなんて話もあるし…
犬を見守る周囲の人が
道徳のある良い人でありますようにと願う事と
とりあえず、ハーネスの確認と
愛犬と外出する時は目を離さない様にしたい。
八月十五日。
エクササイズウォーキングとジョギングで見つけたのは
晴々とした碧空のそらにそびえる半旗。
消防署…。
市役所…。
日の丸は素直な心を表した「白」と
日出る国の象徴である太陽の
「赤」を表現していますが、
青々とした空にそびえる姿は
一段と映えますね。
終戦の日と言われる今日は、
役所も消防署も半旗を掲揚していました。
我が家も神棚にお酒を。
そして、英霊にもお酒を。
以前も書きましたが、
八月十五日は
玉音放送が流れた日で、
この後も八月後半までソ連による
南樺太や占守島の侵攻が続きました。
「終戦記念日」と敗戦を記念するのも
なんだかピンと来ないですし、
本当の終戦の日は
八月十五日ではないのかもしれません。
日本を占領していた
GHQが廃止され主権を回復した日、
(1952年)四月二十八日が
終戦の日だという説もありますし
天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、
天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、
御祭文が奏上される靖国神社の「例大祭」が
終戦の日のように大切な日だという説もあります。
どの日もいつも心に
日本をお守りくださった方々への
感謝の気持ちを持っていたいものです。
今夜は、「氷雪の門」を再鑑賞したいと思います。
(関連記事→★★★)